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クロスオーバーSUV

クロスオーバーSUV(CUV: Crossover Utility Vehicle)とは、自動車のカテゴリのひとつである。スポーツ・ユーティリティ・ビークル(本稿ではSUVと表記する)と呼ばれる自動車のうち、フレーム構造ではなく、モノコック構造を持つものを指す。基本的には、「乗用車をベースにしている(セダンやハッチバックとプラットフォームを共用している)SUV、のことである。フレーム構造を持つことが多い本格的なSUVと比べて、オフロードでの走行性能や耐久性では劣るものの、舗装道路での乗り心地に優れる、比較的軽量である、燃費に優れる、などの利点を持つ傾向があり、今日ではSUVの主流となってきている。現在、大型のものから小型のもの、高級車から大衆車、軽自動車まで、各国の自動車メーカーから多様なクロスオーバーSUVが販売されている。ピックアップトラック出自のSUVと較べ、モノコックボディーの採用によりNVH設計が楽であること、走りの面でも、乗用車系のシャシに起因して、特にFRレイアウトがベースのクルマでは、オンロードでのパフォーマンスが高いこともアドバンテージとなっている。米国ではクロスオーバーSUVは乗用車に含まれるカテゴリー名であり、税区分や保険区分上もトラックであるSUVとは異なり、区別されている。自動車メーカがオフローダーやSUVとCUVとを差別化する理由は、高級CUVでは上級イメージを市場に浸透させることで、また、大衆CUVでも高付加価値を理由として、共に販売価格を高めに設定できるためである。もともと乗用車との部品の共用で、開発、製造コストを抑えているため、収益性は非常に高くなり、これがメーカーにとっての旨みとなる。メカニズムを共有する姉妹SUVがある場合でも、各メーカー内でのCUVの企画とスタイリングは高級車部門が担当しているケースが多い。販売面でもイメージを保つことには留意されており、たとえばレクサス・RXとトヨタ・ハイランダー(日本名クルーガー)を同じショールームに置くことは、契約上禁止されている。このような契約は、ブランド戦略上の意図によるものであり、この2車はいずれもカムリをベースとするクロスオーバーSUVであり、機械的には基本を同一とする。SUVでは二輪駆動の比率が増える傾向にあるが、付加価値が重要な高級CUVには今のところ二駆の設定はなく、エアサスなどを利用した車高調整機能とEBDを利用したトラクションアシストデバイス(低μ路での個別空転防止装置)を装備するものが多く、収益性向上に貢献している。車台は乗用車で主流のモノコック構造であり、サスペンションなども乗用車ベースとなっている点がトラックのシャシをベースとするSUVとは異なる。一見オフローダー風の外観をしていても、フレームを持たず、偏平率の高いタイヤを装備するため、ヘビーデューティー用途には向いていない。つまり、接地時のダメージを含め、一般的にはラフロード性能が劣る。ただし、優秀な4WDシステム、トラクションアシストデバイス、LSD、エクストラローギア、デフロックなどを装備することにより、駆動力が伝わりにくい・滑りやすい路面などでは副変速機を持つ古典的なSUVよりもむしろ走りやすい車種も多い。一方、操縦安定性やハンドリング、ロードホールディング、NVH、燃費性能には、一般的に優れる。ドイツ車では、性能の向上を目的とした「専用に近い車両プラットフォーム」を持つものが多い。高級CUVは、北米市場好みのスポーティーで大胆なスタイルとされることが多く、華美な、あるいはクラシカルなデザインが施されている。クロスオーバーSUVは CUV (Crossover Utility Vehicle) またはCrossをXと表記してXUVとも表記される。「クロスオーバー・ビークル (Crossover Vehicle) 」という考え方が米国で1990年後半に形作られる。これは「異なる種別の車を混ぜ合わせた」という意味で直訳で「クロスオーバー車」ともいわれ、また、英語でも略してCrossoverのみでも使用される。この意味では、車輌製作側の概念上、特にSUVに限らず、多くは試作車として「クロスオーバー・ビークル」が作られていた。これらは『ハイブリッド・ビークル』と呼ばれることもある。その中で市場に最も受け入れられたもの、つまり販売可能なものが「SUVと乗用車とのクロスオーバー車」だった。これがクロスオーバーSUVである。2006年時点で、米国では「SUV」という用語がすでに30年以上にわたって使用され、カテゴリー用語として定着した一方で、消費者の心をつかむためのマーケティング用語としては陳腐化も起こっている。