キリバス共和国(キリバスきょうわこく)、通称キリバスは、太平洋上に位置するギルバート諸島、フェニックス諸島、そしてライン諸島の一部等を領土とする国家で、イギリス連邦加盟国である。キリバスは33の環礁からなり、それらは赤道付近に350万km²にも亘って散らばっている。そのために世界第3位に相当する排他的経済水域を有している(但し陸地が少なく領海や接続水域も少ない為、これらを含めると15位にも入らない)。世界で最も早く日付が変わる国でもある。正式名称は、Republic of Kiribati。通称、Kiribati。キリバス語での発音は「キリバシ」または「キリバス」のように聞こえる。日本語の表記はキリバス共和国。通称キリバス。また、漢字を使った当て字では「吉里巴斯」と表記する。国名は1788年、クルーゼンシュテルンらが島を発見したイギリスの水夫、トマス・ギルバートにちなみフランス語でジルベール諸島 (îles Gilbert) と名づけたことに由来する。キリバス語はg音やl音を欠くため、英語読みの「Gilbert」が転じてキリバスとなった。先住民は、約2000年前西方からカヌーに乗ってやってきたミクロネシア系の人々であった。最初の来航したヨーロッパ人はスペイン人航海家で、1537年にクリスマス島(現キリティマティ島)を望見した。1777年にはイギリス人のジェイムズ・クックが来島し、19世紀初めからヨーロッパ人による経済活動が始まった。1892年から、ギルバート諸島は隣のエリス諸島と共にイギリスの保護領となった。1916年には植民地となり、1971年に自治領となった。第二次世界大戦中の1941年に大日本帝国に占領され、後に一部の島は要塞化された。1943年よりアメリカ軍との間に、ギルバート・マーシャル諸島の戦いといった激しい戦闘が行なわれた。1956 - 1962年、ライン諸島のクリスマス島がイギリス・アメリカ両国の核実験場とされた。 1978年にエリス諸島はツバルとしてイギリスから独立した。1979年にキリバスが独立した。独立の際、アメリカはほとんど無人のフェニックス諸島および3つの島を除くライン諸島すべての所有権を放棄し、それぞれキリバスの領土となった。独立当初は領域内を日付変更線が通過し、キリバスの時間体系は島によって日付が異なるという行政上において不便な設定になっていた。このため、1995年に日付変更線の位置を領域の東端にずらして不便を解消した。また、これによって「世界一早く新しい一日を迎える」国家になった。Maneaba ni Maungatabu と呼ばれるキリバスの議会は、4年に一度の選挙で選ばれ、44人の議員で構成される。大統領は、元首であると同時に行政府の長でもあり、Beretitentiと呼ばれる。21の有人の島にはそれぞれ地方議会があり、日々の問題を処理している。主要政党には真理の柱 (BTK)、キリバス共同体党 (MTM) の2党がある。2003年に、中華民国(台湾)と外交関係を開いた際、二重承認を希望したにも関わらず、それに反発した中華人民共和国側が断交を発表。その結果、タラワにある中華人民共和国の宇宙基地撤退で話題になった。キリバスは、3つの行政区、ギルバート諸島、ライン諸島、フェニックス諸島からなっている。これに加えて、以下の6地区がある。タラワを含む4つの地区は、ギルバート諸島にあり、住民の多くはここに住んでいる。ライン諸島には3つの島だけに人が住んでおり、フェニックス諸島ではカントン島に住民がおり、ライン&フェニックス地区を代表している。バナバの2001年の人口は約200人であるが、フィジーのランビ島に移り住んだ人々を代表するランビ指導者評議会 (Rabi Council of Leaders) がフィジーのランビ島に設立されておりバナバ及びキリバス政府と緊密な関係を保っている。キリバスは、次の4つの主な島・諸島からなる。ライン諸島にある他の3つの島は、アメリカが所有している。バナバは、隆起した珊瑚の島であり、かつてリン鉱石 (phosphate) を豊富に産出したが、現在では枯渇してしまっている。他のキリバスの島は、環礁の砂と岩の小島、または海面のせいぜい2,3m上まで隆起した珊瑚島である。土地は痩せていてカルシウムを含んでおり、コプラ(椰子の実)栽培以外の大規模農業を行うのは困難である。