やくもは、西日本旅客鉄道(JR西日本)が岡山駅 - 出雲市駅間を山陽本線・伯備線・山陰本線経由で運行している特急列車。伯備線で運行されていた優等列車の沿革についてもここで記述する。特急「やくも」は1972年3月に山陽新幹線岡山開業に伴い京阪神から山陰地方中部へ行くには岡山駅経由のルートが最速となったことから、岡山駅 - 出雲市駅・益田駅間で運転を開始。1975年3月にはエル特急に指定された。当時は気動車で運転されており、一名称の全列車が気動車で運転される列車が「エル特急」に指定されたのは初めてのケースとなった。1982年7月に伯備線全線と山陰本線伯耆大山駅 - 知井宮駅(現在の西出雲駅)間の電化により電車で運転され、これと引き換えに益田駅発着の列車を廃止した。1988年には瀬戸大橋線経由の臨時列車として高松駅発着の列車や、1990年には国際花と緑の博覧会(花の万博)への輸送対策として大阪駅 - 岡山駅間を延長運転した列車も運転された。1994年12月3日には、「やくも」のうちの速達列車を「スーパーやくも」としていたが、 2006年3月18日に「スーパーやくも」の列車名を廃止し、全列車が「やくも」に統一された。2010年3月13日には「エル特急」の指定も解除されている。「やくも」の列車名としては1959年9月には米子駅 - 博多駅間を山陰本線・山陽本線・鹿児島本線経由で運行する準急列車に使用され、1965年11月に新設された新大阪駅 - 浜田駅間(福知山線・山陰本線経由)の特急に使用されるようになったが、1972年3月に山陽新幹線の岡山開業によって、伯備線経由の特急に使用されることになった。島根県東部の旧国名である出雲にかかる枕詞の「八雲立つ」(やくもたつ)に因む。そのためか、島根県の東部を発着する列車に命名される事例が多い。2012年3月17日現在の運行概況は以下の通りである。全列車が岡山駅 - 出雲市駅間 (220.7km) で15往復(1号 - 30号)が運転されている。出雲市駅 - 西出雲駅間は回送として後藤総合車両所出雲支所に入出区しているが、1986年11月1日から1996年3月15日までは一部の列車が出雲市駅 - 西出雲駅(1993年3月17日までは知井宮駅)間で普通列車として運転されていたほか、米子駅から普通列車となるものもあった。また、1973年から1975年と1994年12月3日から1997年3月21日までは岡山駅 - 松江駅間で運転されていた列車も設定されていた。1997年3月22日の改正で運転区間が岡山駅 - 出雲市駅間に統一された。列車番号は1001M - 1030Mを使用して運転線区で変更がなく、下りは号数+1000の奇数、上りは号数+1000の偶数となっている。2011年現在の列車番号は、2008年3月15日から使用されており、それまでは1011M - 1040Mであった。岡山駅 - 倉敷駅 - (総社駅) - 備中高梁駅 - 新見駅 - (生山駅) - (根雨駅) - (伯耆大山駅) - 米子駅 - 安来駅 - 松江駅 - (玉造温泉駅) - (宍道駅) - 出雲市駅1982年7月から後藤総合車両所に所属する381系電車が使用されている。このうち、4往復の1号車にはパノラマ型グリーン車を連結した編成で運転される。原則として4両で運転されているが、6両または9両で運転する場合もある。6両編成の時は、1 - 4号車が座席指定席、5・6号車が自由席に、9両編成のときに増結される7 - 9号車はすべて座席指定席となる。2011年3月11日までは4両編成の場合は2号車・3号車が欠番になり、このとき5号車は普通車座席指定席となっていた。2007年4月3日より、順次座席改善や喫煙室の設置(ただし、2009年6月以降喫煙ルームも廃止され全車禁煙化)など、総額20億円弱の工事費をかけた大規模更新工事が行われ、2010年8月2日から全列車がリニューアルした「ゆったりやくも」で運転されている。総額20億円弱という更新工事費は、1両あたり約2億円とされる振り子式特急形車両の新造費の20%近くにのぼる金額である。種別・行先表示器の字幕は白地に紺文字で、JR西日本オリジナルの黒地に白字表示ではない。リニューアル車両はLED式に変更されている。「ゆったりやくも」へのリニューアルで塗装は白をベースに窓回りを赤く塗ったものとなった。これは、大山の冠雪の「白」と、出雲大社の巫女の「赤」をイメージしたものである。なお、「ゆったりやくも」への改造工事による予備車不足のため、多客期に日根野電車区所属の381系6両編成1本(国鉄色編成)が3両ずつに分割されて、「やくも」の増結車両として使用されていた。1987年から普通車指定席の座席が従来の座席を改造したバケットシートに変更された。リクライニング機構はそのままであるが、座席モケットの色はピンク色と赤紫の2色となり、座席背面に大形テーブルが設けられ、廊下には赤色のカーペットが敷かれた。このとき車体塗装は国鉄色のままであった。この後、自由席車も座席の改造が行われた。