福島市(ふくしまし)は、福島県中通りの北部に位置する都市。福島県の県庁所在地であり、福島県を代表する行政都市である。江戸時代以前より、福島城(杉妻城、大仏城)の城下町として町並みを形成しはじめる。江戸時代の城下町福島は蚕種、生糸、織物の集散地として栄え、福島県内では会津藩に次ぐ石高を有した商業の街であった。現在も県政の中心として福島城総構えの場所に福島県庁が所在する。第一次産業の面では福島県内第一位の農業産出額であり、特に全国有数の収穫量を誇る桃をはじめ、市町村別日本一の生産数を誇る梨など果樹の栽培が盛んであることから「果物王国」の異名を持つ。観光の面では山の名所が点在し、個性ある温泉街を複数抱えている土地でもあり、更に東北地方唯一のJRA福島競馬場が立地し競馬の街としての顔を持つ。日本一の大きいわらじを担ぐ祭事の信夫三山暁まいり(わらじまつり)が有名である。山の名所としては、国立公園にも指定を受けている浄土平から福島のシンボルともいえる吾妻小富士のお鉢巡り。市街地からほど近くで福島盆地を見渡せる信夫山。そして花見の名所でもあり「福島に桃源郷あり」とも唄われる花見山公園が挙げられる。福島市内に代表的な温泉街が3か所あり、2世紀頃からの歴史を有する古湯である飯坂温泉。全国有数の高濃度硫黄泉で知られる高湯温泉。こけし発祥地として有名な土湯温泉などが知られている。市域は旧信夫郡全域と周辺の旧伊達郡、旧安達郡の一部を加えた範囲に及び、福島盆地の南西側とその外周山岳部を占める。現在、福島市は2017年中核市への移行を表明しており、移行準備のための担当部署を設けている(2015年4月1日以降、法定人口20万人以上に条件が緩和)。福島市は福島県の北東部に位置し、猪苗代湖から北東へ約50kmに位置している。東京から北へ約260kmの距離である。西側の奥羽山脈と東側の阿武隈高地に挟まれた福島盆地の南西部分とその周辺の山岳・丘陵地域が主な市域である。市内からは西に吾妻連峰を、南西に安達太良山を仰ぐ。福島県内陸では最も標高が低い位置にある。北流する阿武隈川を中心に福島盆地を形成している。奥羽山脈を源とする摺上川、松川、荒川等がそれぞれ市西部に扇状地をつくりながら東流し阿武隈川に注ぐ。かつてその扇状地は桑畑として利用されたが、現在では果樹園に転用されている。盆地の南東部に残丘(モナドノック)である信夫山が構えている。奥羽山脈側には栗子峠や土湯峠のような交通難所が存在する。市内最高地点は東吾妻山で標高1,974m、市内最低地点は向瀬上で標高約55mである。福島県庁福島市役所※ 荒川は3年連続で全国1位の水質を誇っている(以前にも全国1位の実績あり)。東北地方に限れば10年連続で単独1位の座を維持している(2014年現在)。福島市は日本海側と太平洋側の中間の気候であり、盆地特有の内陸性気候の特徴を示している。・夏季太平洋の高気圧に覆われて夏型の気圧配置になると、福島盆地では風の弱い晴天となり、山岳からのフェーン現象も相成って猛暑日を記録するなどその日の日本最高を記録することもある。福島の最高気温 極値は、1942年8月15日の39.1℃となっている。太平洋高気圧が衰退し、南から暖湿気流が流れ込むと雷雨が発生する事もあるが、宇都宮市など北関東に比べると少ない。一方、オホーツク海高気圧が張り出した場合、北東の湿った冷気により低温となり、霧雨が降り続けて日射不足が続く事もある。・冬季吾妻おろしと呼ばれる北西の季節風が吹き晴天となるが、にわか雪が舞う様な天気が多くなる。 冬型の気圧配置が強まると、北西の米沢市、栗子峠から雪雲が流れ込んで市中心部で10~20㎝程度の積雪をもたらす。福島市中心部は中通り平野部では標高が低い事と曇天が多いため放射冷却がそれほど強くはなく、郡山市や白河市に比べ気温は高めであるが、福島盆地の降雪日数は、中通り地方平野部では郡山、白河より多い地域である。特に東北自動車道より西側にあたる北部や西部では中心部との積雪差が大きく、北部の飯坂町茂庭(標高200m)で年降雪量平均値は393㎝となっており、白河(標高355m)より標高が低いにも関わらず、多い値となっている。このため福島市南部を除く大部分が国土交通省の定める豪雪地帯に指定されているが、市中心部の積雪は30cm積もれば大雪で、それほど多くはない。・年降雪量平年値(気象庁HP)飯坂町茂庭 393cm福島 189cm白河 161cm・1月の降水量(気象庁HP)飯坂町茂庭 100.9㎜福島 49.4㎜郡山 37.4㎜白河 38.9㎜・桜前線福島市中心部の標高は67mであり、二本松、郡山、白河に比べて低い為、桜前線は中通り平野部に於いては北から南下すると言われている。 