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上野駅

上野駅(うえのえき)は、東京都台東区上野七丁目および東上野三丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東京地下鉄(東京メトロ)の駅である。当駅は、日本の鉄道黎明期に日本初の私鉄である日本鉄道が、上野 - 熊谷間の第一区線(現在の高崎線)開業時に合わせて、東京下町北端の山下町に東京方の起点駅として開業した歴史ある駅である。以来、日本を代表するターミナル駅として栄えてきた。現在、当駅には北関東と東京を結ぶJR各線の中距離電車と東京都区部を走る各通勤電車(JR東日本・東京メトロ)各線が結節し、また東北、上・信越方面の各新幹線、その他在来線各線の優等列車が発着するなど、東京の「北の玄関口」として機能している。当駅には、JR東日本の新幹線と在来線各線、および東京メトロの路線が乗り入れている。このうち、JR東日本の新幹線は、線路名称上は東北新幹線のみであるが(詳細は路線記事および「鉄道路線の名称」参照)、東北新幹線経由で山形、秋田、北海道、上越、北陸の各新幹線が乗り入れている。JR東日本の在来線に関しても、線路名称上は東北本線のみであるが、以下のように多岐にわたる各線が乗り入れている。スリーレターコードは「」。宇都宮線と高崎線が同じ線路を共有しているほかは、原則として各系統ごとに専用の線路が割り当てられているが、上野東京ラインの開業により(常磐線が乗り入れる為に平面交差を行うことから)宇都宮線・高崎線と常磐線の一部列車で線路が共有されるようになった。JR東日本公式サイトにて記載されている当駅の「所属路線」は、京浜東北線、常磐・成田線、常磐線、高崎線、東北本線、山手線、秋田新幹線、上越新幹線、東北新幹線、北陸新幹線、山形新幹線の11路線となっている。東京メトロは銀座線と日比谷線の2路線が乗り入れており、それぞれ「G 16」、「H 17」の駅番号が与えられている。日本鉄道は、上野 - 熊谷間の開業に先立ち、1882年(明治15年)11月に寛永寺の子院跡約29,800坪(約98,512m²)を東京府より借り受け、上野駅の用地とした。1883年(明治16年)7月28日には同線の仮開業に伴い上野駅を開設し、同年8月より貨物、10月より郵便物の取り扱いを始めた。1884年(明治17年)6月28日には仮駅舎で開業式が行われ、1885年(明治18年)に煉瓦造りの237坪(約783m²)の本駅舎が竣工した。この初代駅舎は三村周が設計、毛利重輔が監督を行い、中央の平屋部分に出札広場とコンコース、両翼に待合室を設置したH型平面の構造で、当時の汐留駅や横浜駅を踏襲した形となっている。1885年に途中大宮駅から宇都宮駅に至る区間(利根川渡河区間を除く)が開通すると、上野駅は東京側のターミナルとして繁盛するようになった。当初は1つの駅構内に旅客・貨物・車両基地の機能を併設しており、次第に鉄道輸送の需要が伸びてくると構内が手狭になってきた。また駅周辺の道路が狭隘で、ここに旅客を輸送する馬車鉄道や貨物を輸送する大八車が輻輳するようになったため、旅客と貨物の機能を分離することが計画された。1890年(明治23年)11月1日には南方に地上の貨物線を開通させ、新たに設置された秋葉原貨物取扱所(後の秋葉原駅)に貨物取扱を移転した。さらに1896年(明治29年)12月25日に開業した隅田川駅にも荒荷の扱いなどを分散移転して、上野駅は同年12月1日に旅客専用駅となった。1900年(明治33年)には日本鉄道が駅前広場に飲食店、喫茶店、雑貨販売店の入った上野待合店を建設している。これは110坪(約364m²)2階建ての建物で、後に理髪店なども入居したが、1922年(大正11年)に撤去された。1905年(明治38年)4月1日に常磐線の三河島 - 日暮里間が開通し、それまで田端で折り返して運転していた常磐線の列車が直接上野駅へ乗り入れるようになった。同年には新橋 - 上野間の高架旅客線の建設とそれに伴う上野駅の改築が決議されている。