愛子駅(あやしえき)は、宮城県仙台市青葉区愛子中央一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)仙山線の駅である。仙台方面からの列車は大部分が当駅で折り返しとなり、以西では快速列車・普通列車合わせて毎時1~2本が運行されるのみである。「秋保温泉口」の副名を持つ。南側から、単式ホーム1面1線(1番線)と島式ホーム1面2線(2・3番線)、計2面3線のホームを持つ地上駅。開業以来の木造駅舎は単式ホームに面しており、互いのホームは仙台方にある構内踏切で連絡している。構内踏切にはスロープがあり、車椅子などが使用可能(ただし、列車とホームの間に段差あり)。駅出入口付近と北側を結ぶ歩道橋(自由通路)が設けられている。直営駅(駅長・管理助役配置)で、みどりの窓口(営業時間は6:40~21:00、途中休止時間帯あり)・自動券売機(近距離多機能券売機あり)・自動改札機(自動精算機は無し)・LEDの発車案内が設置されている。2014年3月末までは、キオスクも営業していた。管理駅として国見駅 - 奥新川駅間の各駅を管理下に置く。JRの特定都区市内制度における「仙台市内」の駅である。仙台方からは1・3番線に、羽前千歳方からは2・3番線に入線できる。出発信号機は全てのホームで仙台方・羽前千歳方双方に設置されている。下り本線である1番線は、作並・山形方面行の定期列車がすべて発車するほか、当駅折返し列車が使用する。2番線は上り本線であるが、仙台方面への折り返し運転に使用できないことと、列車が接近すると構内踏切により遮断されてしまう制約があるため、使用の割合は1・3番線と比べて低い。なお、2番線発車の当駅始発上り列車は、当駅止まりの下り列車が到着後に一旦陸前白沢駅まで回送され、再び当駅まで回送されたものである。当駅における車両の夜間滞泊はなく、仙台駅まで回送される。1960年度は869人であった。1960年代後半から1970年代前半にかけて減少し、1975年度から1981年度までは600人前後で推移した。その後増え続けて1985年度に1,111人になり、さらに増えて現在の水準になった。線路は東西に走り、駅舎の南に駅前広場がある。広場の中心にある枝垂れ桜は、愛子駅の開業時に近くの子愛観音堂から分けてもらったものである。現位置には2000年(平成12年)頃に移された。広場の南に、東西に国道457号が並走する。これは古くからの作並街道(旧国道48号)である。現在、国道48号は愛子バイパスとして駅の南約600メートルをやはり東西に走る。駅の周りは東西に長い市街地で、北は約600から800メートル先を流れる広瀬川まで住宅地である。1987年の合併までは宮城町の中心駅であり、国道48号の手前にある仙台市宮城総合支所はもとの町役場である。同支所の敷地内には図書館などが入る広瀬文化センターなど市の複合施設が立地する。その南は水田で、さらに南に錦が丘の住宅地があり、山林・丘陵地につながる。駅前広場からは、県道134号愛子停車場線が南に伸び、国道48号との交点で県道132号秋保温泉愛子線に通じる。バス停は駅ロータリー内の"愛子駅バス停"と、駅から南の国道457号に設置されている"愛子駅前バス停"がある。設定本数は愛子駅前バス停が多いが、駅から離れた国道沿いにバス停が設置されている。駅前ロータリーに設置されている。国道457号上にある。1929年に仙山東線の終点駅として開業した。関山街道の愛子宿の近くにできた駅で、当時の広瀬村の中心駅であり、合併して宮城村(後に宮城町)ができるとその中心駅となった。西に路線が延長されるまでは、機関車の転車台を備えていた。2001年、皇太子徳仁親王夫妻の長女である敬宮愛子内親王(「愛子」の読みは「あいこ」)の誕生によって全国的に有名な駅になった。入場券は普段1日1枚ほどしか売れないが、名前が発表された12月7日には記念に買い求める行列ができ夕方までに1000枚以上売れた。JR東日本によると、7 - 11日の5日間で約3万3200枚売れたという。2007年現在までに駅の改装および案内板設置が数回行われている。
出典:wikipedia
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