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東武小泉線

小泉線(こいずみせん)は、群馬県館林市の館林駅と群馬県邑楽郡大泉町の西小泉駅及び群馬県太田市の太田駅と群馬県邑楽郡大泉町の東小泉駅を結ぶ東武鉄道の鉄道路線である。駅ナンバリングの路線記号はTI 。沿線の大泉町には工場が多く、東武佐野線同様沿線工場への通勤者がメインの客である。本項では、西小泉駅から仙石河岸駅までの貨物線である仙石河岸線(せんごくがしせん)についても触れる。館林駅 - 東小泉駅 - 太田駅 - 足利市駅 - 館林駅は東武鉄道唯一の環状区間となっている。上記は実キロで、運賃計算に用いる営業キロは館林駅 - 東小泉駅 - 太田駅間を距離の長い伊勢崎線経由のキロ数に合わせて20.1kmとしている(実キロは16.2km)。ワンマン運転の普通列車のみが館林駅 - 西小泉間駅と桐生線赤城駅 - 太田駅 - 東小泉駅間で運転されている。ほとんどの列車は太田駅で時間調整を行うため、列車の停車時間は長い。列車によっては約20分停車していることもある。朝の1往復のみ太田駅 - 西小泉駅間で運転されるものがある。かつては伊勢崎線伊勢崎駅直通列車が運転されていたほか、館林駅 - 太田駅間を直通する列車もあった。また赤城行き(復路は久喜行き)の貨物列車が小泉線経由で運行されていた。変わった運行形態としては、館林駅 - 太田駅間を直通利用する場合、東小泉駅での接続時間によってメインルートである足利市駅経由よりも早く着くこともあれば、遅く着くこともある。車内には伊勢崎線系統の主要列車時刻表が掲示されている。小泉線の前身は、1917年(大正6年)3月12日に館林 - 小泉町間で営業開始した中原鉄道(ちゅうげんてつどう)小泉線であった。同社は1922年(大正11年)に上州鉄道と改称され、軽便鉄道から地方鉄道となったが、1937年(昭和12年)に東武鉄道に買収された。その結果、中原鉄道小泉線が東武鉄道小泉線となった。その後、小泉町駅と仙石河岸駅を結ぶ仙石河岸貨物線が開業し、途中に新小泉駅が開設された。付近には富岡氏が支配した小泉城、富岡氏から分かれた小泉氏発祥の地もある。1941年(昭和16年)6月1日に中島飛行機小泉製作所への輸送を行うため、太田 - (現)東小泉間が開通したことを受け、小泉信号所(現・東小泉駅)が設けられた。同駅は翌1942年4月に東小泉駅と改称し、旅客営業を開始している(代わりに小泉町駅での旅客営業を中止)。同年12月1日には仙石河岸線に西小泉駅が開設され、中島飛行機小泉製作所の玄関駅となった。軍の要請によって仙石河岸線の新小泉駅から分岐させて熊谷線と接続する予定であったが、第二次世界大戦後に工事は停止され、また仙石河岸駅と新小泉駅も相次いで閉駅され、西小泉駅以南は廃線となった。熊谷線は、1983年(昭和58年)5月31日に廃止されている。東小泉駅は、1955年(昭和30年)に再び信号所となったが(代替として小泉町駅での旅客営業を再開)、1977年(昭和52年)の西邑楽高校開校に併せて旅客営業を再開し、小泉町駅とともに現在に至っている。東小泉が信号所であった頃、東小泉駅は西小泉 - 太田間と西小泉 - 館林間での乗り換え専用駅であり、乗降車駅として利用することはできなかった。太田 - 東小泉間では2003年(平成15年)3月19日にワンマン運転を、2006年(平成18年)3月18日からは桐生線との直通運転を開始した。また、残った館林 - 西小泉間でも2006年9月28日からワンマン運転が開始され、小泉線は全区間でワンマン運転が行われるようになった。上記の廃止区間内の駅を除く。2006年度における各駅の1日当たりの乗降人員を以下に示す(単位:人)。西小泉から、かつての仙石河岸線と熊谷線区間と熊谷を通って東上線の東松山までを結ぶ「埼群軌道新線」の建設が提唱されている。この計画が実現された場合、仙石河岸線と熊谷線も埼群軌道新線として復活する可能性があるが、現在関連自治体による議論は、採算性の問題などにより凍結されており、建設時期(むしろ建設の可否)は一切未定である。

出典:wikipedia

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