1906年(明治39年)には日本鉄道の国有化に伴い、上野駅も国有化され、1909年(明治42年)10月には秋葉原 - 上野 - 青森間が東北本線と定められた。同年12月16日には山手線の烏森(後の新橋) - 品川 - 新宿 - 池袋 - 田端 - 上野間で電車の運転が開始され、上野駅はその一方の端となった。このような状況下で上野駅の利用者は増加を続け、1917年(大正6年)には構内に事務所が9棟、倉庫が10棟、その他売店などが44棟も立ち並び、スペースが限界に近づいていた。1923年(大正12年)9月1日の関東大震災では初代駅舎が消失し、同月23日に仮駅舎で営業が再開した。同年からは鉄道省東京改良事務所により上野駅周辺の改良工事が始まり、1925年(大正14年)3月1日には新橋駅との間の高架旅客線が開通して山手線の環状運転が始まり、東京の都市内交通である同線の電車と、東北・常磐・高崎といった長距離の幹線との接続する駅として機能するようになった。1930年(昭和5年)3月1日に地鎮祭が行われて改築工事が始まり、1932年(昭和7年)4月2日に2代目の駅舎が落成し、同月5日より営業を開始した。この駅舎では利用者の安全に配慮した動線設計がなされ、乗車客は1階の車寄せから列車ホームに、降車客は地下1階の車寄せに出るようになった。外壁は多胡石と小松石の砕石が入ったモルタル塗りで、臍壁には花崗岩が用いられている。また、構造上の大きな特徴として、本屋の中央に設置した30×20.3×13.25mの広間空間が挙げられる。この空間は正面玄関の機能を持ち、2階部には業務エリアの移動のための回廊が設けられていた。また、秋葉原の貨物取扱設備が高架上に移転したのを受け、東西交通を遮断するなどの問題を引き起こしていた地上の貨物線は1932年7月1日に廃止されている。中央改札上には、1951年展示の猪熊弦一郎作の壁画『自由』が掲げられており、当駅を代表する光景ともなっている(1951年12月製作、1984年6月修復、2002年12月修復)。その下にはLED式発車標が設置されているが、新幹線開業前は、東北・奥羽・磐越西線は緑(杜の都・仙台をイメージ)、高崎・上越線は黄(越後平野の稲穂をイメージ)、高崎・信越線はピンク(信州のりんごをイメージ)、常磐線は青(太平洋の海をイメージ)、東北新幹線大宮開業時に設定された「新幹線リレー号」はクリーム色と、方面別に色分けされた木製の発車案内板が使用され、ホームにも後から幕式の発車標が設置されていた。グランドコンコースの中央改札内には、朝倉文夫作のブロンズ像『つばさの像』、改札外広小路口には同じく朝倉作の『三相』がある。『つばさの像』は1958年10月10日に初の東北特急「はつかり」運転開始と駅開業75周年を記念して台東区が寄贈したもので、当初は広小路口に設置された。『三相』は、1958年10月10日に駅開業75周年記念式に列席した朝倉が駅が朝倉自身と誕生を同じくしていることを知り、深く喜懌になり、記念に台東区を通じ贈られたもので、三相とは知、情および意である。また、券売機上壁面には、平山郁夫原画・制作のステンドグラス『ふる里日本の華』(1985年)が展示されている。これは東北上越新幹線上野駅開業を記念して制作された。豊かな水と緑を背景に四季折々の美しさを屏風絵ふうに配し、沿線各地の代表的な花・まつり・風物をあしらいふる里への思いを表現した、きわめて日本的なモチーフと構成に特徴がある。2002年6月駅改修に伴い現在の場所に移設された。バブル期に磯崎新設計による地上300mの超高層駅ビルに建て替える構想があったが、その後のバブル崩壊と東北・上越新幹線の東京駅延伸による乗降客の減少などから、現在は立ち消えになっている。南満州鉄道の大連駅と函館本線の小樽駅、および樺太庁鉄道(後の樺太西線→ロシア鉄道シャフタ=サハリンスカヤ─アルセンチェフカ線)の真岡駅(ホルムスク南駅、1992年に解体)は当駅を模したとされる。コンコースは、地上と、公園口通路、大連絡橋通路、大連絡橋連絡通路(公園口通路と大連絡橋通路を連絡する)(以上3階)、新幹線地下コンコース(地下)がある。