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電気グルーヴのオールナイトニッポン

電気グルーヴのオールナイトニッポンはニッポン放送の深夜放送・オールナイトニッポンで電気グルーヴ(石野卓球、ピエール瀧)がパーソナリティを担当したラジオ番組。土曜2部で開始後、火曜1部に昇格。1991年6月~1994年3月に放送された。電気グルーヴは当初3人構成のグループであったが、もう1人のメンバーであったCMJKは土曜2部第1回の直前に脱退。後に加入したまりん(現・砂原良徳)は口下手なため自ら進んで番組へ出ようとはせず、たまにゲストとして、または石野卓球の失踪時やピエール瀧の病欠時に於けるピンチヒッターとして登場するに留まった。1991年6月川村かおりの後を継いで土曜2部を担当。当時は全くもって無名だったが、その数ヶ月前に月曜1部で2時間のスペシャル番組を担当した事や、「東京サウンドバズーカ音姫絵巻」内の10分番組「電気グルーヴのビリビリ行こうぜ」での実績を買われて2部のパーソナリティに抜擢された。なお、当時の月曜1部枠は同じナゴムレコード出身の大槻ケンヂが担当していた。番組第1回において、オールナイトパーソナリティを務める事を「お猿の車掌に新幹線を運転させるようなもの」と自評している。しかし、2人の過激なトークと投稿ハガキの質の高さから番組の人気は徐々に上昇。番組開始当初の聴取率は測定不可能という意味の『※』だったが、その後当時放送されていた2部の全番組はもちろん、1部の「さくらももこのオールナイトニッポン」をも上回わり、「大江千里のオールナイトニッポン」と肩を並べる聴取率を獲得したこともある。また、ハガキの量も2部時代は断トツだったといわれる。この勢いを買われ、1992年10月にはとんねるずの後を受けて火曜1部に昇格した。1部第1回放送は瀧の「うんこ」の連呼で幕を開けた。電気グルーヴ自体の知名度も上昇しつつある頃で、テレビなどでの露出が増え出したのもこの番組が追い風となったのは間違いない。1994年3月には番組が終了。番組内でさんざんいじり倒してきた石川よしひろに番組枠を奪われるという素晴らしいオチがついた。最終回ではこの告知を「石川よしひろのオールナイトニッポン」のトークから引用し、石川の酒に酔ったような独特の口調を聞いて「後から来た酔っ払いに新幹線の指定席を取られたようなもの」と切り捨てた。最終回はフリートークや常連への電話コーナーなどをまじえながら、特に湿っぽい雰囲気になることもなく、さらっと終了した。そして、リスナーやはがき職人たちに翌週から始まる「石川よしひろのオールナイトニッポン」に茶化しやいたずらのはがきを送るよう煽りを入れ、最後まで悪乗りを忘れない放送となったが…「アニキ(石川よしひろ)をよろしくな!」と応援する声も次リスナーへ送った。この番組の影響としては次のようなものがある。浅草キッドとはオールナイトのパーソナリティ同士というきっかけで交流を深め、その後2組でライヴ・イベント「2階からぎょー虫ぶら下げおじさん」を行なった。伊集院光は元来電気のファンであり、前放送枠伊集院光のOh!デカナイトの番組を担当していた頃はよくそのままオールナイトに出演し、嬉々として瀧や石野にいじめられていた。その後も電気のテレビ番組に出演するなど公私ともに電気と交流があり、実際プライヴェートでも伊集院と瀧は親友であった。彼のラジオでのトーク・スタイルは電気に強く影響を受けているとよく評される。他にもタレントの乾貴美子は学生時代この番組の陰毛イベント(企画の罰ゲームで作らされた伊集院光のチン毛で作った筆の筆下ろしをした)に参加するほどの熱狂的ファンであったり、岡村隆史(ナインティナイン)や土田晃之(U-turn)はオールナイトニッポンを担当するにあたって番組づくりの参考にこの番組を研究したそうである。