LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

カブトシロー

カブトシローとは日本の競走馬である。1967年秋の天皇賞や有馬記念に優勝した名馬であるがムラ駆けが多く、エリモジョージと並び評される稀代の癖馬として有名で、人気になると凡走し人気が下がると好走して穴を開けることから「新聞の読める馬」とも呼ばれた。※馬齢は、旧表記(数え年)で統一する。1962年3月24日、カブトシローは西山正行が預託していた牧場で誕生した。小柄だったこともあり当初の評価は芳しいものではなかった。西山の息子であり、のちの西山牧場社長である西山茂行も、事情を知るまでは「何でこんな馬を買ったんだ?」と思っていたほどであった。西山正行がカブトシローを初めて目にしたのはカブトシローが競走馬デビューしてからであった。カブトシローのデビューは、3歳時の福島競馬場(1964年7月19日)である。2戦目に勝ち上がるもその後はなかなか勝てず、4歳時には何とか2勝を積み重ね皐月賞と東京優駿に出走しているが、皐月賞12着・東京優駿5着といずれも敗れている。中央競馬では戦後最大とされる八百長事件である「山岡事件」が発生(1965年3月6日)したのもこの4歳春のことである。その不正敗退行為が行われた「たちばな賞」では、カブトシローはのちにこの事件で逮捕されることになる山岡忞騎手を鞍上にして勝ち馬となっている。その年の末にカブトヤマ記念で初重賞制覇を達成したが、本格化には至らず翌春のオープン戦を最後に勝利から遠ざかっていく。春の天皇賞で2着1回・3着1回、有馬記念で2着と好勝負を演じるものの、1度も勝てずに20連敗を喫し、6歳の春にはカブトシローは西山のもとを離れ志賀泰吉に金銭トレードされることとなった(事情は後述)。ステイヤーズステークスと秋の目黒記念を1番人気で惨敗(目黒記念は最下位)したが、次に出走した秋の天皇賞では14頭立て8番人気の人気薄ながら内埒沿いから抜け出し勝利を収め、続く有馬記念でも向こう正面からのスパートでリユウフアーロス・スピードシンボリなどの強豪を抑え同競走史上最大着差(当時)となる6馬身差で圧勝した。だが、この年の啓衆社賞年度代表馬の座はスピードシンボリに奪われた。このあとも人気が上がったアメリカジョッキークラブカップとオープン戦では敗れ、2番人気に落ちたオープン戦では大差で圧勝するなどムラなところを見せ「新聞の読める馬」と呼ばれるようになる。その後は大レースには勝てず、7歳を最後に引退した。引退レースとなった有馬記念は5番人気で11頭中10着であった。気性が非常に荒く、長距離レースで1周目で騎手が抑えてもラストの直線と勘違いし無理に暴走するなど騎手泣かせの馬で、のべ11人もの騎手が騎乗している。引退後は日本軽種馬協会で種牡馬となり、九州で繁殖生活を送ったが、1983年になって種牡馬登録を抹消する際に殺処分されそうになるところをファンの猛抗議で救われ、1987年老衰により死亡するまで功労馬として宮崎で余生を送った。産駒にゴールドイーグル(大阪杯・マイラーズカップ)などがいる。重賞勝ち馬を輩出し、同期のコレヒデよりも良好な種牡馬戦績を残している。スマノダイドウの実の父はカブトシローではないかという疑惑が持たれていた。両親ともに毛色は栗毛であり、遺伝法則からその産駒は必ず栗毛になるはずであるがスマノダイドウは鹿毛で登録されるという矛盾もあり、テンプラ疑惑が持たれたが真相は不明である。※ 太字の競走は八大競走。カブトシローの名前の由来であるが、「カブト」は祖母の父にあたる名馬・カブトヤマから採られたものである。冠名の「シロー」は、当時西山が銀座で所有していたナイトクラブの名前からである。牝馬でも「シロー」の冠名を付けた馬がいた。なお、マジンガーZの主人公兜甲児の弟「兜シロー」の名前は本馬に由来している。カブトシローの6歳時に起こった金銭トレードは、「カブトシローは走らないから売り飛ばされた」という簡単な話ではない。当時西山は1966年に自分の牧場(西山牧場)を開設したばかりで、生産馬の売込みを図っていた。そのとき持ち上がったのが、志賀へのカブトシロー金銭トレードの話であった。その金額は、当時の有馬記念優勝賞金(1200万円)に匹敵する1000万円という破格の金額であった。これだけの高額で評価されている以上、走る可能性は充分あり、トレードされた元愛馬の快走劇を見たくないという西山側の心情的な理由もあり、トレード条件に「地方競馬移籍」を出したほどであった。事実、落馬競走中止をのぞく2回の最下位があるが二桁着順の惨敗はなく、堅実に賞金を稼ぐ馬主孝行な馬ではあったものの、1年以上連敗していた事実は変わりなく、この辺がトレードに発展した下地となっている。ただ一方で、西山正行の息子である西山茂行は、カブトシローがそもそも西山牧場の生産馬ではないことなどを理由に、上記の背景は「今になって思えば、西山正行の自分に対する言い訳に過ぎない」として、「真相は春の天皇賞2着で頭に来て、魔が差したように売ってしまった、ということであろう」と語っている。売却後は地方移籍の予定だったが「調子が良いのでせめて年内だけでも」という久保田彦之調教師の要望もあり、急遽中央競馬での現役続行となった。その結果の天皇賞と有馬記念の劇走であった。その後、売却料は志賀の破産のために半分しか支払われていない。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。