新幹線コンコースに行くには、地上の中央改札を入って右側の新幹線改札を利用する。改札は、中央改札(地上)、不忍改札(中2階)、公園改札、入谷改札(以上3階)の計4か所である。また期間・時間が限定された臨時改札として、3階にSuica専用(簡易Suica改札機設置)の公園臨時改札がある(常設の公園改札はその名の通り御徒町駅寄りにある公園口通路の突き当たりにあるが、臨時改札は鶯谷駅寄りにある大連絡橋通路の突き当たりにある)。改札内改札として先述の新幹線改札があり、以前はそれに加え、在来線特急乗換(16・17番線入出場)改札が地上および3階にそれぞれあったが、元々寝台特急は13番線などを利用していたほか、2014年3月15日のダイヤ改正から高崎線特急が14・15番線に、2015年3月14日の改正(上野東京ライン開業)から常磐線特急のうち東京方面に乗り入れる列車が8・9番線を発着するようになり、特急列車の発着ホームが分散されたため、2015年3月13日を持って廃止され、自由に出入りできるようになった(また8・9・14・15番線ホーム上に高崎・常磐線の当日分専用指定席券売機が設置された)。出口は、地上の中央改札正面の「広小路口」「正面玄関口」や同左手の「浅草口」、中2階の不忍改札からは地上の「不忍口」「山下口」、3階の入谷改札からは2階の「東上野口」、3階の「パンダ橋口」、地上の「入谷口」などが利用できる。同じく3階の公園改札からは3階の「公園口」に直結していて、上野恩賜公園へはここを利用するのが近い。正面玄関口および広小路口の出口からは、国道4号(日光街道)などを跨ぐ歩道橋が利用できる。また、駅を跨ぐようにパンダ橋が架かっており、自由に歩くことができる。パンダ像は2つあり、実物の倍の大きさはある巨大なジャイアントパンダ像はパンダ橋口を出て右のところに、もう一つの小パンダ像は大連絡橋コンコースに、それぞれある。京成電鉄の京成上野駅へは不忍口を経るように案内サインが設置されている。JRと京成線の連絡は、山手線・京浜東北線で北側に2駅進んだ日暮里駅が通常利用されている。ただし、上野駅と京成上野駅の両駅を連絡駅とした定期券を購入することはできる。地下鉄各線の連絡は、中央改札近くにある階段・エスカレータを利用するルートが主だが、入谷改札からの動線も案内されている。在来線のトイレは中央改札口入って正面にある駅弁店・土産物店(洋菓子)の裏側(地上。頭端式ホーム14・15番線ホーム及び16・17番線ホームの延長線上)、3・4番線ホームへの階段と5・6番線ホームへの階段との間(中2階コンコース)、9・10番線ホームと11・12番線ホームとを連絡する箇所(2階)、大連絡橋通路(3階)、エキュート上野内1階に直結するエスカレーターの向かい側(3階)の計5か所である。2009年3月16日、上野中央通り地下駐車場および周辺8駅(JR上野駅・御徒町駅、東京メトロ上野駅・上野広小路駅・仲御徒町駅、京成上野駅、都営上野御徒町駅)を結ぶ地下通路が東京都により整備され、供用開始された。これらの駅とは、同一駅としては認められていない。ただし、東京メトロ上野駅、京成上野駅は定期券の連絡駅としては認められている。新幹線開業以降JR駅内部の改装工事が始まり、1990年代後半には改札内部に「Dila上野」(駅ナカ)が完成した。その後、JR東日本ステーションルネッサンス「みんなのえきプロジェクト」と称して中央改札・不忍改札側の駅舎内部も改装され、東西自由通路(愛称:パンダ橋)や正面玄関「レトロ館」の「Breakステーションギャラリー」、中央改札の「グランドコンコース」、ショッピングセンター「七番街(アトレ上野)」などが整備され、2002年3月にグランドオープンした。同年2月22日開店のアトレ上野は「FUSION SQUARE 人が集まるeki融合空間」をコンセプトに駅周辺にない飲食・食物販・ファッション・雑貨など54店舗を「レトロ館・ガレリア」「グランドコンコース」および「七番街」の3ゾーンに配置し、20 - 39歳の女性をターゲットに新たなエキナカショッピングシーンを演出している。