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京阪バス

京阪バス株式会社(けいはんバス)は、大阪府の京阪電鉄沿線地域・京都府南部地域・滋賀県大津市などでバスを営業している、京阪電気鉄道系列のバス事業者。本項では旧京阪シティバス、旧・京阪宇治交通および旧・京阪宇治交通田辺についても記述する。本社所在地は、京都府京都市南区東九条南石田町5番地である。2006年4月1日に京阪宇治交通と京阪宇治交通田辺を合併した。その後、他の営業所の路線も含めてバス路線再編成が行われ、2007年11月10日に京阪宇治バスに宇治地区などの路線を移管し、翌2008年も京阪京橋乗り入れを廃止するなどを行った。最終的には、全11営業所の路線バス(一般路線・定期観光・リムジン・高速)の総延長キロ約3,900キロ(休止路線を含む)を約3,700キロに削減する予定である。大阪府内では、主に守口市・門真市・四條畷市以北の淀川左岸地域で、親会社の京阪電鉄やJR学研都市線の各駅をターミナルとする路線を運行している。他に大阪府内では、枚方市と淀川を挟んだ高槻市や茨木市を結ぶ路線も運行している。大阪市や吹田市の一部、奈良県の生駒市の一部にも路線を有し、京阪交野市駅 - 田原台一丁目を結ぶ交野18号経路は、スルッとKANSAIカードが使用可能バス路線で希少な奈良県内を走行する路線となっている。また、京阪宇治交通、京阪宇治交通田辺との合併で、京田辺、八幡地区(八幡田辺線など)などが新たに管轄区域となった(一部は京阪宇治バスに再移管し、現在は京都京阪バス)。京都市内では、定期観光バスも運行している。また、京都市交通局のバス事業再編により、1997年の京都市営地下鉄東西線の開業に伴い廃止された旧・醍醐営業所(伏見区)などが担当していた山科醍醐地区の路線を当社に移管し、2001年より横大路営業所(伏見区)(2011年委託解消)、2005年より九条営業所(南区)、2006年より梅津営業所(右京区)の一部路線の運行管理を受託している。なお山科営業所のバス路線は京都市営バスの代替路線となっている路線もあるため、一部の路線を除き、京都市の敬老福祉乗車証が使用可能になっている。また滋賀県内では、大津営業所の管轄として、大津市中部、南部などで運行している。2010年12月1日より、山科営業所と大津営業所の車両にカードリーダーが設置されたことで、スルッとKANSAI対応のカードや、京阪グループ共通バスカードが利用可能になった(2day・3dayチケットは、それ以前より呈示で乗車可能であった)。かつては、他の営業所より転属された車両は、カードリーダーを外されており、再び対応エリアに転属した場合に取り付ける、と言う扱いとなっていた(例としては2008年に大津より京田辺に転属した車両(ブルーリボンII・N-3879/N-3891/N-3892号車)などには再度取り付けられていた)。2011年3月1日からは、山科営業所と大津営業所管轄のバス路線にも、IC乗車カードのPiTaPaが導入されたことで、同社運営の路線バス全路線で、スルッとKANSAI対応カード・京阪グループ共通バスカード・PiTaPaが利用可能になった。2016年4月1日よりSuicaなど交通系ICカード全国相互利用サービスにも対応した。京阪バスのルーツとなるのは、1922年7月20日に創業し、11台のハイヤーで営業を開始した桃山自動車であった。これは桃山御陵への参拝客輸送を目的としたものであった。その後、京阪電気鉄道との連携を強め、1924年に京阪自動車と改称、1928年には京阪電気鉄道(京阪電鉄)の傘下に入ることになった。その後、1930年までに6路線の買収及び新設を行なった。一方、1928年には京津線沿線において、鉄道擁護という目的で、京阪電鉄により京津自動車が設立された。同社は山科自動車を合併した後の1930年6月に京阪自動車に合併されている。これより少し前の1930年2月には、琵琶湖航路を運行していた太湖汽船のバス部門を合併している。一方、大阪府では1924年に設立された城北自動車商会が、1928年に枚方までエリアを拡大しており、さらに延長を計画していた。京阪電鉄はこれに対応すべく、1928年6月に城北自動車商会の全株式を取得、1930年には京阪自動車運輸が母体となって新京阪鉄道のバス部門を継承した上で、1930年9月に城北自動車商会と合併した。