1990年代末から、SUVに対する安全性への指摘がなされ、SUV批判が起こったが、まだ有識者の間でのみだった。しかし、2003年末から起こったガソリン価格の高騰は1ガロン=2ドルを超え、3ドルに達する。高騰が長引くにつれ、燃費の悪いSUVの販売は落ち込む。SUVブームの中心にあり、ブームを自身で推し進めていた米国の2大メーカー、GM、フォードはこの10年間の収益の軸をSUVにおいていたため、SUVの販売落ち込みは会社の経営に影響した。そのため、特に両社では、SUVのマイナスイメージに引きずられないよう、クロスオーバー系の車両にかかわらずマーケティングにおいてSUVを想起させないアプローチがなされはじめている。つまり、SUVという言葉を使わない方向に向かいつつある。歴史を遡れば、乗用車をオフロード風に仕立てた車がある。この始祖が1957年ソ連で生産されたモスクビッチ・410であるが、これは日本の感覚では「生活4駆」の範疇に含まれる。乗用車ベースのものでは、他にも1971年のスバル・レオーネ、1977年のラーダ・ニーヴァ、1980年のAMC・イーグルがよく知られている。イーグルはジープ一族ならではの造りを見せる、本格オフロードカーであり、XJチェロキー誕生の原動力ともなった。一方、欧州でも、欧州クライスラーのタルボ-マトラが1977年、ランチョを発表している。ランチョはFF乗用車のシムカ・1100をベースとしたフルゴネット(ライトバン)である、「シムカ 1100 VZ2」にオフローダー風の「化粧」を施したモデルであり、4WDでもなく、自動車史の上ではレジャーカーとして認識されている。SUVは米国で広まった自動車のカテゴライズ。SUVの本場である米国では、1961年のインターナショナルハーベスタースカウト()や、1963年のジープ・ワゴニア()をSUVの始祖としている資料が多い。その後、それらにヒントを得たビッグ・スリーが、2代目フォード・ブロンコ、シボレー・K5 ブレイザー、ダッジ・ラムチャージャーなど、フルサイズピックアップの荷台にシェルを被せたワゴンをリリースし、一気に市民権を得るに至り、SUVの呼び名が定着した。1984年頃チェロキー (XJ)のヒットにより、それまでオフローダーに縁のなかった乗用車ユーザーにもSUVが浸透し、基本的なカテゴリーとして認知されるようになった。チェロキーはフルサイズSUVとは異なり、ビルドインフレームのモノコック構造である。しかしその市場に参入を目論んだGMとフォードは、一から起こすよりは開発が容易で、すぐさま市場投入可能な、コンパクトピックアップベースのフレーム構造としたこと、そして、その点を優遇税制に結びつけ、SUVのフレーム構造をウリにしたことにより、法律上(特に自動車税法上)のSUVの定義が定まっていった。米国の自動車税がトラックでは安価であることから、同じフレーム構造を持つSUVという点を強調し、業界をあげ、政府に働きかけた結果、SUVもトラックとして分類されるようになった。この点が、特に米国において、フレーム構造であるかどうかを重視する考え方のスタート地点となっている。政治的な面以外でも、フレームの「しなり」を好むユーザーが多く、オフローダーの中にはねじれるフレームもサスペンションやスプリングの一部、と肯定的に捉えている者も多い。かくして、日本人には線引きが判りづらいSUVとCUVとの違いであるが、米国では、見た目や乗り味といった、商品性と、税制の両面の差が訴求ポイントとなっており、顧客の多くが関心を持つに至った。1990年代にはSUVは米国で一般カテゴリーとなっていたが、日本では1990年代になっても、まだ「RV」や「オフロード車」といったカテゴリー表記が主流であり、2000年を越える頃まで「SUV」という表記は米国系SUVなどに対して『米国ではSUVというジャンルになる』という紹介や、一部の愛好家向けメディアで使用されるに過ぎなかった。日本では、1992年になって初めて統計上「RV」という言葉が用いられ、さらに1996年になってやっと自動車販売協会連合会が、RV統計を取り始める。RVは1980年中頃にはオフロード車のことを指すマーケティング用語として広く使用されていた言葉だったが、1980年代後半にワンボックス、90年代になりステーションワゴンがRVの概念に追加され、ようやく1996年はRVという言葉を業界が統計上の公式に認めた年となったばかりであった。日本のマーケティングでは「SUV」など、まだ一般が耳にすることはなかった時代だった。日本で最初に「乗用車ライクで、かつジープに劣らない悪路走破性を備えた4輪駆動車」として開発されたのが、1971年に富士重工業が東北電力の依頼で製作したスバル・ff-1 1300Gバン 4WDであった。