その後、2007年4月から9月にかけてリニューアル工事を行い、「ゴディバ」「日本橋屋長兵衛」「アール・エフ・ワン」「ベーグル&ベーグル」「ジンズ グローバル スタンダード」「サマンサタバサ プチチョイス」のオープンと既存9ショップの改装を行った。また、東京圏駅ビル開発は、同年8月に浅草口地下でカフェ・雑貨ショップなどを配置した新フロア「レトロゲート」を開設した。9月にはフロアリニューアルを行い、グランドオープンした。そして、2005年春に全体のリニューアル工事が完成し、全面が白で統一された外観となり、エレベーターの整備も行われた。完工時には「上野駅リニューアルキャンペーン」が開催され、JR東日本のイメージキャラクターであり、このイベントのCFにも登場した女優の国分佐智子を招いてのオープニングセレモニーが行われた。この大改装は品川駅や大宮駅などで展開されている、いわゆる「駅ナカ」の模範となっている。東北・上越新幹線の開業に伴い並行在来線の特急列車が大方廃止され、地上ホームの19・20番線が廃止となり、1999年9月には18番線も廃止された。その跡地東京方と東上野口・入谷口には、2006年7月19日からフィットネスクラブ(ジェイアール東日本スポーツ)が入居している。その先中央付近も途中まで取り壊されて従業員専用通路となっている。更に日暮里方は、ホームがほぼ原型を留めたままで従業員専用通路として使用されている(19番線側に建てられた事務所を行き来するのに使用)のが、他のホームから確認できる。東北・上越新幹線開業前は、都内の北へのターミナル駅として北関東、東北・信越・北陸方面へ向かう東北本線、日光線、磐越西線、奥羽本線、高崎線、両毛線、上越線、信越本線、吾妻線、羽越本線、常磐線の各特急・急行など長距離優等列車が数多く発着していた。しかし、新幹線開業のため並行在来線の優等列車は次第に廃止、地上ホームも削減され、その削減された跡地が新幹線ホームに向かうコンコースとなった。その後は中距離電車が増発され、発着列車の大半が宇都宮線、高崎線、常磐線の北関東方面へ向かう近郊・中距離電車となっている。当初、高架ホームは常磐線各列車主体に使用され、高架ホームを発着する東北・上信越方面各列車はごく一部であった。逆に地平ホームを発着する常磐線列車は皆無で、地平ホームは東北・上信越方面各列車の専用ホームであった。その後、特急・急行列車の増発に伴って、また、中距離通勤客の増加に伴い、地平ホームは特急中心で、高架ホームは各線普通列車中心で運用されるようになり、上野東京ライン開業直前の時期は宇都宮線と高崎線の普通列車は5 - 8番線の高架ホームと13 - 15番線の地平ホームのいずれかに、常磐線の普通列車は9・10番線、快速電車は11・12番線に発着するのが基本であった(いずれも、一部例外あり)が、9番線に到着する宇都宮線・高崎線列車、8番線や地平ホームに到着する常磐線普通列車もわずかに存在していた(以前は8番線発の常磐線列車や9番線発の高崎線列車もあった)。山手線と京浜東北線以外の発車標は、新幹線開業時に幕式からLED式のものに置き換えられた(新幹線は当初からLED式、京浜東北線は1990年頃設置)。また、新幹線ホームは2007年3月にフルカラーLED式に置き換えられた。また、ATOS導入後は全ホームに発車標が設置され、放送もATOSに準じたものに変更されている。また、2008年8月には5 - 17番線の先発列車発車標に路線名が表示される仕様になった。2014年11月から上野東京ラインに対応するため、5 - 10番線コンコース階とホーム内に設置していた1段式の発車標は、2段式(コンコース階は3段式)の新型に置き換えられた。同時に発車標の案内が「路線名 種別 グリーン車・車両数・ドア数 発車時刻 行先」の順から「'始発'(当駅始発ではない=上野東京ラインの場合は空欄)路線名 種別 発車時刻 行先 グリーン車・車両数」に変更している。  乗車案内として、下り新幹線ホームの19・20番線に、LED式乗車位置案内表示器が設置されている。戦後、周辺地域で地下水を汲み上げ過ぎたために地盤沈下が発生し、周辺の地下水利用が制限されている。