さらに、1931年4月1日に京阪自動車は京阪自動車運輸の事業を全て継承、滋賀県から大阪府までの京阪沿線一体を営業エリアとするバス事業者が成立したのである。1929年には、1928年に設立され京都市内の遊覧バス事業を行なっていた、京都遊覧乗合自動車の営業権を譲り受けた上で、京都名所遊覧乗合自動車を設立した。これが京都定期観光バスの始まりで、当初は12人乗りの新型バス「シボレー」10台で営業を行なっていた。その後、順次コース内容の充実を図り、車両面でもマイク付展望車「スチュードベーカー」を1938年に導入するなど、積極的な展開を行なった。しかし、戦時体制に入ると遊覧事業は燃料規制の対象となったことから、京都名所遊覧乗合自動車はコース改変の上、京都聖跡巡拝自動車に社名変更した。戦時下においても、戦勝祈願などについては認められたからである。しかし、これも長く続かず、1940年には遊覧バス休止の通牒があり、同年9月に京阪自動車に合併となった。戦時中は他社と同様、営業状態は苦しい状況であった。1941年には全車両が代用燃料に切り替えられ、物資不足から稼動可能なバスの台数も減少し、1945年の終戦時点では、在籍116台のうち、稼動可能な車両は73台だけとなっていた。また、運転士が徴兵されたことから休職者も多く、運行キロは最盛期の8%程度しかなかった。終戦後の復興は容易ではなかったが、1946年2月に浜大津と京都三条大橋を結ぶ京津国道線の運行再開を皮切りに、車両修理を進めつつ運行を再開していった。燃料事情が好転した1947年以降は復興も本格化し、1948年には京都市内の定期遊覧バスも再開された。車両面でも大型化が進み、トレーラーバスも導入されたが、同社ではこのトレーラーバスも定期観光バスに投入していたことが特筆される。1950年にはほぼ戦前の状態に復旧したが、この際に現行のカラーリングが導入されている。1951年には淀川右岸の路線を阪急バスに譲渡することになった。これは戦時統合後の再分社により京阪神急行電鉄から京阪電気鉄道が再度分離独立した際に、京阪自動車も京阪電気鉄道の傍系企業となったのだが、新京阪線はそのまま京阪神急行電鉄に残留することになったため、新京阪線沿線のバス事業についても京阪神急行電鉄の傍系企業として存続する阪急バスへ譲渡することになったもので、全路線の3割強にあたる路線が譲渡されることになった。1960年代前半までは中距離路線への進出が目立ち、京都を拠点に大阪・今津・奈良・八日市・和歌山への路線を開設した。また、京都定期観光バスも1955年に京都市交通局と全面的に連携した事業形態となり、多数のコースが設定された。しかし、この時期は他社との競合も激しくなった時期で、サービスアップのための経営努力は結果として大きな負担となった。人件費の増大を招いた一方で運賃は据え置きとされたことから、1962年以降は赤字が増大することになったため、1965年から会社再建のために生産性の向上が図られた。貸切バス部門については大幅に縮小され、1968年までには特殊用途の10台を残すのみで京阪自動車本体での貸切バス営業は行なわないことになり、京都地区の京阪貸切バスは京阪国際観光自動車にほぼ一本化されることになった。また、路線バスについてもワンマン化や路線再編成などを行なったほか、定期観光バス部門と一体運営するべく営業所の統合を行った。定期観光・路線兼用車もこの時に登場している。これらの経営努力に加え、京阪電鉄からの支援もあり、1970年までに会社再建の目途も立ってきたのである。1970年の日本万国博覧会(大阪万博)では、会場までのシャトルバス運行を担当、これは創業以来の輸送人員と収益を計上、経営状態は大きく好転した。京阪自動車は1972年4月1日付で社名を京阪バスに変更した。1970年以降、京阪電鉄沿線のベッドタウン化により、住宅団地が次々と建設され、京阪バスと京阪宇治交通は積極的に団地路線の新設を行なった。その後も、京阪電鉄沿線のフィーダー輸送の役割を果たしていくことになる。なお、1988年には高速バス事業に、1994年にはリムジンバス事業に参入している。また、京都府南部の路線については1999年に京阪シティバスとして分社化した。