結果、その商品性が見出され、「第18回東京モーターショー」にも参考出展され話題を呼び、一般向け市販車としては翌1972年、レオーネ エステートバン 4WDとして結実する。当時の日本にはレジャー用途の自動車というカテゴライズ自体が存在しなかった。4WDといえば日産・サファリやトヨタ・ランドクルーザーのようなヘビーデューティー4WDが官公庁や企業向けに納入されるものというのが常識で、わずかな趣味人のうち、レンジローバーやメルセデス・ベンツ・ゲレンデヴァーゲンには手が届かないといった層がその代替的に購入しているに過ぎなかった。しかし、レオーネの登場で一般人が4輪駆動自家用車を入手するハードルは一気に引き下げられた。レオーネ・エステートバンは名目上商用車であったものの、徐々に一般個人ユーザーを獲得し、ついにはそれまでオフロード車とは無縁だった富士重工を「4WD代名詞」にまで引き上げた。そのカテゴリーの名前こそなかったものの、日本において初のクロスオーバーSUVであった。1981年、レオーネは2代目途中で乗用車モデルのステーションワゴンであるツーリングワゴンを追加する。名実共に「オンロード・オフロードを問わず使用できる多目的乗用車」の登場である。やがてレオーネに触発された各大手メーカーは、乗用4WDの開発に乗り出すが、いずれもがFFベースの乗用車に申し訳程度に後輪駆動装備を付けただけに過ぎず、悪路走破性ではレオーネに及ぶべくもなかった。3BOXセダンとシャシーを共用する、現在で言うところのSUVは、1980年代前半まで、レオーネだけであった。もっとも、この用途に提供された国産車がレオーネだけだったという意味ではない。それは、日本の特異な自動車事情が密接に関係していた。レオーネも当初そうであったように、日本ではRV、SUVという概念が確立するまでの間は、耐久性とパッケージング性能に優れた商用車がその代替的存在であった。1970年代に入り、右肩上がりの高度成長期を終え、日本人が暮らしに豊かさを求めるようになってくると、その一環としてスキーやオートキャンプといったアウトドアレジャーが普及し始めた。こうなると、日本で一般的だった3BOXスタイルのセダンでは、平均的な4人家族に旅行用の荷物を搭載するのには無理が出てきた。一方、日本では3列シートの乗用車は旧くから存在したが、同クラスの商用車と共に、主にロングホイールベースによる最小旋回半径の大きさから市街地での取り回しが悪さが嫌われ、一般的ではなかった。このクラスでは、トヨタ・ハイエースをはじまりとするキャブオーバースタイルのワンボックスカーが主流であった。このジャンルも、当初商用車として登場し、乗用車としては、平均的な5人乗りセダンでは満たせない大家族用という位置づけだった。しかし、そのパッケージング性能の高さからレジャー用自動車としても早いうちから注目され、やがては大容積を快適性に転嫁し、トヨタ・クラウンにも劣らない豪華装備を備えたモデルの登場にも繋がった。あるいは乗用車よりも更に安価に購入維持できる軽ワンボックスカーも注目され、ダイハツ・ハイゼット アトレーを嚆矢として、乗用ライクの軽ワンボックスバンが各社から発売され、高速道路の走行に備えてターボチャージャーを装備するモデルが追加された。そしてこれらの多くに、積雪路・非舗装路の走行を目的として4WDが設定された。その経過で1979年に生まれたのが、異端児「ワンボックスのオフロードカー」三菱・デリカスターワゴンである。「4WDの代名詞」として、スバルと覇を争っていた三菱もまた早い時期からRV車販売に注力しており、その回答が「パジェロ並みの悪路走破性とワンボックスの収容力を生かした快適性を兼ね備えた」デリカであった。レオーネがそうであったように、デリカもまた1999年のスペースギアへの移行を挟みつつ、2007年までライバル不在の状況をつくり上げた。そしてがデビューして相当の月日がたった2014年においても尚、「オフロード型1BOX系ミニバン」はデリカが唯一無二の存在である。一方、レオーネで一躍「レジャー向け4WD車」の代名詞として名を上げた富士重工も、1983年にスバル・ドミンゴを発売する。1975年に生産を中止したトヨタ・ミニエース コーチ以来のリッターカークラス乗用1BOXであった。メカニズムこそサンバーをベースに1000ccクラスに拡大したものだったが、カタログ等ではレオーネに劣らない悪路走破性が同時に喧伝された。そもそもサンバー自体が頑健に設計されていたこととも相まって宣伝文句に偽りはなく、この頃の多くのスバル車同様、爆発的にでこそないものの確実なユーザー層を構築するに至った。