ライン諸島にあるキリスィマスィ島(クリスマス島、Christmas Island)は、世界最大の環礁である。また、1995年1月1日に日付変更線をずらして、世界で最も早く日付が変わる島となったカロリン島はミレニアムと新世紀の年越しを目論んで、ミレニアム島に改名された。排他的経済水域の体積は世界第3位の1640万kmを誇る。海抜の低い環礁が多いために、キリバスは近年の海面上昇で、国土の半数以上は水没の危機にある。 アノテ・トン大統領は、2007年8月に日本の読売新聞のインタビューで、もはやキリバスの水没は免れないと明言、全国民の他国への移住計画を発表した。大統領は、熟練労働者としての移住のため、キリバスでの職業訓練支援を日本、アメリカ、オーストラリアなどに呼びかけている。2014年2月11日、フィジーのエペリ・ナイラティカウ大統領が、キリバスの国土が水没した場合にキリバスの全国民をフィジーに移住させる用意があることを公式に表明した。キリバスは、ほとんど天然資源を持たない。商業的に成立しうる燐酸塩の鉱床は、1979年の独立とちょうど同時に枯渇してしまった。現在は、コプラ、観賞用魚や海草が生産および輸出の大半を占める。経済は、近年大きく揺れ動いている。経済発展は、熟練労働者の不足、インフラの未整備、国際市場から遠く離れていることにより、制約を受けている。経済成長率、物価上昇率ともに2003年で1.4%である。イギリス植民地時代にリン鉱石の売り上げの一部を積み立て歳入均等化準備基金 (Revenue Equalisation Reserved Fund) が 作られ、現在キリバス国外で運用・投資され国庫の赤字分を補填しており、残高は2005年末時点で6億豪ドル弱を記録した。キリバスの土地利用においては、農地が最大の面積(50.7%、1994年)を占めている。農業従事者は人口の10%に相当する9000人である。タロイモ(2000トン)とバナナ(5000トン)よりも、加工して輸出に向けるためのココナッツ(9万6000トン)の生産が盛ん。畜産業ではブタ(1万2000頭)、水産業も小規模ではあるが存在する(漁獲高3万1000トン)。最大作物のココナッツを加工し、コプラ(1万2000トン)を生産している。養豚により、食肉加工業も成立している(1000トン)。2001年の輸出額は729万オーストラリア・ドル、輸入額は7501万オーストラリア・ドルであり、かなり大きな貿易赤字である。輸出品は農産物と食品工業を中心とした農産物であり、輸入品は食糧、機械類、燃料である。主な輸出品は、コプラ (63.7%)、魚介類 (20.9%)、野菜 (7.7%) である。主な貿易相手国はバングラデシュ(約5割を占める)、アメリカ合衆国、マーシャル諸島、デンマーク、香港。主な輸入品は、機械 (11%)、穀物 (10.7%)、石油製品 (10.2%)、電気機械 (6.8%)、肉類 (5.9%)。主な輸入相手国は、オーストラリア(約4割を占める)、フィジー、日本、アメリカ、中華人民共和国。観光業は、GDPの5分の1以上を占めている。外国の財政支援、特に日本、オーストラリア、ニュージーランド、台湾からのものが、GDPに対しての大きな補助となっている。その額は近年では、GDPの25%から50%を占めている。海外で働いている労働者からの送金は、毎年500万ドル以上である。また広大な経済海域を持つことから、日本などの外国漁船による入漁収入が政府の総収入の3割を占める重要な収入となっている。キリバスには国営放送のBPAがあり、インターネットにおいてはというプロバイダが主流である。新聞は売店などでの販売が主流。タラワにあるボンリキ国際空港にブリスベン、ホニアラ、ナンディ、ナウルとの間の飛行機が飛ぶ。日本から行く場合は直行便が無いため、グアムやブリスベンを経由するなどフィジーのナンディまで行き、タラワに戻る格好になる。空港から中心地バイリキまでは車で1時間である。住民は、98.9%(1990年)がミクロネシア人で、他には少数のポリネシア人やヨーロッパ系人種や韓国系等の混成者もいる。言語は、キリバス語と英語が公用語である。英語よりはキリバス語の方が広く話されている。キリスト教が主要な宗教だが、固有の宗教の習慣などが混ざったものになっている。
出典:wikipedia
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