2000年代に入ると、京阪グループ内全体での事業再編成が行なわれた。まず1999年には京阪宇治交通宇治営業所の事業を京阪宇治交サービスに譲渡、2002年に京阪宇治交通の子会社として設立された京阪宇治バスが、2003年に京阪宇治交サービスのバス事業を引き継いだ。さらに、2004年には京阪バスシステムズが統括会社として設立され、2006年には京阪宇治交通は分離子会社の京阪宇治交通田辺も含めて京阪バスに合併となった。ただし、京阪宇治バスと当時存在していた京阪宇治交サービスとの合併は行わなかった。2014年4月に京阪宇治バスが京阪シティバスを吸収合併する形で統合し、社名を京都京阪バスに改称した。京阪バス及び京阪シティバスの一般路線バスは、基本的に1経路1営業所体制となっているが、男山・京田辺・枚方・交野の運行経路の一部に、他の営業所と共同管轄しているものもある(男山は京田辺と、京田辺は男山・枚方と、枚方は高槻・京田辺と、交野は寝屋川・香里団地と)。一般路線の詳細は、各営業所記事を参照。括弧内は管轄営業所。詳細は各コミュニティバス記事なども参照。過去にはびわ湖定期観光バスも設定されていたが、1980年代後半に廃止され、現在は京都定期観光バスのコースの一部として運行。設定当時は、午前0時以降の出発便を深夜バスとしていたが、京阪宇治交通時代に設定された樟葉駅を午前0時以降に出発する経路(男山40号経路など)は、歴史的経緯もあり深夜バスとしていない。なお、 運賃は通常運賃の倍額となる。定期券や、京阪バス1dayチケットで一般路線バス・後述する直通急行バスの深夜バスを利用するには差額の割り増し運賃を支払わなければならない。営業区域上、大阪市内(淀屋橋駅、北浜駅、天満橋駅、京橋駅や、梅田、難波などのターミナル)から発着・経由する高速バスの路線はない。以下は、特記以外は洛南が運行。各路線記事も参照。ICカード(Pitapa・ICOCAなど)スルッとKANSAIカード、京阪グループバスカードは利用可能。主要なもののみ記載。一般路線バスの廃止経路は各営業所記事を参照日野自動車、三菱ふそうトラック・バス、UDトラックス(旧:日産ディーゼル)、いすゞ自動車製が在籍する。基本的には、長らく枚方を境に北側の京都・滋賀地区および高槻に三菱ふそう車、枚方に三菱ふそうと日野の両社が、南側の大阪府下に日野車が配属される形であったが、1980年代中期より交野や門真に一部三菱ふそう車の新造配置がされていた事もあった。その後1990年代後半以降は山科に日野車や交野に三菱ふそう車を新造配置するなどを行い、2000年代よりこの原則自体が無くなった。日産ディーゼル車は旧・京阪宇治交通車両に多かったが京阪宇治バスへの移籍や経年による廃車で急激に数を減らしている。いすゞ車は最近まで旧・京阪宇治交通からの引継車のみであったが、2010年11月に高槻に京阪バスでは1976年以来34年振りにいすゞ車(エルガのLKG-LV234N3)が2台導入され、その後も増備が続いている。一方、三菱ふそう車は2009年度から暫く途絶えていたが2013年に久しぶりに大津営業所にエアロスターのQKG-MP37FMが納入され、2015年度にも山科営業所にQKG-MP35FKMのワンステップ車が4台導入された。京都地区の路線車については、比叡山への路線に使用されるための高出力仕様車も配属されている(かつては、比叡山線向けに特別にターボチャージャーの搭載されたものを導入していたが、現在はほぼ全車にターボチャージャーが搭載されているものの、日野・ブルーリボンIIと三菱ふそう・エアロスターに高出力モデルがありそれを導入しているが、現在は日野・ブルーリボンⅡのみ導入されている)。リムジンバス、定期観光バス、高速バスは三菱ふそう、日野の併用であるが最近は日野車のほうが多くが導入されており、2012年末には2階建バス(三菱ふそうエアロキング)置き換え用として、日野セレガハイブリッドが3両導入された。京阪バスで役目を終えた車両は系列会社のほか全国の地方事業者に譲渡されている。同社は神奈川中央交通・西武バスとともに古くから全国の地方事業者に廃車車両を供給していることでも知られている。系列に自動車整備のケーテー自動車工業があり、同社を経由して地方事業者に京阪バスの中古車両が販売されている。