ディファ有明(ディファありあけ/Differ ARIAKE)は、東京都江東区有明一丁目にあるホール。日本初の格闘技専用アリーナと銘打ち、2000年にオープンした。プロレス団体の一つである、プロレスリング・ノアが事務所、道場、合宿所を置いている。バブル期に存在したライブハウス・ディスコの「MZA有明(エムザありあけ)」は改装前の同一の建物である。MZA有明についてもこの項目で述べる。東京臨海副都心の開発が行われる約10年前の有明地区はまだ倉庫街であったが、不動産企業のエムザグループが、倉庫となっていた建物を安く借り受け、空間プロデューサー・山本コテツと角章がデザインを手がけて改装し、イベント施設として1988年7月21日にオープンした。現在ディファ有明のホールとなっている建物は、MZA時代はイベントホールとレストランが入居していたもので、もう一方の事務所棟はかつてディスコビルだったものである(現在でも事務所棟の天井裏には、ミラーボールが入ったままになっている)。ライブハウス・イベントホールの「サウンドコロシアム」、ディスコの「クラブ・ガティル」のほか、レストラン、カフェ、貸しスタジオなども併設していた。再開発が始まる十年近く前であったため、バス(「エムザ有明前」のバス停が存在した)もしくはシャトルバスを利用する以外は交通手段も無かったが、主に利用客はタクシーやマイカーを使っていた。この手法は、1980年代後半のディスコブーム、更にバブル真っ只中だった時代、都心の家賃が高騰したため、湾岸線などに存在した倉庫や工場跡を借り、内部を改装してディスコやライブハウスとしてオープンするというウォーターフロントブームの先駆けとなった。M.C.ハマーを始めとして多くの外国人タレントがライブを行い、1990年3月には24年ぶりに来日したポール・マッカートニーが同所で記者会見を行い、さらに異例のライブパフォーマンスを行った。しかしながら、1991年、バブル経済期における投機失敗により親会社が経営不振となり、MZAは閉店(閉店公演はスレイヤーによるライブ)。その後は月島倉庫がサウンドコロシアム棟を1999年まで借り受け、建物の中身をくり抜いて物流拠点としていた。月島倉庫が契約満了で退いた後、そのままになっていた建物を改装し、格闘技アリーナとして新装オープンしたのがディファ有明である。後楽園ホールに一点集中した感のある格闘技アリーナを分散させることが目的で造られた。フルサイズでのキャパシティは後楽園ホールとほぼ同規模。タイ王国の首都バンコクの近郊・郊外パトゥムターニー県のランシット・インターナショナルボクシングスタジアム的な会場となる事が格闘技関係者の間で期待されている。名前のディファは、英語のDiffer(違う、異なるという意味の動詞)に由来する。これまで出来なかったことにも挑戦し、違いを明確化したいという意思を込めて名付けられた。主な特徴は常に設置してある花道、数の非常に多い女子トイレ、キャパシティがイベント規模により自由自在に変えられるなどである。設立にあたって、全日本プロレスの仲田龍(当時。後にプロレスリング・ノア社員)が助言したため、会場内の主だった特徴は仲田のアイデアが多い。イベント会場としては、2000年7月1日の全日本プロレス大会でグランドオープン。会場内北側にはステージが設置されており、コンサートやライブでも使用することができる。プロレス・格闘技ではこのステージにも椅子を設置し、客席としていたが、ひな壇の傾斜が緩いため見づらいことが以前から指摘されていた。そのため2007年8月、新たに高さ3m・全12段の電動ひな壇を設置した(電動であるため、ステージを使用するイベントが入った場合は収納することができる)。近年はボクシング・プロレス・キックとも人気低迷が続き、格闘技団体の細分化も進む一方で、ディファや新宿FACEや新木場1stRINGなど使用料の安い小規模格闘技常設会場が都内で次々と建設されたため後楽園ホールの稼働率も下がりつつある。開場に関係した仲田は、グランドオープン直前に全日本プロレスを退社しプロレスリング・ノアへ移籍。その縁もあり、ノアは2000年6月の発足記者会見以降、ディファ事務所棟に事務所を構え、同年8月の旗揚げ戦もディファで行った。現在でもシリーズ開幕戦ではディファを使用することがある(最近では後楽園ホールでの開幕戦が多い)ほか、クリスマス大会、ファン感謝祭、プロレスリング・セムもディファで行われている。また、ディスコ棟3階の貸しスタジオはノアの道場に、旧サウンドコロシアム棟の開き部屋はノアの事務所に改装されている。このことからディファはプロレス界ではNOAHの聖地とも呼ばれる。2009年7月4日には、6月13日に試合中の負傷により急逝したノア初代社長三沢光晴の献花式「三沢光晴お別れ会 〜DEPARTURE〜」が開催され、プロレス関係者やファンなど約26,000人が参列した。その他、数多くのプロレス団体、キックボクシング、パンクラスやZSTなど総合格闘技の興行が行われている。このうち、キックボクシングの「ビッグバン〜統一への道〜」は年4回定期開催し、あらゆる格闘技団体の中で最も自主興行で利用する比率が高い(2010年3月の第1回大会はマーシャルアーツ日本キックボクシング連盟の枠内で谷山ジム25周年記念興行として後楽園ホールで開催し、ビッグバン実行委員会として確立以降22回連続でディファで開催)。また、DEEP初のケージマッチDEEP CAGE IMPACT 2009が開かれたのもこのディファである。国際式ボクシングの興行に使用されるケースは少ない。日本ボクシングコミッション(JBC)管轄下の興行は7度開催が予定され実際には6度実施された。オープンから4カ月弱で10月28日松倉義明(宮田)がメインで元世界王者ナパ・キャットワンチャイを引退に追い込むTKO、セミは内藤大助がサックモンコン・シンマナサックに3RTKO。2005年6月26日に前出の松倉・内藤の同門粉川拓也が4回戦でデビューし3-0判定勝利。2008年5月19日、同所初の世界戦として小堀佑介(角海老)がWBA世界ライト級王者ホセ・アルファロから王座KO奪取。2008年5月24日に開催される予定だったJBC管轄下の興行が前日になって急遽中止された(メインは中広大悟(広島三栄)が務める予定だった)。プロモーターのマック金平はJBCからライセンス無期限停止処分を受けている。2008年9月28日、メインで粉川が10回3-0判定勝利。2009年9月、亀田興毅(亀田)のフライ級世界王座挑戦前哨戦。2009年5月26日に同所でWBC世界フライ級タイトルマッチ、5連続防衛目指すチャンピオン内藤と熊朝忠戦が開かれたが、当初中国で予定していたこの試合が開催不可能になり、急遽ディファ有明にて特例でワンマッチ興行となった。プロモーター宮田博行はJBCから厳重注意処分。これを最後にJBC管轄下の興行は実施されていない。JBC女子部門認可前の日本女子ボクシング協会主催興行は1度のみ。2002年9月7日ライカ(当時山木)のフェザー級世界王座挑戦前哨戦でベネッテローレンに2回TKO勝利。また、ディファは自前で格闘技用リングを所有しており、テレビCM撮影で使われる他、企業イベントでも使用できる。所在地:東京都江東区有明1-3-25
出典:wikipedia
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