現代美術家の境貴雄は"シニカルな笑い"の性質を含む自身の作風に大きな影響を与えたものとして、中学生の頃に聞いていたこの番組を挙げ「カセットテープに録音して、テープが擦り切れるくらい何度も何度も繰り返し聴いていました」とインタビューで語っている。一方、電気は自分達がかつて欠かさずエアチェックしていた番組として、「ビートたけしのオールナイトニッポン」、「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」、坂本龍一の「サウンドストリート」などを挙げている。これらの番組で展開された当時センセーショナルだった笑いと音楽のエッセンスは、本番組にも脈々と受継がれていた。当番組終了後は「伊集院光のOh!デカナイト」内で「ビリビリ行こうぜ」が復活。藤波辰爾の曲をフィーチャーした「マッチョドラゴンのコーナー」(有名人が企画盤で歌わされた曲を紹介する)が話題に。途中でホスト番組の「Oh!デカナイト」は終了するものの、「キャイ~ン天野ひろゆきのMEGAうま!ラジオバーガー!!」内に継続され、1995年まで放送された。その翌年の1996年にはTOKYO FMにて「電気グルーヴのドリルキングアワー」がスタート。こちらは途中からパーソナリティに砂原良徳も加わり、1997年まで放送された。そして1999年、約5年ぶりに「オールナイトニッポン」に一夜限りのWIREプロモーション特番として復帰を果たす。この特番は翌年のWIRE開催時も放送されたが、「石野放尿裁判」(酔っぱらった卓球が、瀧の家のタンスの引き出しに放尿した事件)など、レギュラー放送当時以上にぶっ飛んだ内容と天久聖一の放送禁止発言が災いしたのか、二回で終了している。2000年には「QuickJapan」誌 vol.33において、『100% 電気グルーヴのオールナイトニッポン』と題し、数々の取材と各種放送データを掲載した大々的な特集が組まれた。ちなみに、石野の1998年発売のセカンドソロアルバム『BERLIN TRAX』に収録されている「Alles nach Nippon」という曲のタイトルは「オールナイトニッポン」を独語訳したものである。当時の生放送終了後から家路につくタクシーの中から観た高速道路の深夜から夜明けの情景をイメージしたものであるという。土曜2部時代火曜1部時代1992年2月1日と1992年8月29日の番組の放送中に大きな地震が発生。2部時代1992年2月1日放送時に発生した地震では関東地方で震度5(当時の震度)を観測し、その瞬間に聴取率が大幅に上昇することを見越した2人は、ここぞとばかりに自らのバンドのプロモーションや番組の宣伝を行った。瀧は「揺れに合わせて体を動かせば大丈夫」などとネタトークも展開。地震速報を伝えるアナウンサーの前で下半身を露出するなどおどけていたが、地震のあった関東地方をカバーする局はそのまま速報番組へと移行し、放送が終了までそれが続いた。地震の影響のない地方ネット局ではそのまま番組を続行し、音楽を中心とした普段とはやや毛色の違う内容で放送された。なおこの放送を録音したカセットテープが後日番組内でプレゼントされている。1992年のバルセロナオリンピックの開会式の中継のため、ニッポン放送のみ番組が休止となった。地震のときと同様、地方ネット局のみの放送となり、ここぞとばかりに東京では流せないような毒まじりのトークを冒頭から行っている。三波春夫とのコラボイベントのちぐはぐさについて、2人の本音がここで暴露された。番組ゲストに催眠術師が登場。スタジオで石野が催眠術にかけられ、海援隊の『贈る言葉』を歌わされる姿を瀧が爆笑しながらレポートした。石野は後の番組で「正直に言うけど、(俺は催眠術には)かかってねぇ」と暴露している。