以前のRVは三菱・パジェロなどピックアップトラックベースのオフローダーが主流であり、トヨタもランドクルーザー、ハイラックスサーフなどで時流に乗っていた。しかしながら、実際にオフロード性能を必要としているユーザーは数少なく、またボディの大きさに比べ車室は狭く、トラックベースの乗り心地は快適ではなく、車輌の重量のために燃費も悪かったが、1980年代後半から起こったバブル経済の好況に支えられ、多くの乗用車からの乗り換えユーザーが、ファッション(ライフスタイル)としてRVを購入していた。そんな中、クロカン車としての走行性能を維持しつつ扱いやすさや、居住性、乗り心地などを乗用車レベルに向上させたスズキ・エスクードが、1988年に登場し、ライトクロカンのジャンルを築き上げ、人気を博した。一方、トヨタ・RAV4がRVに与えた影響という観点から見ると、同年1994年はホンダからオデッセイが投入された年であり、多くの日本のメーカーが自社製オデッセイを求めた結果、ミニバンブームへとつながっていく。1990年にはトヨタがエスティマをマツダがMPVを投入していたが、両車は当初、高価なグレードしかなく、一般的な普及率は低かった。カテゴリとしてのRVはオデッセイの登場により大きく概念を変え、(ホンダ自体は初代オデッセイをミニバンとは決して呼ばなかったが)後にミニバンとよばれる車がRVに組み入れられるほど(のちにはミニバン自体がカテゴリとなる)の影響力であったが、一方のRAV4の登場では、RV市場への影響はそれほどでもなかった。ライトクロカン自体は上記の1988年のスズキ・エスクードが行きわたっていたことや、ジムニーなど、より小型のオフロードカーもあったことで、業界関係者が目を見張る内容の割りに、一般ユーザーには、RAV4の新しさとしてのインパクトは伝わりづらかった。1995年、レガシィツーリングワゴンをSUV風にアレンジした「レガシィグランドワゴン」(後の「レガシィランカスター」、現在の「スバル・アウトバック」)を日米同時投入し、「クロスオーバー」を具現化。1997年には、スバル・フォレスターがステーションワゴンとSUVの融合という形で「クロスオーバー」をより具現化した。1997年、トヨタがカムリをベースとして、凡庸な設計ではあるものの、スタイリングや動力性能に優れた高級クロスオーバーSUV、ハリアーを日本市場に投入した。それまで、SUVは高額ではあったものの高級車としては認知されていなかったが、これを機に高級車として市場に受け入れられるようになった。2001年には三菱・エアトレックがフォレスターを追随するように登場。そして2006年、スズキ・SX4が「スポーツコンパクトとSUVのクロスオーバー」という形を提示した。これにより全てのジャンルでSUV化が計られた。しかし、一方で、日本では2000年を過ぎるあたりからSUVをカテゴリとして自動車業界自身がマーケティングに使用するようになった。従来はRVカテゴリにあった「クロスカントリー車輌(オフロード車)」および「ライト・クロカン(軽量オフロード車と乗用車ベースのオフロード風車)」を置き換える用語となった。この時点でもまだ日本ではクロスオーバーというカテゴリはまだ一般に使用されていなかった。一方、自動車ジャーナリズムでもSUVが根付きはじめた2004年頃から、乗用車ベースの車両を米国同様にクロスオーバーと表現するようになってきた。日本では税もふくめてSUVとクロスオーバーSUVを法律上明確にカテゴライズする必要性がないこともあり、メーカーの表現が変わるのはこれからと見られる。しかし、RVブームとそれに乗ったメーカーのムーブメントには、大きな「罪」の部分もあった。RV車といえど「3BOXセダンと同様の装備はあって当然」という風潮を作り出し、それはバブル経済の影響もあって、RV車の過剰なラグジュアリー(高級・豪華)化をもたらした。これ以降、日本からは本来ヘビーデューティー4WDに属するべき車種までもがオンロード走行に配慮したクロスオーバー車となってしまい、本来のクロスカントリーカーの姿を求める趣味層からは「日本にはレンジローバーやゲレンデヴァーゲンに匹敵するクロスカントリーカーはない」と言われるまでになってしまった。唯一、頑なにオフロード走破性と耐久性を求め続けているのがジムニーである。ジムニーは世界最小排気量のヘビーデューティー4WDでありながら「国産最強の4WD」と呼ばれるまでになった。米国では多少事情が違っていた。すでにスズキ・エスクードがGM傘下で、1989年からジオ・トラッカー()として投入されていたにもかかわらず、GMのSUVの元ではそれらは注目を浴びていなかった。