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中山慎也

中山 慎也(なかやま しんや、1982年2月22日 - )は、群馬県太田市出身の元プロ野球選手(投手)。社会人野球のJR東海を経て、からまでオリックス・バファローズに在籍。2016年からは、JR東海でプレーを続ける。桐生南高校時代は公式戦未勝利で無名だったが、首都大学野球連盟所属の城西大学に進学後頭角を現す。大学最後の明治神宮大会の早稲田大学との試合では、後にプロ入りする鳥谷敬、青木宣親、武内晋一、田中浩康、比嘉寿光、由田慎太郎らを延長10回まで翻弄し、14奪三振。スカウトたちを唸らせた。首都大学リーグ戦通算4勝2敗。大学時代にも指名の話があったが、結局流れ、JR東海に入社。その後、2005年の大学・社会人ドラフト5巡目でオリックス・バファローズに指名され、入団。開幕一軍入りは逃したものの、4月に中継ぎとして一軍昇格。4試合登板するが結果が出ずに二軍に降格。二軍では先発投手としてウェスタン・リーグ2位の6勝、防御率1.70の好成績を残した。シーズン終盤の8月に再び一軍に昇格し、初先発の8月12日のソフトバンク戦で6回を1失点の好投。勝利投手にはなれなかったものの以降先発を任される。その後、好投するもののなかなか勝利に恵まれなかったが、9月16日の西武戦でようやくプロ初勝利。7試合に先発して2勝を挙げた。オリックスでは貴重な先発型左腕の中山は、シーズンの先発ローテーションの1人として期待された。しかし開幕一軍から外れ、交流戦で一軍昇格するも、登板機会が無く二軍に逆戻り。結局は終盤までほぼ二軍生活となった。二軍では防御率2.76で、チームメイトの近藤一樹に次ぐウェスタン・リーグ2位の6勝を記録。9月にようやく一軍に昇格し、2試合に先発して1勝を挙げた。シーズン終了後はウィンターリーグに派遣され、9試合登板で防御率3.12、リーグ最多6勝(2敗)。本場メジャーのスカウトからも注目され、オファーを受けるほどの活躍であった。12月22日には、JR東海時代から交際していた女性と結婚。平野佳寿やトム・デイビーなど先発陣にけが人が続出したチーム状況もあり、3月22日の開幕2戦目・西武戦に先発。しかし、この試合で打ち込まれて敗戦投手になると、続く3月28日のロッテ戦でも3回途中2被弾5失点KOされ、早くも二軍落ち。その後も谷間の先発として度々一軍での登板機会を得たが、課題の制球難から崩れる事が多く、わずか2勝に終わる。チームが好調でありながら、その裏腹に4度も二軍降格を経験する不本意なシーズンとなった。この年は先発陣のケガ・不調が深刻であったため、特に前半で登板機会が増えた。5月1日の楽天戦で先発。最初の2回こそ1安打に抑えるも、3回に捕まり一挙8失点。しかし、降板はさせられず、その後も5回を三者凡退に抑えた以外は毎回安打を許し、終わってみれば15安打12失点(7与四死球、2暴投)と一方的に打ち込まれながらも最後まで投げ切った(投球数148。当然のことながら敗戦投手に)。その後、2試合に先発するも結果を残せず5月16日に二軍落ちすると、一度も一軍に上がれず、結局シーズン未勝利に終わった。シーズン序盤に一度先発、7月にリリーフで4試合登板するも、いずれも結果を残せずにいた。だが、8月28日の日本ハム戦で先発を務め、初回の1死1,2塁のピンチを切り抜けると、7回まで無失点に抑える好投で、相手先発のダルビッシュ有に投げ勝ち、自身2年ぶりの勝利と、自身の本拠地初勝利(後述参照)を挙げた。また、この白星により、2007年から継続していたチームの対ダルビッシュの連敗を9で阻止した。この試合の白星で自信を掴んだか、次の登板となった9月3日のソフトバンク戦では、9回2失点でプロ初完投勝利をあげた。さらに9月10日の楽天戦では、自身が前年に12失点完投の屈辱を味わったクリネックススタジアム宮城で8回途中1失点と好投し、因縁の地で雪辱を果たした。その後は白星が伸びなかったが、自己最多の3勝を挙げ、制球難から崩れずに試合を作る機会も増えたように、成長の跡を見せた。前年度からの好調を維持し開幕から先発ローテーションの一角を任されるが、好投しながらも打線の援護に恵まれず、防御率3点台ながら4連敗を喫し2軍落ち。