別の日の放送後には伊集院に「細川ふみえ」になる催眠術をかけ面白がった瀧が「胸もませて~」と胸を触ろうとすると催眠術によって男からセクハラを受けた形となった伊集院が「キャー!」と絶叫、パニックに陥りエレベーターの1Fを連打し社内から飛び出そうとして大騒ぎになった。当番組と『伊集院光のOh!デカナイト』との連動企画で、西武ライオンズ球場(当時)を借り切って、ゲストを呼び番組対抗『ファミスタ』対決を行うというイベントが開催された。その中で電気グルーヴは、ライブアクトの最中にグランドを走り回り、バックネットやフェンスによじ登って尻を出すなど大暴れ。それが原因で西武球場関係者が激怒し、バンドとニッポン放送関係者ともども、西武球場出入り禁止となってしまった。なおこのイベントの朝には、1人電車で会場入りするまりんを駅でリスナーが応援するというドッキリ企画や、暇なリスナーを前日のニッポン放送前に集合させ、その中から選出した数人にイベント当日のステージで『MUD EBIS』を歌わせるといった複数のミニ企画が同時に行われた。ゲストなどが別の番組としてトークするコーナーを突発で放送した。2部時代には放送開始の時報が鳴った直後に『ポパイとマンガさんのザックザク情報局』なるニセ番組のエンディングパートを放送。その終了後、時報を口で知らせたあと、何もなかったかのように電気の2人が番組をスタートさせ、リスナーを混乱させた。伊集院光がポパイ、天久聖一がマンガさんとなり、後にギブ&迷惑での定番ネタとなる「この番組のご意見番はワシじゃ(67歳元神主)」の捏造投稿を読んでいる。また、まりんがゲストで出たときには『まりんのミッドナイトハイウェイ』を、1部昇格後には当時BAKUを解散したばかりの谷口宗一をゲストに呼んで『まりんと谷口宗一のカモンヘイ青春』なるミニ番組風コーナーをそれぞれ放送している。前述の「深夜の使いっ走り」の特別編として、1992年9月27日のスーパーファミコンソフト『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』の発売日前日に、池袋ビックカメラにできた行列を椎名が現地レポートした。深夜3時すぎにもかかわらず、行列した人は3000人。毛布で寝ているカップル、椎名の質問に無言で首を振るだけの老人、息子を捜しに来てオロオロする母親など、さまざまな人間模様を椎名はつぶさに報告。行列に並ぶリスナーとマイクを通しての交流も行われた。土曜2部の最終回ではリスナーから過去の放送から聞きたいコーナーや出来事をリクエストさせる企画でハガキを募集したものの、実際にはそれを一切無視したデタラメの音源によるニセ総集編を放送した。内容はこのためだけにわざわざ録り下ろしたもので、石野が瀧を「顔が曲がった」と罵りケンカに発展するというシチュエーションなどを過去の出来事としてもっともらしく編集して放送したが、2時間ずっと嘘をつき続けるのはさすがに疲れたらしく、最後は2人とも適当なトークでお茶を濁した。このときは「2部の最終回だからニッポン放送前に集合しろ」とリスナーを煽るも、実際の放送は録音でニッポン放送入口に「今日の放送は録音です」という貼り紙をしておくという、この番組らしい演出がなされた。録音の後半では2人は実際に局の出入口に顔を出したが、当然ながら電気を出待ちするリスナーはおらず、他の芸能人を出待ちする女性たちを茶化してスタジオに戻っている。その後火曜1部昇格後の年末に、本当に過去の放送の総集編のリクエストを募集したが、リスナーが前回の件を警戒しほとんどハガキが集まらなかったという顛末も。別の番組で行われた野球大会において、瀧と伊集院のどちらが活躍したか賭けをして、勝負に負けた伊集院を新宿二丁目に送り込み、突撃レポートを行ってもらうという企画。