関西でも特に、旧・京阪宇治交通とともに使用年数が短かったため、特に前-後方式の扉配置を好む事業者には比較的多く譲渡されている。京阪バスの中古車は沖縄バス・群馬バス・群馬中央バス・富山地方鉄道・諏訪バス・いわさきバスネットワークなどに、旧・京阪宇治交通の車両は羽後交通・川中島バスなどに譲渡された例もある。また、最近は自動車NOx・PM法や大阪府流入車規制の影響で大阪府下に配備できなくなる車両が転属されることが多い。中古車の供給は1990年代後半頃の車両耐用年数見直し(約10年での代替から約15年程度使用に方針変更)により鈍化しているが現在でも系列の京阪シティバス・京阪京都交通・京阪宇治バスのほか、沖縄バス・群馬バスなどのグループ外の事業者にも譲渡されている。2008年、京阪バスは初の中古車を京阪京都交通より1台(H-3905)購入した。これは、同社が運行していた京都 - 広島・徳山線が廃止されたため余剰となったことから、高速バス用に同社より購入したものである。同時に、3列シートから4列シートに改造され、京都 - 四日市線で運行されていたが京都 - 伊勢線の京阪バス運行撤退により京都 - 伊勢線用の三菱ふそうエアロエースが転用された為に現在は予備車になっている。2013年には、京都定期観光バスで使用されていた三菱ふそう・エアロキング(U-MU525TA改)がはとバスに譲渡され、「オー・ソラ・ミオ」に改造された。京阪バス・京阪シティバスの車両には、1台ごとに社番と呼ばれる番号が付与されている。ここでは京阪バスで購入した車両の番号を記載する(旧・京阪宇治交通車両の社番の付番方法は割愛する。また旧・京阪宇治交通では「社番」ではなく「車両番号」と称していた)。社番はアルファベット1文字-4桁の数字で構成される。ただし、A-1031号車のように、Cタイプと同じ仕様であっても特定輸送専属車については、Aタイプを名乗っていた。現在でも一部Bタイプになっている車両がある(B-3092・3094)。貸切として使用されるバスは、B・Cタイプの使用が多いが、男山を中心にAタイプが使用される場合がある。また、Hタイプのバスのうちリムジンバスおよび一部の昼行路線向けの車両については、運用や配置の都合によりCタイプに変わるものもある(逆の場合もある)。なお、かつていすゞ製のボンネットバスにC-5002という番号が与えられている。5000番台が日産ディーゼル製になったのは、1999年に入りS-5001・5002が導入された時期である。2010年11月には旧・京阪宇治交通移籍車を除くと京阪バスとして数十年ぶりにいすゞ車が高槻に導入されたが、その際には6000番台が与えられた(N-6200・6201)。また、旧・京阪宇治交通・旧・京阪宇治交通田辺からの移籍車両に対する車両番号は、両社の番号を引き継いでいたが、2012年4月に京阪バスの社番に変更された。(例:旧N2006→U3237に変更)。百単位の番号がそれぞれのサイズ別で最後の番号(中・小型であれば199、大型であれば999)に達した場合は、再び最初の番号(中・小型は000、大型は200)に戻ることになっている(ただし京阪シティバスを除く)。一例として三菱ふそう製の大型車については、W-1999号車(大津)導入後にW-1200号車(高槻)を導入している。各営業所別に車両無線番号が割り振られている。転属を行った場合は無線機の番号も変更される。原則として方向幕はレシップ製、放送装置はレシップ製「OBCVISION」である(旧・京阪宇治交通車両を除く)。ただし後者については山科・男山の一部にレゾナント・システムズ製の車両もある。発光ダイオード式方向幕は2000年12月運行開始のタウンくる用車両から導入され、2002年8月落成のノンステップバスでも採用、翌2003年以降の新車で本格採用された。放送装置は、2012年よりレシップ製のものに順次交換され、現在は、高速バス・空港リムジンバスを除いて、一般路線バス及び直通急行バスは全てレシップ製となった。括弧内は営業所の漢字および、片仮名の公式略称(漢字表記は乗継車など、片仮名表記はバスカード表記などで使用)、所在地である。以下の営業所については車庫を併設している。営業所の呼称についても参照。担当路線などは当該営業所の記事を参照。