再昇格後初登板となった5月22日の巨人戦では延長10回からリリーフ登板し、1イニングを無失点に抑えプロ入り初セーブを挙げる。交流戦では2勝を挙げ防御率0.73と安定した投球を見せた。また、勝利した2試合とも敵地での登板のため打席機会があったが、いずれの試合も自身で安打を放って得点に結びつけている。しかし、リーグ戦再開後は再び打線とのかみ合わせが悪く、7月終了時点で対パ・リーグ球団戦では未勝利だったが、8月12日の西武戦でようやく3勝目をあげると以後は白星を重ね、9月7日の楽天戦では8回1死まで楽天打線を無安打に抑える快投を見せるなどして(試合は被安打2で1失点の完投勝利)、6連勝を挙げた。クライマックスシリーズ進出が差し掛かった場面では岡田彰布監督から金子千尋・寺原隼人に並ぶ先発3本柱とまで評価された。その後は中4日で2試合登板するも勝利に見放され、序盤から負け星が試合が先行したこともあって最終的には24度の先発で8勝9敗、被本塁打11とリーグワーストの与四球69をマークしたが、それでも自己最多の8勝を挙げ、防御率2.94と奪三振119(いずれも同僚の寺原を抜いてチーム2位)と大きく飛躍したシーズンとなった。特に左打者に強く、被打率はわずか.167だった。開幕第2戦で先発を任される。4月18日の対ソフトバンク戦でシーズン初勝利をあげるも、試合を作っても5・6回に捕まるケースが目立ち、5月30日の対中日戦では5回の投球中に足が痙攣を起こして6回に同点にされて降板した事で、岡田監督の怒りを買い、翌日登録抹消となった。6月10日に復帰後はリリーフで3試合登板し、6月25日の対西武戦で先発するも2回途中3失点で降板して以後は、完全にリリーフとして登板するようになった。7月29日の対日本ハム戦でマイカ・ホフパワーに、翌30日の対西武戦で秋山翔吾に2日連続3ラン被弾を浴び、8月10日の対ロッテ戦でジョシュ・ホワイトセルに満塁走者一掃の逆転打を浴びる等、一時期は左打者に痛打を食らう場面もあったが、翌11日の対ロッテ戦からは一転して17試合連続自責点0と安定した投球を続ける。最終的に、本来期待されていた先発では10試合で1勝3敗、防御率4.33と終わったのに対し、リリーフでは43試合で4敗を喫するも14ホールド、防御率1.48と安定した結果を見せた。この年は中継ぎとして開幕を迎えた。しかし4月11日のソフトバンク戦で松田宣浩にサヨナラホームランを打たれ敗戦投手となると、その後2試合連続で失点、23日の楽天戦では早くも3敗目を喫して二軍降格となった。比嘉幹貴の活躍やアレッサンドロ・マエストリの中継ぎ転向などもあって、8月に再昇格した後もわずか5試合の登板に留まり、対左打者の被打率が.321となるなどほとんどの項目で前年を大きく下回る成績に終わった。開幕メンバー入りこそ逃したが、4月中旬に一軍昇格すると主にロングリリーフとして起用された。5月29日の中日ドラゴンズ戦では、打球が手に直撃し緊急降板した東明大貴の後を受け、急遽マウンドに上がり1回を無失点に抑えて2年ぶりの勝利を挙げた。この年は35試合で防御率2.34とシーズンを通して安定した投球を見せ、対左の被打率も.171と改善した。9月12日には、自身と同じ群馬県出身のチームメイト(駿太・安達了一・小島脩平)と共に、同県から「ぐんま観光特使」を委嘱されている(任期は2016年1月31日まで)。2年振りに開幕を一軍で迎えたが、3月30日に出場選手登録を抹消。5月4日の対楽天戦に先発投手として一軍復帰を果たしたが、5回途中4失点という内容で、自身3年振りの一軍先発勝利を逸した。結局、一軍での先発登板はこの1試合のみで、一軍公式戦全体でも8試合の登板で未勝利。10月26日には、球団から戦力外通告を受けた。なお、通告後には12球団合同トライアウト(11月10日・草薙球場)への参加を表明していたが、実際には参加に至らなかった。2015年12月1日付で、古巣のJR東海に正社員として再入社。同社の硬式野球部にも復帰した。

出典:wikipedia

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