ヴァニラ・ファッジ (Vanilla Fudge) は、アメリカ合衆国のロックバンド。バンドのオリジナル・ラインナップはヴォーカル/オルガンのマーク・スタイン、ヴォーカル/ベースのティム・ボガート、ヴォーカル/リードギターのヴィンス・マーテル、ドラムスのカーマイン・アピスで、1966年から69年まで5枚のアルバムを発表、70年に解散した。その後は様々な構成で再結成を繰り返し、現在はスタイン、マーテル、アピスのオリジナルメンバーと、ツアーから引退したボガートの代わりのピート・ブレミーの4人で活動している。バンドは「サイケデリックとヘヴィメタルのリンクとなった数少ないアメリカのバンドの一つ」とされる。バンド名の由来は、当時のアメリカで販売されていたアイスクリームの商品名。2006年10月には、ロングアイランド・ミュージック・ホールで殿堂入りをした。バンドのスタイルはいわゆる「アート・ロック」に属している。1960年代後半、ベトナム戦争に端を発した価値観の転換が契機となって、芸術や音楽の分野でも、「アングラ」や「サイケ」、「ヒッピー・ムーブメント」といった動きが登場した。そんな中、約3分前後で終わるラジオ向け作品であったポピュラー音楽の在り様に対して不満を抱いた者が、演奏時間や表現手段の拡大を目指して様々な作品を発表し始めた。その流れのひとつとして、ヴァニラ・ファッジを捉えることが出来る。この「ラジオ・メディアの都合を無視した長時間の作品」という流れは、1970年代前半に全盛期を迎えた「プログレッシブ・ロック」に受け継がれることとなる。スタインとボガートはリック・マーティン & ザ・ショウメンという地元バンドで活動していた。二人はラスカルズのスウィンギン・サウンドとオルガンの洪水に感銘を受け、マーテルとバンドのドラマーであったジョーイ・ブレナンと共に、自身のバンドを結成することを決めた。当初彼らはバンド名をザ・ピジョンズとしたが、1966年にブレナンに代わってアピスが加入、バンド名もヴァニラ・ファッジと改名した。バンドはその後、ルッケーゼ一家のメンバーでニューヨークでいくつかのクラブを経営していたフィリップ・バジーレによって「発見」されマネージメントを受ける。最初の3枚のアルバム(『キープ・ミー・ハンギング・オン』『ザ・ビート・ゴーズ・オン』『ルネッサンス』)はラスカルズを通じて知り合ったシャドウ・モートンがプロデュースした。レッド・ツェッペリンが1969年初めに最初のアメリカ・ツアーを行ったとき、彼らはいくつかのショーでヴァニラ・ファッジをサポートしている。バンドの最大のヒット曲は「キープ・ミー・ハンギング・オン」である。ファースト・アルバムからシングル・カットされた同曲は、元々はシュープリームスが唄って全米No.1となった曲だが、3分くらいだったオリジナルを、スローで色彩感の強い7分の曲にアレンジし、フル・ヴァージョンを収録したアルバム、及びレコード会社の意向で3分ほどに短縮されて収録されたシングルとも全米6位まで上昇した。また、日本でも日産・180SXの前期型のCMソングに使われていた。この曲のメインヴォーカルを担当したのはマーク・スタインである。ヴァニラ・ファッジのメンバーはビートルズのファンであり、「涙の乗車券」と「エリナー・リグビー」を含む彼らのナンバーをカヴァーした。デビューアルバムの最後には「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」の一節「"there's nothing to get hung about."」が引用されている。1970年3月14日にヴァニラ・ファッジはフィル・バジルズ・アクション・ハウスで解散コンサートを行った。その後ボガートとアピスはカクタスを結成する。1972年、二人はカクタスを脱退しジェフ・ベックと共にベック・ボガート & アピスを結成した。一方残ったスタインは新たな二人のメンバー、ベースのサル・ドノフリオ、ドラムのジミー・ガルーツィ(両名ともポキプシーのディーノ & ザ・ケイヴメンのメンバー)を加えてバンドを維持しようとした。しかしそれはかなわず、結局スタインは代わりにガルーツィと共に新しいバンド、ブーメランを結成した。ピジョンズ時代の録音は1973年にドイツで『"While the World was Eating Vanilla Fudge."』のタイトルでリリースされた。1970年にバンドは解散したものの、その後数回再結成している。1982年にアトコ・レコードが『ベスト・オブ・ヴァニラ・ファッジ』をリリース、それに合わせて再結成を行った。