マカロニ・ウェスタンは、1960年代から1970年代前半に作られたイタリア製西部劇を表す和製英語。大半のものはユーゴスラビア(当時)やスペインで撮影された。イギリス・アメリカ合衆国・イタリアなどでは、これらの西部劇をスパゲッティ・ウェスタン (Spaghetti Western) と呼んでいるが、セルジオ・レオーネ監督の『荒野の用心棒』が日本に輸入された際に、映画評論家の淀川長治が「スパゲッティでは細くて貧弱そうだ」ということで「マカロニ」と呼び変えた(中身がないという暗喩も含んでいるという説もある)。日本人による造語であるため、マカロニ・ウェスタンという言葉は他国では通用しない。ただし、例外として韓国では両方の呼称が使われており、より多く用いられているのは「マカロニ・ウェスタン」である。「スパゲッティ・ウェスタン」という名称はやや蔑称的なのでドイツでは「イタロ・ウェスタン」という呼称が正式である。俳優などイタリア人以外が多く関与しているものは「ユーロ・ウェスタン」と呼ばれることもある。最初にイタリア製西部劇、いわゆるマカロニウェスタンを作ったのはセルジオ・レオーネ、という認識が一般的だがこれは事実ではない。最初にイタリア製西部劇を撮ったのはセルジオ・コルブッチのほうで、1963年、『荒野の用心棒』より一年も前にロバート・ミッチャムの息子ジェームズ・ミッチャムを主役にしてMassacro al Grande Canyonという西部劇を撮っている。マカロニ・ウェスタン発生の先駆となったのは一つにはカール・マイ西部劇と言われる、一連の西ドイツ映画があげられる。カール・マイは19世紀の作家で冒険小説を数多く書いた有名作家で、その作品は「ドイツ文学」に含めていいのかどうか微妙なところだが、そのなかにアメリカ・インディアンを主人公とした小説もあり、ドイツではさかんに映画化された。ロケ地はユーゴスラビア(当時)だった。そしてマカロニ・ウェスタン登場以降も引き続いてドイツでも西部劇が作られていった。マカロニ・ウェスタンには制作や俳優の面で西ドイツ映画界が相当関与しているが、それはそういう歴史的背景があるからだ。例えば『荒野の用心棒』はドイツでは「イタリア映画」とは言わずに「伊・西独・西合作」と定義されている。このように西ドイツ製西部劇がマカロニウェスタンの片親だとすると、もう一方の親はイタリア史劇映画、俗に「サンダル映画」と呼ばれた一連の映画である。イタリア映画界の巨匠フェデリコ・フェリーニをはじめとする多くの映画人が使用した欧州有数の巨大映画スタジオ『チネチッタ』が、『ベン・ハー』『十戒』などの史劇ブーム(その多くがヨーロッパにプールされていたアメリカ映画の興行収益をヨーロッパで活用するために製作された)の終焉でイタリア映画産業の斜陽から経営危機に陥り、活路を見いだすために製作され始めたものである。ジュリアーノ・ジェンマが『ベン・ハー』に出ていたことはいまや知らない人がない事実だが、コルブッチもレオーネも元々このサンダル映画出身で、レオーネは『荒野の用心棒』をとる前にB級サンダル映画を1本撮っている。後に名作『続・荒野の1ドル銀貨』を撮ったドゥッチョ・テッサリなどはホメロスの「オデュッセイア」をモチーフにしているが、他にもマカロニウェスタンをみているとギリシャ・ローマのモチーフが見て取れることが多いのはこのためである。つまりレオーネがいきなり無からマカロニ・ウェスタンを発明したのではない。それなのにレオーネが「マカロニウェスタンの創設者」といわれるのは、このジャンルの基本路線を決定したのがレオーネだからである。その基本路線とは「アンチ・アメリカ西部劇」である。ドイツにはEdelwestern「高級西部劇」という言葉があるが、当時のアメリカ西部劇、ハワード・ホークスやジョン・フォードなどの西部劇は主人公が高潔で、ストーリーもピューリタン的、清浄で見ていて気分がよくなるようなものだった。