株式会社レナウン("Renown Incorporated")は、東京都江東区に本社を置くアパレル企業である。中国の繊維会社大手、山東如意グループ(山東省)の連結子会社。創業者の佐々木八十八が、1902年(明治35年)に大阪で衣料品の販売を手掛ける「佐々木商会」を設立。その後メリヤスを中心とした繊維商品の製造も手掛けるようになり、1923年(大正12年)から、その前の年にイギリスの皇太子エドワードが訪日した際の御召艦「レナウン」にあやかり、「レナウン」を商標に登録し用い始める。また、グループ内のダーバンも、供奉艦として「レナウン」に同行していたイギリス巡洋艦「」からの命名である。1960年代より、若い女性向け衣料品メーカーとして人気を博した。NETテレビ(現:テレビ朝日)の『日曜洋画劇場』でCMを放送し、特に小林亜星作曲によるCMソング「レナウン娘」と「イエイエ」でなじみの、弘田三枝子歌唱による「ワンサカ娘」のプロモーションは、ポップなファッショナブルさと女性を全面的に押し出した内容で、日本で初めて日本国外のCM作品賞を受賞し「日本のCM製作レベルを国際級に押し上げた」と評されている(これ以前にもザ・ピーナッツ歌唱の「レナウンの唄」と言うCMソングがあった。ただしこれとは別物である。また「ワンサカ娘」発表と同時に同曲は使用されなくなったためごく短命で終わった)。また、1980年代には、CMのサウンドロゴに電子音を用いるという、現在でも画期的な試みをしたこともある。(1990年1月にロゴマークを一新していた)1969年(昭和44年)より「アーノルドパーマー」ブランドを日本に投入し、当初はヤング・レディース、続いてファミリー向けに商品展開を行い、1980年代まで基幹ブランドとなり同社の営業を支えた。「ダーバン」ブランドは1970年代にフランスの俳優アラン・ドロンをTVCMに起用し人気を博した。なおドロンの声によるサウンドロゴは「D'urban c'est l'elegance de l'homme moderne.(ダーバン、現代を支える男のエレガンス)」。バブル崩壊後の1990年代は、バブル期の物流施設に対する大規模投資負担に加え、SPAの台頭や百貨店自体の低迷から、百貨店の平場売りを主体としていた販売手法は相対的にブランド力の低下を招き、またアーノルド・パーマーに続くブランド、特に若い女性向けのブランドが育たなかったことにより業績を大きく下げ苦境に陥った。1990年(平成2年)に買収した英国の名門ブランド「アクアスキュータム」もその効果はなかなか上がらなかった。このため、バブル後の一時の業績不調から回復したダーバンとの連携などグループ内の再編、ブランドの見直しやてこ入れ、生産の国外移転や流通マネジメントの改善、テレビCMの打ち切り(ダーバンはのちに復活。レディースも「エンスウィート」が2011年3月に再開)などを迫られた。2004年(平成16年)3月に株式会社ダーバンとともに持株会社株式会社レナウンダーバンホールディングスを設立し、2006年(平成18年)3月1日には、レナウンダーバンホールディングスを存続会社とし、元・上場会社で非上場会社のレナウン(旧)とダーバンを吸収合併。社名を株式会社レナウン(新)とした。なお、レナウンは2008年(平成20年)10月15日に「アクアスキュータム」を展開する子会社の売却(国内販売は継続)、16の不採算ブランドの廃止、そして本社ビルの売却を含んだリストラ策を発表している。2010年(平成22年)5月24日、中華人民共和国山東省済寧市に本拠を置く繊維会社である山東如意科技集団有限公司との間で、資本業務提携契約を締結。同年7月29日開催の臨時株主総会での承認後、7月30日に、山東如意科技集団に対して約40億円の第三者割当増資を実施し、同社が投資ファンドのネオラインホールディングスを抜いて筆頭株主(41.18%出資)となった。現在、取締役のうち3名は、山東如意科技集団が指名する者である。レナウンは2013年(平成25年)4月、山東如意の親会社である済寧如意投資を引き受け先に第三者割当増資を実施し、約29億円の出資を受けることを発表した。これは発表の翌月に実施され、これに伴ってレナウンは山東如意グループの連結子会社となる。 アクアスキュータムを除いて、メンズのみ2008年(平成20年)10月15日 全62ブランド中16ブランドを廃止することを公表した。1980年代後半から1990年代前半にかけて、マツダのスポンサーとしてル・マン24時間レースに、レナウンのスポーツウェアブランドの一つである、チャージを車名に付けレナウンチャージマツダとして参戦していた。非常に印象的なオレンジと緑のアーガイルチェック柄の塗装は、サーキットでマツダの戦いぶりを観戦した当時のレナウン社長の「これでは勝てる見込みがない。ならば、とにかく目立て!」との指示から生まれたものである。1991年にマツダ・787Bで日本車初の総合優勝を果たした後はオリジナルのチャージカラーは封印され、ル・マン勝利以降のチャージ・マツダのカラーリングは、オリジナルのカラーリングからオレンジと緑の配置を逆にした塗装パターンに変えられた。現在、レナウンはマツダをスポンサードしていないが、チャージカラーは現在でもイメージカラーとして使われている(なお、現在チャージブランドはレディースのみの展開)。
出典:wikipedia
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