1984年にはニューアルバム『ミステリー』を発表した。マーテルはこのときの再結成には加わらず、ロン・マンキューゾがギターを担当した。このアルバムではジェフ・ベックも「J.トード」の変名でゲスト参加している。バンドは1987年、88年に再結成ツアーを行った。このツアーにはポール・ハンソンがギターで参加した。1988年5月14日にはアトランティック・レコード40周年記念コンサートに参加、このときはラニー・コードラがギターで参加している。その後、それぞれのメンバーは他のプロジェクトに参加するため別々に活動した。1991年にアピスはテッド・ニュージェントの元メンバー、デレク・セント・ホームズ(ギター、ヴォーカル)、マーティン・ガーシュウィッツ(キーボード、ヴォーカル)、トム・クルーシェ(ベース、ヴォーカル)と共にヴァニラ・ファッジを再結成、ツアーを行った。彼らはまた、アルバム『"The Best of Vanilla Fudge - Live."』をリリースした。オリジナルメンバー3人(アピス、ボガート、マーテル)は1999年にスタインに代えてキーボードのビル・パスカリを加えて再結成、『"Vanilla Fudge 2001/ The Return / Then And Now"』をリリースした。このアルバムは以前の曲の再録と新曲3曲が収められた。2002年に病気のボガートに代わってピート・ブレミーとT.M.スティーヴンスがベースで参加、2003年にはライヴアルバム『"The Real Deal - Vanilla Fudge Live,"』をリリース、これはポール・ハンソンがギターで参加した1987年のツアーを収録した物であった。このアルバムにマーテルがギターとヴォーカルをオーバーダビングした。2003年から2005年にかけてバンドはテディ・ロンディネリがギターで加わってツアーを行った。2005年、オリジナルメンバー4人で再結成したヴァニラ・ファッジはドアーズ(ライダーズ・オン・ザ・ストームとして)、ステッペンウルフ、またある地域ではヤードバーズと共にツアーを行った。パスカリは2005年、2006年のライブにスタインに代わって参加し、その後ニューラスカルズに加わった。2006年10月15日、ヴァニラ・ファッジはビリー・ジョエル、ジョーン・ジェット、シャドウ・モートンと共にロングアイランド音楽の殿堂入りした。式典ではフェリックス・キャヴァリエが賞を授与した。2007年夏、HBOのミニシリーズ「ザ・ソプラノズ 哀愁のマフィア」の最終話で「キープ・ミー・ハンギング・オン」(パスカリのリード・ヴォーカル)が使用された。バンドはまたアルバム『アウト・スルー・ザ・イン・ドア』(レッド・ツェッペリンのカヴァー・アルバム。タイトルは『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』から。)を録音、2007年にヨーロッパのみでリリースされた。また、バンド(スタイン、マーテル、スティーヴ・アージー、ジミージャック・タンブロ)はPBSのプログラム「"My Music: My Generation - The '60s"」で「キープ・ミー・ハンギング・オン」を演奏した。2008年3月、バンドのオリジナルラインナップでアメリカツアー(ほとんどはニューイングランド)を始めた。しかしながらその夏にボガートとアピスは2006年に再結成したカクタスでの活動に集中するためバンドを離れた。スタインとマーテルはドラムのジミージャック・タンブロ、ベースのピート・ブレミーと共に「"Let's Pray For Peace,"」と銘打ってツアーを続けた。アルバム『アウト・スルー・ザ・イン・ドア』は2008年にアメリカでもリリースされる。この間、スタインとマーテルはスティーヴ・アージー、ジミージャック・タンブロと共に演奏を行った。2011年春、ヴァニラ・ファッジはフェアウェル・ツアーを開始した。ツアーのラインナップはアピス、スタイン、マーテル、ブレミーであった。2011年3月29日、バンドは「レイト・ナイト・ウィズ・ジミー・ファロン」に出演し、「キープ・ミー・ハンギング・オン」を演奏した。バンドはこのラインナップで2011年から2012年2月までヤードバーズと共にツアーを続けた。2013年現在、ヴァニラ・ファッジは定期的にコンサートを行っている。
出典:wikipedia
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