しかし、1995年8月、富士重工業が当時低迷していた北米市場での活性策を計るため、徐々に売れ始めていたレガシィのアメリカ向けに新開発されたの2.5ℓ水平対向エンジン搭載車をベースに、かつて販売していたスバル・ブラットのコンセプトを加え、オールウェザータイヤ、200mmのロードクリアランスとゆったりとした乗り心地を与え、内外装によりラギッドテイストを付加した新タイプ、「レガシィ・アウトバック」を、日米同時発売した。(日本国内は「レガシィ・グランドワゴン(GRAND WAGON)」)当初「SUW(スポーツ・ユーティリティ・ワゴン)」という新しいカテゴリーのクルマとして、"The World's First SUW"(世界初のSUW)、"The Best of Both World"(乗用車とSUVの双方の長所を兼ね備えた)というコピーで投入され、当初はアメリカ市場での販売は芳しくなかった。しかし、現地S.O.A(スバル・オブ・アメリカ)の地道な努力が実り、1年ほどで販売は好調に転じ、アメリカにおけるスバルの主要ラインナップとして富士重工業の経営建て直しに非常に大きな貢献をし、今日においても全世界で人気を博している。また、欧米におけるこの種のワゴンの隆盛の中心となり、後のクロスオーバーSUVの方向性を決定付けた。2000年代以降に地位を確立したクロスオーバーSUVの、直接の始祖―原点としても差し支えない存在である。1998年には1997年2月から日本で販売開始していた同様のコンセプト車、スバル・フォレスターも米国投入する。1996年、トヨタがカローラ / セリカのドライブトレインを利用したRAV4を北米市場に投入する。この車は一般的なSUV同様に視点が高く、そこそこのユーティリティーを備え、四輪駆動も選択できるというSUVの利点と、ハンドリングや燃費がよいという、乗用車の利点を併せ持っていた。米国自動車ジャーナリズムは、それまでのトラック出自のSUVに対するRAV4の洗練度をして、ようやくこの種の車を『クロスオーバー』という「新カテゴリ」名で呼ぶようになった。1997年2月、ホンダもトヨタの動向をにらみ、シビックをベースとし、日本国内で1995年から発表されていたCR-Vを、米国ホンダの要請で北米投入したが、売れ行きは悪くはなかったものの、RAV4共々サイズが小さいことが影響して、当時はマーケットを席巻するまでに至らなかったが、RAV4とともに北米市場に合わせるように大型化するにつれ、後に人気を博していった。さらに、フォード買収以前から準備されていたボルボ・850ベースのV70 XC AWD()が1998年モデルとして投入されている。これは後にXCシリーズとして独立発展する。ユーザーの視点からは、「レガシィ・アウトバック」同様ステーションワゴンをベースに、より車高を上げてSUVのスタイルとメリットを享受できるクロスオーバーSUVであった。1999年、ハリアーを日本市場で高級車として導入成功したトヨタ自動車は、同車種をレクサス・RXとして米国に投入した。レクサス・RXは大きな反響を呼び、これにてようやくクロスオーバーSUVが、米国でも高級車カテゴリとして認知されるようになるきっかけとなった(その点でレクサス・RXもクロスオーバーSUV分野で大きな功績を残したといえる)。レクサス RXの米国での成功は、SUV市場の成り行きを見守っていたVWやBMW、メルセデス・ベンツなど欧州高級車メーカー勢をも刺激することになり、同様のアプローチを行った。2000年、BMWは米国でデザインされたX5(E39 5シリーズベース)を北米へ投入。これは、1994年にローバーを買収したことで、レンジローバーの技術とマーケットに触れたことも、強い動機となっている(ランドローバーは後にフォードに売却された)。これまでSUVを手がけたことがなかったBMWであったが、X5はその驚異的な走りから、瞬く間に各メーカーのベンチマークとなった。より小型のX3がそれに続き、2004年モデルとして2003年後半、北米に投入された。クロスオーバー車が認められると、米国では、エスクード(現地名:グランドヴィターラ)は、コンパクトSUVとして、RAV4、CR-Vはコンパクト・クロスオーバーSUVとして、レクサスRXやメルセデス・ベンツ・Mクラス、BMWX5は、ミッドサイズ・ラグジュアリー・クロスオーバーSUVとしてそれぞれの車格に応じたマーケットを確保した。以降、日産ムラーノ、アキュラRDX、マツダ・CX-9、マツダ・CX-7、Lincoln MKX等次々と登場し、2010年代に突入するとRAV4やCR-Vよりも更にコンパクトな日産・ジュークやビュイック・アンコールなども登場し、さらに選択肢が広がった。

出典:wikipedia

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