左 とん平(ひだり とんぺい、1937年5月30日 - )は、日本の俳優。本名、肥田木 通弘(ひだき みちひろ)。東京市王子区(現・東京都北区)出身。しまだプロダクション所属。世田谷学園高校卒業。父親は郵政省の役人で、退官後旅館業、飲食店などを手広く経営していた。高校卒業後進学せずぶらぶらしているのを見て、父親より新丸子にあるすし店の経営を任せられる。芸名の由来は、本名の肥田木をもじって「左」を、名付け親の三木鶏郎の行きつけの居酒屋から「とん平」を取った。始めは「三木」を提案されたが、嫌な顔をした為に「左」となった。長男は主婦の友社「BOYS RUSH」元編集長の肥田木隆広(ひだき たかひろ、1966年1月23日 - )。1981年1月26日、1980年5月11日にポーカー賭博を400回繰り返して行った容疑で逮捕されたが、当時帝劇『華麗なる遺産』に左が出演中だったため、翌1月27日に釈放された。森光子と親交があり、「お母さん」、「とんとんちゃん」と呼び合う仲だったいう。1957年、高校の同級生の辻しげるらと劇団を結成。後に、三木鶏郎の冗談工房に入団する。この時のマネージャーは、後の作家・野坂昭如だった。1957年にラジオの「トリロー・サンドイッチ」のメンバーになる。その後、テレビに出演。。1960年頃から新宿コマ劇場などに出演。1970年代にはテレビドラマ『時間ですよ』や『寺内貫太郎一家』などに出演。また、1973年に「ヘイ・ユー! ホワッチャー・ネーム?」(「Hey you! What's your name?」…トニー谷のギャグ「あなたのお名前何てぇの?」の英語版)という左のギャグが流行語となり、レコード化もされた。それと前後してTBSの深夜番組『ぎんざナイトナイト』で「とん平のヘイ・ユー! インタビュー」というコーナーが設けられ、銀座を歩く若い女性に「ヘイ・ユー!」の挨拶の後いろいろな質問をしていた。個性派の役者としては『楢山節考』『吉原炎上』『西遊記II』 『監察医・室生亜季子』などでお馴染み。1973年の楽曲『とん平のヘイ・ユウ・ブルース』をめぐって、スチャダラパーがデビューアルバム(1990年)でサンプリングしたのをきっかけに、若者にも評価が高まった。また、大槻ケンヂはファーストソロアルバム『ONLY YOU』(1995年)の中でもカバーをした(左とん平自身も参加)。同時期クラブシーンでもこの曲のファンキーなサウンドに評価が高まり、同じ1995年にシングルCD、およびアナログシングルで再発。その再ブームに乗って、HMV渋谷店(現在閉店)が左本人を呼んだインストアイベントを開催しようとしたが、わずか数十分のイベントでギャラ100万円を要求されたため、実現しなかった。2000年、2006年にもマキシシングルで再発されている(「東京っていい街だな」「とん平の酒びたり人生」「続・東京っていい街だな」との4曲入り)。2004年にはお笑いコンビのカンニングによってカバーされた。
出典:wikipedia
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