まださほど顔が売れていなかった伊集院はゲイの振りをして、道行く歩く人に声をかけたり、コンビニ風のアダルトショップでゲイビデオを買わされたあげく、袋に入れず裸のまま持ち帰ることを強要された。レポート中、叫び声を発する危ない人物に遭遇するも、ことなきを得て帰還したが、購入したゲイビデオは伊集院の自腹出費となり、後に番組の女性リスナー限定でプレゼントされた。当時発売されて話題になったマドンナのヘアヌード写真集『SEX』のパロディ写真集『電気グルーヴのSEX』を番組で制作。カメラマンに林家ペーを迎え、ホチキス綴じ数ページ構成の「豪華」コピー写真集を、番組の公開録音で配布した。配布会場には抽選で選ばれた男性リスナーのみが100名以上集結。ゲストに瀧が通う下着パブの「下着ギャル」2人が呼ばれ、男臭い空気の中で全員に写真集が配布された。突発的に番組中の構成を無視した2時間通してのフリートークが展開されることもあった。浅草キッドがゲスト出演したときと、伊集院光がゲスト出演したときの2回。火曜1部時代にオールナイトニッポン1部・2部のパーソナリティ達(石川よしひろ、ウッチャンナンチャン、加藤いづみ、北原ゆき&松永並子、久保こーじ、清水宏、橘いずみ(現・榊いずみ)、電気グルーヴ、2・3'S、福山雅治、松任谷由実、裕木奈江)が、「ストップ・ジ・エイズ・キャンペーン」の一環としてチャリティーソング『今、僕たちにできる事』(作詞:オールナイトニッポンリスナーズ、作曲:石川よしひろ、編曲:久保こーじ)を発表する。電気の2人は「チャリティーやボランティアというものは自分の意思でやるものであり、強制されてやるものではない」(後の特番での発言)という考えから、このCDシングルではパーソナリティとしての名前は貸しているが、コーラスのみの参加でメインボーカルでは歌っていない。発表記者会見の時もふてくされた様子で地べたに座っているという有様で、「平成の横山やすし」ぶりを見せつけた。番組放送直後の『VITAMIN』の内ジャケットの写真撮影のために富士山への出発を控え、性欲をもよおした卓球が自慰をしたいということになり、急遽発案されたギャンブル企画。瀧が『平成新造語』のハガキを読んでいる間に、卓球がトイレで目的を果たすことができるかで両者が賭けをするというもの。結果卓球は見事目的を果たし、勝利となった。負けた瀧は後に電気グルーヴ全員が出演した『ザ・スターボウリング』にデーモン小暮のメイクで登場し、トークで自分のことを呼ぶ際に必ず「我輩」と言わなければならない、という罰ゲームを喜々として行った。1993年12月28日のその年最後の放送において、ニッポン放送の男子トイレから前代未聞のウンコ実況中継が行われた。これは本番前に卓球がトイレに用を足しに行ったところ、流されずに放置された巨大ウンコを発見したため。前番組の『Oh!デカナイト』で荘口彰久アナ(当時)を容疑者扱いした伊集院に容疑を被せたり、当日局に入った芸能人リストから容疑者を予測したり、その後合流した伊集院と共に放置されたウンコをボール紙で突っついたりなど、まさに小学生男子レベルの大騒ぎを繰り広げた。前述の椎名が『ドラゴンクエストV』行列レポートを行った放送の後半に、突然謎の音楽(石野曰く「マヌケな音楽」)やシンバルの音が鳴るという放送事故が発生。普段ふざけている2人も意図しない出来事に大いに動揺した。原因は何者かがニッポン放送内の別のスタジオで遊んでいた音が放送に乗ってしまったらしい。また、2000年に『オールナイトニッポンR』の特番が放送された際、一部発言(ゲストの天久聖一の日焼けで皮がめくれるのと水素爆弾被害者の皮がめくれるのをかけた発言と思われる)を不適切と判断し、番組中に瀧がお詫びの言葉を述べている。ディレクター構成作家 

出典:wikipedia

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