1994年12月から運転開始された「スーパーやくも」に対しても座席などの改造が行われ、塗装も薄紫色地に青紫・白・赤紫の帯が施された。この時からパノラマグリーン車の連結も開始している。さらに、「ゆったりやくも」化の対象となる前に全般検査での再塗装を行った車両は、緑と灰色の「やくも」色に塗り替えられている。2015年3月に「北越」が廃止されて以降は、JR発足以前の車両のみで運行される唯一の定期電車特急となった。2015年10月に『こうのとり』・『きのさき』・『くろしお』・『はしだて』の車両が381系電車から287系電車・289系電車(683系電車の直流化改造)に置き換えられて以降は、唯一381系電車で運転される定期電車となった。1972年3月15日から1982年6月まではキハ181系気動車が使用されていた。付属編成は岡山駅 - 米子駅間で基本編成に連結され、最大で11両編成で運転された。運用開始直後は基本編成7両+付属編成3両だったが、1975年3月15日以降は基本編成8両+付属編成3両となった。伯備線・山陰本線電化の際、上越新幹線開業で余剰となる183系1000番台を転用する計画もあったが、伯備線では曲線区間が多く電車化による時間短縮効果が得られないため、この計画は取り止めとなった。全区間で振り子装置が作動するため、曲線部の多い伯備線内でも高速運転が可能となっている。1958年に京都駅 - 大社駅間の急行列車として運転を開始した。これは、1953年3月から岡山駅 - 松江駅間で運転されていた快速列車の運転区間の延長と列車種別が変更されたものである。この快速列車は、それまで普通列車のみ走るローカル線に過ぎなかった伯備線が、大阪 - 山陰地方間のルート(山陽・伯備線)としては主要ルートであった福知山線経由よりも距離が短く、山陽本線内では速度も速いという長所を生かし、陰陽連絡の主要路線となる契機となる列車であった。運転開始当初の急行「だいせん」は、京都駅 - 岡山駅間は「宮島」と、1961年から「さつま」と併結運転が行われた。1961年からは客車から気動車に変更され、京都駅 - 大社駅間の所要時間も1時間近く短縮された7時間37分 - 44分で運転されていた。1963年から赤穂線経由で運転されていた。1968年に大阪と山陰地方を結ぶ急行列車に「だいせん」の列車名が使用されることになったことから、伯備線経由の「だいせん」は「おき」に改称され、1969年には相生駅 - 東岡山駅間も山陽本線経由に改められた。山陽新幹線の開業によって伯備線にも新幹線連絡の特急列車が運転されることが確実となったため、それへのつなぎとして1971年に「おき」は特急列車化された。これに伴い、運転区間が新大阪駅 - 出雲市駅間に変更され、初めて伯備線で特急列車が運転されることになった。これはキハ181系の慣らし運転を兼ねる列車であったが、新幹線開業後の伯備線経由の特急列車は「やくも」と命名されたため、「おき」の名称はわずか1年で廃止された。列車名の由来は、「だいせん」は鳥取県にある大山、「おき」は島根県の隠岐諸島である。陰陽連絡列車として、岡山駅 - 出雲市駅間の準急列車として1960年に運転を開始した。翌年には、運転区間が宇野駅 - 博多駅間に大きく拡大されたが、石見益田駅(現在の益田駅) - 下関駅間は5両編成のうち、3両は山口線・山陽本線経由、2両は山陰本線・長門市駅経由で運転され、石見益田駅・下関駅でそれぞれの編成が増解結を行っていた。1965年に博多駅の乗り入れが廃止され全編成が小郡駅発着に変更された。1966年に急行列車として運転されるようになり、1968年には急行「たまつくり」を統合して2往復になったが、1975年に米子駅と益田駅で「伯耆」、「石見」、「つわの」に系統分割されて消滅した。車両は、キハ28系・キハ55系が使用されていた。1962年に三原駅 - 出雲市駅間で運転を開始した準急列車であるが、設定時間帯は厳しく、利用客も伸びないことから1965年に運転区間が宇野駅 - 出雲市駅間に変更されるとともに、「たまつくり」に改称されて廃止された。「たまつくり」は1966年に急行列車化されたが、運転時刻は「皆生」とほぼ同様の時刻で運転された。運転経路は「しんじ」と同じであったため、1968年に「しんじ」に統合され、愛称名としては廃止された。1972年には旧「たまつくり」の系統を引く「しんじ」1往復が出雲市駅 - 浜田駅間を延長している。列車名の由来は、「皆生」が鳥取県米子市にある皆生温泉から、「たまつくり」は島根県松江市にある玉造温泉である。「しんじ」の旅客流動にあわせた運転区間の変更により、1975年に岡山駅 - 米子駅間で運転を開始した急行列車である。2往復が運転され、特急「やくも」の補助列車の使命を持っていたが、1982年に伯備線の電化により「やくも」に吸収・統合される形で廃止された。列車名は鳥取県西部の旧国名である伯耆が由来となっている。
出典:wikipedia
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