対してマカロニウェスタンは見ていると気分が悪くなるとまでは言えないが、良心などというものの皆無な主人公、その、褒められた人物でない主人公の周りの人物がそれに輪をかけて褒められないタイプの人格で、たまに高潔な人物が出てくるとたいてい殺される。処女地を開いて新しい国を作った国アメリカの誇り高い西部劇とは正反対である。また、レオーネの『荒野の用心棒』は映画音楽と絵との関係も変えた。いままでのように常にバックに流れていたオーケストラでなく、「音で絵を描く、セリフの代わりに音楽にストーリーを語らせる」方式にしたのだ。その第1作として特に名高いのが『荒野の用心棒』だった。制作費を安く上げるためにスペインでロケをし、ハリウッドの駆け出し俳優などを使って、残忍で暴力的なシーンを多用した斬新な作風が、当時の西部劇の価値観を大きく変えた。口笛を使ったエンニオ・モリコーネのテーマ曲も一世を風靡した。ストーリーは黒澤明の『用心棒』をそのまま使い、後に盗作で訴えられている。役者として招いていたハリウッドのB級俳優の中には、まだ売り出し中のクリント・イーストウッドやバート・レイノルズの姿もあり、また、ハリウッドでは悪役専門だったリー・ヴァン・クリーフが主人公に据えられたりした。イタリア人の俳優では、フランコ・ネロやジュリアーノ・ジェンマが有名であるが、この「アンチ・アメリカ西部劇路線」は後にマカロニウェスタンの中で二つのサブジャンルを生み出した。一つは「メキシコ革命もの」と言われる作品群で、アメリカではなく、メキシコ、あるいはアメリカとメキシコの国境付近を舞台に、フアレスなどが率いたメキシコ革命を扱ったもの。セルジオ・コルブッチ、セルジオ・ソリーマなどがこのモチーフを手がけている。特にソリーマは最初から社会派路線を行くマカロニ・ウェスタンを撮り続けた。『アルジェの戦い』を手がけたフランコ・ソリナスなどもいくつかのマカロニ・ウェスタンで脚本を担当している。アメリカ西部劇では主要舞台はあくまで英語圏の西部で、登場人物は英語の話者がほとんどだったのがマカロニ・ウェスタンと違う点である。もう一つのサブジャンルは、エンツォ・バルボーニなどに代表させられるドタバタ喜劇路線。これが出てくる1970年代とは、1969年ごろにその頂点に達した以後マカロニウェスタンがはっきり衰退期に入った時期だが、このドタバタ路線はある程度の成功を記して、いまだにファンも多い。この時期に有名になったのが「オリバー・ハーディ&スタン・ローレル以来の最大のギャグコンビ」といわれるバッド・スペンサーとテレンス・ヒルである。この二人を最初に共演させたのはバルボーニ、と思われることが多いが、最初にこのコンビを「発掘」したのは実はジュゼッペ・コリッツィで、その映画はハード路線のマカロニ・ウェスタンである。『荒野の用心棒』が世界中で爆発的な人気を博すると、イタリアでは1965年頃から500本以上にのぼる作品が量産されるようになる。映画に箔をつけるため、アメリカ(クリント・イーストウッド、ヘンリー・フォンダ、ロッド・スタイガーなど)やイギリス(リンゴ・スター)などから俳優を持ってくることも少なくなかったが、大半は脇役も主役もイタリア本国を始め、スペイン(アントニオ・カサス、ニエヴェス・ナヴァロなど)、フランス(ロベール・オッセン、ジャン=ルイ・トランティニャン)、オーストリア(ジークフリート・ルップ、ヨゼフ・エッガー、ヴィルヘルム・ベルガー)、西ドイツ(クラウス・キンスキー、マリアンネ・コッホ)など、ヨーロッパ大陸部全体から集められた。「ユーロ・ウェスタン」という呼称の所以である。南米ウルグアイ出身のスター、ジョージ・ヒルトンが参加しており、日本からも仲代達矢が招かれている。