地下30mに位置する新幹線ホーム周辺の地下水は、建設前である1970年代初めは地下38mであり、新幹線ホームより8m下にあった。しかし、前述のように地下水が余剰となったことで水位が上昇し続け、1995年に地下14mまで水位が上昇した。浮き上がりによる駅構造の変形を防ぐため、同年に新幹線ホームの床下に合計3万7000トンもの錘を設置した。さらに、2004年には地下12mまで水位が上昇したことを受け、全長17mのアンカーボルトを約650本打ち込んだ。これは、東京駅の総武快速線・横須賀線ホームに打ち込んだ本数の約5倍となる。一方で、地下水を不忍池へ流す導水管の敷設も行われ、これにより不忍池の水質保持・水量保持やJRの下水道料金負担の軽減に繋がっている。同一駅に3種類のホームがある。在来線の駅から北方向には、西から順に、京浜東北線と山手線の方向別複々線(山手線が内側)、東北本線列車線(宇都宮線・高崎線)の複々線(尾久駅手前の尾久車両センター出・入庫部の先まで高架ホーム発が外側、地上ホーム発が内側の方向別)、常磐線の複線の計10本の線路が並行する。このうち、東北本線列車線と常磐線からは高架ホーム、地平ホームのほぼすべてへの発着が可能である。このため、シングルスリップスイッチやダブルスリップスイッチを用いた複雑な配線となっている。常磐線の高架線と地平線の分岐・合流点は隣の鶯谷駅付近となるが、これは1968年に立体交差化されたものである。南方向には京浜東北線、山手線の複々線に加えてその東側に留置線群とそれらをつなぐ通路線が秋葉原駅まで続いている。これはかつて東京駅までつながっていた回送線の跡であり、2015年に上野東京ラインとして再び東京駅と結ばれた。なお、これらの線路につながっているのは5 - 9番線であり、10 - 12番線と地平ホームの各線は行き止まりである。なお、下の図では反映されていないが、行き止まりとなっている10番線と11番線の先端(最後尾)部は両ホームを結ぶ通路となっており、平面移動ができる。東北新幹線上野駅開業時(1985年)の在来線の配線図を以下に示す。1999年に18番線は廃止されたが、基本的にはこの配線が踏襲されている。5 - 10・13・16・17番線で発車メロディを使用する他は発車ベル(電子音)を使用している。山手線で発車ベルを使用している駅は当駅と新大久保駅のみである。これは、東北地方などから集団就職で上京した人にとって、発車ベルにこそ思い入れがあるからだという。2013年7月28日に13番線に発車メロディが導入され、『あゝ上野駅』が採用されている。2015年7月21日に5 - 10番線に櫻井音楽工房製の発車メロディが導入されている。現在の発車ベル・メロディ寝台特急列車が発着する13番線ホームには、寝台特急が到着するまでの待ち時間の際に休憩所として利用できる「五ツ星広場」があった(寝台特急の乗客以外も利用可能)。2015年にカシオペア定期運行廃止により、寝台特急列車の定期発着が無くなったことで解放機会がなくなり、案内板から消去され、後に工事中の囲いで覆われて完全閉鎖されている(代わりに各所に常時使用可能のベンチが設置された)。開設当初はテーブルが設置され、オープンカフェ風の雰囲気を持っていた。2011年時点ではスペースを大幅に縮小し、椅子のみが置かれた南北2箇所のエリアに分割されている。北側エリアの壁は13番線から発着する「カシオペア」で使用されるE26系の車体を意識して作られており、同系列の車体に配されているものと同一の5色のラインが配されている。五ツ星広場で迷惑行為があったため、2012年8月25日から、利用可能時間が制限される。すなわち、寝台列車発車の約1時間前から列車の発車まで利用可能であり、利用時間は、15時00分 - 16時20分 カシオペア(運転日に限る)、17時50分 - 19時03分 北斗星、20時00分 - 21時15分 あけぼのである。これら以外の時間は、伸縮門扉によって閉鎖されていた。これにともなって15番線と16番線との間、石川啄木の歌碑の横にベンチが2脚、設置された。銀座線は相対式ホーム2面2線を有する地下駅。