本田技研工業フットボールクラブ(ほんだぎけんこうぎょうフットボールクラブ)は、日本の静岡県浜松市を本拠地とする日本フットボールリーグ(JFL)に所属する社会人サッカークラブ(実業団)。呼称は「Honda FC」(ホンダ エフシー)であり、以下の文章からは基本的に呼称で表記していく。1971年、本田技研工業(以下「ホンダ」)の創業地でもある浜松製作所(現・駆動系統括部トランスミッション製造部)に置かれた浜友会サッカー部(後述)を母体として本田技研工業サッカー部(以下「ホンダサッカー部」)として創部。トップチーム所属の選手・指導者はプロ契約の者を除き、試合の無い日は、午前中はホンダの正社員としてトランスミッション製造部に勤務、午後からはフットボーラーという生活を送っている。ホンダ本社のサッカー部という位置づけであるが、直接的な運営にはホンダ浜松製作所内に設立された「Honda FC 事務局」のスタッフが関わっており、チーム代表もトランスミッション製造部長(浜松製作所長)が務めている。実業団ながら地域密着型クラブを標榜し、下部組織も有している。ホームスタジアムは同市北区都田町にあるホンダ都田サッカー場で、JFL以外のクラブも含め日本国内で数少ない「クラブ自身が所有する自前の」スタジアムである。過去に2度Jリーグクラブ化の構想があったが、いずれも実現していない。1999年のJFL参入以来、優勝4回・2位4回の成績を残する。チームのシンボルマークは、浜松の「H」とHondaの「H」が重なり合い、当時の浜松市鳥であるツバメと雄大な遠州灘の波を型どったデザイン。マスコットキャラクターはチームのシンボルマークでもあるツバメをモチーフとした「パッサーロ()」。ホンダの各事業所にはそれまでも同好の士を集めたサッカー部は活動していた。社員に共通の話題を提供し、社員の意識を強化を図り、士気を高めるという目的でいえば、埼玉製作所の野球部(現Honda硬式野球部)や、鈴鹿製作所の(現Honda鈴鹿硬式野球部)が既に実績を挙げており、浜松製作所でも当初、野球部をという声も出たが、既に埼玉と鈴鹿に野球部があること、そして何よりも静岡という土壌を考え、サッカー部創設が決定した。まず監督・保崎昌訓、主将・望月修司の浜友会のメンバーを中心に、1971年春新入社の関東大学リーグ経験者を大量に加え、それまで浜友会が所属していた静岡県リーグ二部西部リーグからスタートを切った。翌1972年には、名相銀の中心選手だった桑原勝義が、日本サッカー協会の幹部・長沼健に口説かれ、銀行職を捨てて郷里のチームに加入。桑原は翌1973年にプレイングマネージャーとなり、桑原を中心にチームは強化された。2002年、「本田技研工業サッカー部」から「本田技研工業フットボールクラブ」に改称(呼称は「Honda FC("Honda FOOTBALL CLUB")」)。この年から12年間、選手は社員のみであること、毎年の補強が高校卒業(ユースからの昇格も含む)か大学卒業の新卒選手のみとなるが、現役でない新卒選手の加入するという例もある。ただ、大学校や専門学校、専修学校や各種学校からの新卒選手加入実績は未だ無い。並行して、所属選手がプロ選手としてJリーグに挑戦する際には快く送り出すこれまでの方針は変わりなく維持されることとなる。その主な例として、2004年には前年のJFL得点王だったFWの古橋達弥がシーズン途中でセレッソ大阪に移籍したことが挙げられる。また、ヴァンフォーレ甲府へは2005年に監督だった安間貴義がコーチとして移籍し、2006年にはMFの宇留野純も同チームへ移籍した。2008年のシーズンオフにはU-19日本代表に選ばれた村松大輔も湘南ベルマーレに移籍し、2009年シーズンオフにはFW早坂良太がサガン鳥栖に移籍している。小学生を対象にしたスクールと、U-10、U-12、U-15、U-18の各カテゴリのチームを持っている。主な下部組織出身の選手を以下に挙げる。U-18チームは、2004年度・2007年度の日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会、2009年度のJリーグユース選手権大会等の全国大会に出場した実績を持つ。なお、2016年現在の所属リーグはU-18静岡県西部リーグ(カテゴリは3部B)である。かつては女子チーム「ホンダFCレディース」も保有していた。女子チームは1991年に設立して以降、静岡県西部支部女子リーグ、静岡県女子リーグ、東海女子リーグ(トップチーム、セカンドチームは引き続き県リーグ所属)と昇格し、2004年に廃止されるまでの間に、数多くのタイトルを獲得した。またU-19日本代表としてAFC U-19女子選手権に出場した佐藤シェンネン、所属当時は中学生で後にアルビレックス新潟レディースに所属した口木未来などを始め、数多くの選手を輩出した。廃止後、所属選手の多くはジュビロ磐田のホームタウン推進部が受け入れ、同クラブ下部組織チーム「ヤマハジュビロレディース」が設立されている。1954年に本田技研工業浜松製作所浜友会サッカー部として創部された浜松製作所のサッカー部である。このクラブが本社側のクラブであるHonda FCの母体となっている。同じ所内に本社チームが創設されて以降も長らく東海リーグに所属するほどの実力を有し、その後静岡県リーグに所属していたが、2012年、県1部で年間成績最下位となったのを最後にリーグを脱退し活動休止。なお、このチームには、Honda FCのOBも選手や指導者として活躍していた。現在のサプライヤーはアンブロ。2011年より、ユニフォームの背番号の上に選手名がローマ字で書かれるようになった。かつては、アディダスやディアドラなどがサプライヤーであった。
出典:wikipedia
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