ソリーマの映画でスターとなったトーマス・ミリアンはキューバ出身(後アメリカに移住)、『続・荒野の用心棒』の作曲家ルイス・エンリケス・バカロフはアルゼンチン人である。イタリアからは、ジュリアーノ・ジェンマ、フランコ・ネロ、バッド・スペンサー、テレンス・ヒルたちがスターとなり、年に1、2本は大型予算を投じた作品も撮られるようになり、その代表的なものに、レオーネ監督の『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』、そしてハリウッドからヘンリー・フォンダ、チャールズ・ブロンソンらのA級スターを招いた『ウエスタン』などがある。面白いところでは、ホラー映画で有名なルチオ・フルチが、ジュリアーノ・ジェンマでマカロニ・ウェスタンを1作撮っている。予想に反して普通の映画で、決してジュリーノ・ジェンマが眼をつぶされたりはしない。さらに、ピエル・パオロ・パゾリー二が監督でなく俳優として出演している『殺して祈れ』などの作品もある。製作はほとんどイタリアのものだったが、最盛期にはロベール・オッセン監督・主役の『傷だらけの用心棒』など、ほとんどフランス人の手だけによる西部劇も作られた(脚本はイタリア人のダリオ・アルジェント)。これも「ユーロ・ウェスタン」の名の由来である。『傷だらけの用心棒』は、フランス人トランティニャンが主役を勤めた『殺しが静かにやって来る』と同様、ネガティブなラストでノワール映画的な陰鬱な雰囲気が漂っているが、『殺しが静かにやって来る』ほどの凄みはない。マカロニ・ウェスタンは日本でも人気を集め、ブームの頃にはその影響を強く受けた時代劇が作られるようになる。映画では五社英雄監督(『牙狼之介』『御用金』)や三隅研次監督(『子連れ狼』『御用牙』)など、テレビドラマでは『必殺シリーズ』、『木枯し紋次郎』、『唖侍鬼一法眼』、『斬り抜ける』など、マカロニ・ウェスタンの要素を取り入れた作品が多く作られ、若者を中心に支持を集めた。しかし1970年代に入ると、急速にそのブームは失速していった。マカロニ・ウェスタンは「既成のヒーロー像の反対を行く」というのが基本コンセプトであったため、『続・荒野の用心棒』のような強烈なインパクトのあるアンチ・ヒーロー、言い換えるなら奇をてらったヒーロー像を必要としたわけだが、その要求を満たすため様々な主人公が考え出された。棺桶を引きずったヒーロー、口のきけない主人公、盲目のガンマン、聖職者のガンマン、ホモセクシャルなどありとあらゆるヒーローが作り出されたが、あまりにも量産されてアイデアが枯渇、インパクトに欠けてしまい、観客も食傷気味になってしまった。その状態を打破するために、サブジャンルが生じたことは上述の通りである。1973年製作のトニーノ・ヴァレリ監督による『ミスター・ノーボディ』は事実上最後のマカロニ・ウェスタンと呼ばれ、これ以後は見るべき作品は生まれなかった。1976年には『Keoma』、1993年には『Jonathan degli orsi』といういずれもフランコ・ネロ主演のマカロニ・ウェスタンが作られているが、かつてのような精彩は感じられない。また、1987年には『続・荒野の用心棒』の正式な続編がやはりフランコ・ネロで撮られたが(Django 2: Il grande ritorno)、完全な失敗作に終わった。2005年には、全盛期に映画の撮影が行われたスペインの村がロケセットを西部村として観光化するも、それすら寂れていくという、マカロニ・ウェスタンの楽屋落ちのようなストーリーを描いた『マカロニ・ウェスタン 800発の銃弾』というスペイン映画が製作されている。配給会社ごとに邦題に特徴がつけられた。東和は「用心棒」、ユナイトは「ガンマン」、ヘラルドは「無頼」、松竹は「一匹狼」などである。
出典:wikipedia
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