エスカレーターは設置されていないが、ホームから改札口までのエレベーターはホーム浅草方の端に設置されており、また浅草側に改札口からJR連絡階へ通じるエレベーターがある。銀座線には駅の至近に上野検車区があるため、ラッシュ時に当駅を始発・終着とする電車がある。1987年にホームの拡幅工事が行われ、渋谷方面のホームには、日本最初の地下鉄開業を告知するポスターのレプリカが煉瓦壁と共に設置されている。日比谷線は相対式ホーム2面2線を有する地下駅。出口階段はホームの前後にあるが、ホームから改札口へ通じるエレベーターは中目黒方面が中央に、北千住方面が仲御徒町寄りにある。また、中目黒方面には別に改札口が設置され、前述のホームへのエレベーターに通じている(平日朝の通勤時間帯のみは階段も使用できる)。同じくホームから改札口へ通じるエスカレーターは、中目黒方面は北千住寄り、北千住方面は中目黒寄りに設置されている。ホーム中央には、発車標とは別に電車がどこにいるかをランプで知らせる装置が設置されている。2013年の一時期、行先のほかに直通電車について直通先会社のロゴも併せて表示する液晶ディスプレイを用いた案内装置が試験されたことがある。銀座線の渋谷側改札口から地下の連絡通路を経由して、京成電鉄の京成上野駅、さらに上野中央通り地下駐車場と中央通りの地下連絡通路に接続している。両線の改札口は各々独立しており、改札内で連絡していないため、普通乗車券や回数券で銀座線と日比谷線を乗り換える際には、改札を出る際に乗車券が回収されずに出口に戻る乗り換え専用のオレンジ色の自動改札機を通る必要がある。また、PASMO・SuicaなどのICカードでの乗り換えはどの自動改札機からもタッチできる。いずれも、30分の時間制限がある。従来あった駅ナカ商業施設「メトロピア」は改装され、「エチカフィット上野」として2009年2月20日に開業した。定期券売り場と向かい合わせに、東京メトロのお忘れ物総合取扱所が設置されている。駅務管区所在駅であり、上野駅務管区として上野地域、秋葉原地域、茅場町地域を管理する。銀座線と日比谷線の番線表示は、続き番号ではなく、両線ともに1・2番線である。両路線ともカーブ上にホームがある。JR駅で販売される主な駅弁は下記のとおり。埼玉県・千葉県北西部・北関東方面に直通する主要鉄道路線のターミナル駅であるが、その割には乗車人員は少なく、JR東日本での駅別乗車人員は第13位である。ただし、改札を通らない乗客は乗降人員には計上されないため、実際としては乗換客で混雑が見られる。平日朝は当駅止まりの宇都宮線・高崎線・常磐線方面から降車後に3・4番線ホームに流れる人の波が絶えず続き、同ホームを発着する山手線・京浜東北線電車に一斉に乗り込む。山手線と京浜東北線の上野→御徒町間におけるラッシュ時の平均乗車率は200%程度を記録するのが常態化しており、日本一の混雑区間となっていたが、2015年3月14日に上野東京ラインが開業したことにより、当駅での乗換客は大幅に減少して上野→御徒町間の混雑も170%程度に緩和した。2015年度における各社合計の1日平均乗降人員は約59万人であり、年間に直すと約2億1700万人(京成上野駅を含めた場合1日平均乗降人員は約64万人、年間で約2億3300万人)。年間乗降客数が2億人を超える駅が日本国外には存在せず、日本以外のいかなる駅よりも乗降人員の多い駅の一つである。各年度の1日平均乗降人員は下表のとおりである(東京メトロのみ)。各年度の1日平均乗車人員は下表のとおりである。停留所名:上野駅以前は東京ディズニーランド行も運行していたが廃止された。停留所名:上野駅入谷口停留所名:上野駅前(都営)、上野駅(高速バス)停留所名:上野駅浅草口停留所名:上野駅停留所名:上野駅前停留所名:上野駅(降車専用)停留所名:京成上野駅(日立自動車交通、京成他)停留所名:上野公園山下(都営)、上野駅(東武)停留所名:上野公園(都営)停留所名:上野駅・上野公園文学や歌謡曲の分野で当駅を扱った有名な作品がいくつかある。

出典:wikipedia

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