1号型ミサイル艇(いちごうがたミサイルてい、)は、海上自衛隊が運用していたミサイル艇の艦級。海自初のミサイル艇として、平成2年度計画で2隻、平成4年度計画で1隻が建造された。建造費は1隻あたり66億円(平成3年度計画艇)。海上自衛隊では、局地防衛兵力として魚雷艇を配備してきた。その後、魚雷よりも優れた対艦兵器として艦対艦ミサイルが台頭してきたことから、1970年代の第4次防衛力整備計画において艦対艦ミサイル装備艇の導入が計画された。このときの計画では、魚雷のみを装備した100トン型PTと、魚雷と艦対艦ミサイルを併載した160トン型PTLを3隻ずつ建造する予定であった。また同時に、最大50ノットの速力を発揮できる全没型水中翼艇として、180トン型PTHの研究開発も予定されており、こちらはポスト4次防での実用化が目標とされていた。しかし、1973年の第四次中東戦争に伴う石油輸出国機構 (OPEC) 各国の原油価格値上げに端を発した第一次オイルショック(第一次石油危機)による物価高騰の直撃を受け、防衛予算の枠内で予定隻数を達成することは不可能となり、4次防の建艦計画は大混乱に陥った。これを受けて180トン型PTHの研究開発は未着手に終わり、また魚雷艇の建造計画も縮小されて老朽更新分の2隻のみが建造されることになり、艦対艦ミサイル装備の艇は実現しなかった。その後、1980年代の61中期防において、再度ミサイル艇の整備が計画された。この際には、オペレーションズ・リサーチによる詳細な検討が行われ、大湊・舞鶴・佐世保地方隊に6隻ずつを配備するという基本計画が策定された。これは、運用コンセプト上、1つの目標に対してミサイル艇2隻で1つのチームを組み、大規模な目標に対しては2チーム4隻で対処する計画であったことから、地方隊ごとに4隻ずつを稼動状態に置くために所要の隻数として算定されたものであった。これに基づき、まず61中期防の最終年度にあたる平成2年度計画で1チーム分2隻が建造された。その後、1990年代の03中期防で4隻の追加建造が予定されたが、1992年12月18日の安全保障会議と閣議で2隻に削減された。更に、このうち平成4年度計画の1隻のみが確定とされ、残る1隻は平成6年度以降のオプションとされた。本級の最大の特徴が、全没型水中翼船型の採用である。イタリア海軍が配備していたスパルヴィエロ級から技術を導入しているが、これはもともと、アメリカ合衆国のボーイング社がアメリカ海軍の依頼で開発した「」に源流を有するものであった。船体設計はほぼスパルヴィエロ級が踏襲されており、艇体は耐水アルミニウム合金の溶接構造、上部構造物は板厚が薄いことから鋲接構造とされている。水中翼は全没構造で、前1枚・後2枚のエンテ型配列とされており、前翼のタブ(動翼)を動かして操舵を行う。旋回時は、自動コントロール装置によって傾斜角約10度のバンクド・ターンを行うことで、遠心力による乗員への影響を軽減していた。なお、後述のとおり装備面ではタイプシップとは大きく異なることもあり、重量・重心位置の制約は非常に厳しく、グラム管理での重量管理が行われた。主機関は海上自衛隊独自のものとなっている。水中翼艇であることから、翼航走(フォイルボーン)時と艇体航走(ハルボーン)時の2種類の推進装置を備えていた。翼航走時は、主機関としてはゼネラル・エレクトリック LM500ガスタービンエンジン(石川島播磨重工業がライセンス生産)によって、荏原製作所300CDW型ウォータージェット推進器1基を駆動していた。このウォータージェット推進器のための吸水口は後部水中翼の下端に設けられており、ここから吸い上げられた海水はウォータージェット・ポンプによって加速されて、マスト直下の船底にある2ヶ所の開口から噴出された。一方、艇体航走時には、いすゞマリン製造製の4サイクル直列6気筒機関である6BD1TCディーゼルエンジン(180馬力 / 2,700 rpm)によってスクリュープロペラ1軸を駆動していた。このスクリュープロペラは、翼航走時には船体取付部を軸として右舷側に90度回転させ、船底レベルより上に引き上げられていた。なお、速力46ノットは自衛艦としては最速であった。兵装は完全に海上自衛隊独自のものとなっている。主兵装は国産の90式艦対艦誘導弾(SSM-1B)であり、連装に配した発射筒を2セット、艇尾に装備する。これは陸上自衛隊向けの88式地対艦誘導弾(SSM-1)を艦載化したものであり、護衛艦に搭載されてきたハープーンの後継となる予定であったが、本型が一足先に搭載することになった。砲煩兵器も、遠隔操作型の20mm多銃身機銃に変更された。更に、OYQ-8戦術情報処理装置によってリンク 11の運用に対応し、小型艇ながら、P-3C対潜哨戒機との連携運用も可能となっていた。電子戦装置としては、マストトップにNOLR-9電波探知装置(ESM)を、また上部構造物直前にMk.137 6連装チャフ・フレア発射機を2基備えている。なお、上記の通りにきわめて厳格な重量制限が架されたことから、予備品・用具をはじめとする物資の搭載は最小限に限定されており、給食給養を含めて、陸上を大型トラック2両で移動するMLS()部隊による後方支援に依存する運用形態となっていた。相模湾で実施される自衛隊観艦式に参加した際には、航続距離と陸上支援部隊の移動速度により、母港の余市港から横須賀港までは数日かけての移動となった。3隻とも神奈川県横須賀市浦賀町の住友重機械工業追浜造船所浦賀工場で建造され、余市防備隊に新編された第1ミサイル艇隊へ配備された。しかし就役後、波浪中の船体強度や耐航性の不足が発覚し、特に冬季の日本海での運用上問題となった。また水中翼艇特有の問題として、フォイルボーンでの高速時とハルボーンでの低速時との間に速力や運動性の面で大きなギャップがあり、中速域での運用が困難であった。これらはいずれも運用上重大な制約となったことから、平成6年度以降で検討されていた1隻の追加建造は実現せず、本型の建造は3隻で打ち切られた。後継としては、滑走型船型の採用と船型の大型化によって汎用性と独立行動能力を強化した200トン型ミサイル艇が設計され、平成11年度計画より建造が開始された。2008年6月6日付で1号と2号が除籍され、残る3号は2010年6月24日に除籍された。2006年9月5日19時20分頃、青森県むつ市の海上自衛隊大湊基地に停泊していたミサイル艇3号が20mm機関砲の作動確認中、実弾4発、曳光弾2発、訓練弾4発、計10発を誤射した。基地内の倉庫、基地外の樹木に被弾痕が確認されたが人的被害、民家への被害はなかった。海上自衛隊では、事故の原因などについて調査した上、同年12月6日に関係者の懲戒処分が行われた。指揮監督義務違反により、大湊地方総監が訓戒、余市防備隊司令が戒告、第1ミサイル艇隊司令が減給、職務上の注意義務違反により、ミサイル艇3号艇長、同砲雷長、同射管員及び同射撃員が停職処分を受けた(職名はいずれも事件当時)。事故原因は、同日に日本海で行われた射撃訓練後に撃ち残した弾があったにもかかわらず、撃ち尽くしたと臆断して残弾の確認を怠り、抜弾を行わないまま機関砲の作動確認を行った、人為的ミスによるもの。
出典:wikipedia
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