しかし実際には、福島市は扇状地であるため、郊外に行くに連れて標高が高くなり、郊外の平野部で標高200Mの地域もあり、さらには高山地帯では標高1,700mに至るため、同じ市内でも桜前線は複雑であり、花見などは福島市内だけで低地から高地まで1か月以上楽しむことができる。主に17の地域に区分され本庁直轄の中央地域を除き、1地域につき管轄の支所が1か所置かれている。福島市の町名及び大字数は158。古代には、福島市地域の代表的な地名は岑越(みねこし)と呼ばれており、現在の信夫山も岑越山と呼ばれていた。奈良時代の律令制では各道に官僚が馬を乗り継ぐための駅が設置されたが、東山道の福島周辺の駅名は、南から安達(現在の本宮市)→湯日(ゆい:現在の二本松市油井)→岑越→伊達(現在の伊達郡桑折町)→篤借(あつかし:現在の宮城県白石市)、となっている。ただし、岑越は松川(当時の流路は信夫山の南側)以北摺上川以南であり、松川以南は当時でも杉妻(すぎのめ)であったため、駅があったのは現在の福島県庁エリアより北寄りの北五老内近辺であったと思われる。その後、杉妻大仏の建立、中世になって杉妻城(大仏城、後の福島城)や大森城の築城があり、次第に政治的な中心であり地域を代表する地名は岑越から杉妻に移ったと考えられる。現在の福島という地名に関しては、安土桃山時代に信夫郡・伊達郡が蒲生氏郷支配になったとき、蒲生氏郷または蒲生氏郷の下で福島城主とされた木村吉清が、それまでの杉妻を縁起の良さそうな福島と改名したという説が有力である。なお、この時代、豊臣政権による大幅な改易が相次ぎ、現在の福島県とその近隣(宮城県南部、山形県南部)では各地で地名が変えられ、現在に残る地名になった。旧福島村及び福島町発足時の町域を示す。後に福島町及び福島市時代に編入したエリアは、編入以前の各村のページを参照。福島城下町と近隣のエリア、荒川(当時:須川)の上流エリアを範囲とした町で、現在の福島市都心部を構成するエリアである。(典拠「福島県史」)福島町時代に幾度となく字名変更は行っているものの、江戸時代からその区域をほとんど変貌させていないことが特徴である。現在も県都福島市都心エリアの中核をなす8町である。江戸時代に奥州街道沿いの7町として長く存在したことから福島城下7町や福島本通り7町(または8町)、福島通町、福島古町などと称されている。※上記の年代はおおよその目安である。(+印は在職中死去)2015年8月18日現在福島市と近隣の二本松市、伊達市、伊達郡および飯舘村を管轄している。"選挙結果等は福島県第1区の項を参照。"2004年商業統計確定値では、小売の年間販売額は3331億円である。福島県内第一位の農業産出額を誇る。福島市を代表する特産品は桃と梨である。桃は全国有数の生産量であり、福島市単体で都道府県別収穫量4位の和歌山県1県分を上回るほどの収穫量を誇る。梨は市区町村別日本一の生産数を誇り、ここで生産される福島の品種「萱場梨」が名物に挙げられる。2004年製造品出荷額等は6164億円である。江戸時代には養蚕業で栄え、福島県内に限らず宮城県南部からも生糸が集まる商品の集散地であった。明治期には製糸業を中心に工業資本が育ち、東北地方で最初となる日本銀行の支店が設置された。現在も本町から大町の奥州街道(レンガ通り)沿いには日銀支店を始めとした地方銀行・証券会社の支店など金融機関、あるいは福島県全体を管轄する支店などが集中し、福島県における業務機能の集積地となっている。通勤・通学圏、あるいは小売商圏として周辺自治体におよぶ福島都市圏が形成されている。なお福島市は、山形・宮城両県と隣接し、その立地・交通の便の良さから、他県地域との交流人口増加と経済活性を企図している。例えば市内にはJRA福島競馬場があるため、開催日には宮城県内からの直通高速バスも運行される。また、宮城県から訪れる観光客向けに快速「ふくしま花見山号」が福島駅から仙台駅間を土日1往復ずつ運転されるなどの流れにある。奥州街道と板谷峠経由の米沢街道や茂庭経由の羽州街道との分岐点であり、また国道13号の起点であり国道4号から分岐する。そのほかに福島六街道として、会津方面に向かう土湯峠経由の土湯街道、相馬方面へ霊山の麓を経由する中村街道、川俣・南相馬を経由し浪江に至る川俣街道などがある。高速道路については既存の東北自動車道と新たに福島県浜通りから福島市を経由し山形県を直接繋ぐ、東北中央自動車道が建設中。鉄道では、福島駅が東北本線と奥羽本線、そして東北新幹線と山形新幹線の分岐点となっている。36件(2015年3月現在)26件(2015年3月現在)48件(2015年3月現在)福島市が舞台となっている作品
出典:wikipedia
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