☆印の案内所に「"K-bit"」と言う愛称がある(「"K-bit"」とはKeihan-bus information & Ticketsの略である)。おおむね月始と月末に数日程度開設される。現在は、公式サイトならびに公式刊行物に対して全営業所について「営業所」としているが、香里団地・高槻・寝屋川・門真の各営業所はかつては「支所」と名乗っていっていたほか、旧・田辺営業所についても旧・京阪宇治交通時代には旅客には「営業所」と称していたが、書類上では「支所」と届出ていた。これは、これらの営業所には独自に庶務係・運輸係・整備係(この3つをまとめて「営業所機能」と称す)が存在せず、枚方(香里団地・高槻)・交野(寝屋川・門真)の各営業所がこれらの業務を担当していたためである(なお、寝屋川営業所に関しては、当初は営業所として開設されているが、「営業所機能」を交野営業所に移転してからは『寝屋川支所』を名乗っている。さらに、高槻営業所と廃止された大津営業所八日市支所については、営業所機能がついてはいなかったものの、社史によると開設時の記述として「高槻営業所」「八日市営業所」とそれぞれ記載されているが、それ以降の記述にはそれぞれ『支所』と記載されている。八日市は後年支所→車庫に格下げされた)。営業所への呼称の変更については、当初は2002年頃に開設された公式サイト上での『営業所の紹介』にてなされている。ただ、この時期については。同時期(同年8月に発行、7月2日現在のものとして)に発行された社史において、これらの営業所が『支所』とされているほか、大津営業所は山科営業所の支所(『大津支所』)として、香里団地営業所は交野営業所の支所ということで変更がなされている。これ以外にも、車内路線図などには『支所』の呼称が用いられ、2003年9月刊行の京阪時刻表にも『支所』の呼称が用いられているほか、各営業所の銘板については、2006年10月までに、田辺営業所を含めて「支所」を名乗っていた営業所については『支所』と書かれた銘板が掲げられていることが確認されていたほか、京阪バスの公式サイトでの田辺営業所の年末年始の定期券発売所案内に「田辺支所」の呼称が用いられていた。2007年7月2日に更新された公式サイト上における『運輸安全マネジメントに関する取組みについて』(PDFファイル)の中の『業務組織図(2007年7月2日現在とされているもの)』においては、受託の営業所を含めてすべての営業所を4つのグループに分けた結果、上記に挙げた『支所』と呼ばれた営業所の他にも、横大路営業所については洛南営業所の支所(横大路支所)と位置づけられていた。なお、業務組織の変更は2007年4月に実施された。この時、京阪バスで不採算路線を最も多く抱えている田辺は、京阪宇治バスに運行を委託するようになった。なお他社委託営業所のうち、大津、京田辺は一部のみ京阪バスの乗務員および運行管理担当者も所属している。なお、2006年刊行の京阪時刻表については、『営業所』の呼称が用いられているほか、京阪バス公式サイト上での運賃表や経路表などについては、全営業所について「営業所」の呼称を用いている。その後、田辺営業所は2008年5月10日の移転に伴い「京田辺営業所」に改称するとともに、銘板も「営業所」名義に変更されたほか、年末年始の定期券発売所案内でも「京田辺営業所」と記載されるようになっている。本項ではすべての営業所について、京阪バスの営業所機能についての事情がわからない閲覧者が多いことや、社における乗客案内上の便宜を図る意思を尊重するために、京阪バスの「営業所」の呼称を用いることで統一する。京阪バスでは、社史などにおいて厳密に『営業所』と『車庫』を区別している(これは、上記の『支所』と呼ばれた営業所についても同様)。一例として車庫を併設している枚方営業所の場合、その開設に関する記事について『枚方営業所・車庫』と記述されている。これはかつて京都営業所(初代・現在の三条京阪案内所)など配備車両を持たない営業所が存在したり、上鳥羽車庫(1978年の移転前は洛南営業所とは違う場所にあった)のように乗車券の販売などができる建物を保有しない車庫が存在したためである。現在も、公式刊行物には記載されていないため通称となるが、高槻営業所には営業所の中の車庫の他に営業所からおよそ100mほど東側の国道170号の大塚交差点付近に「大塚車庫」と呼ばれる車庫スペースが存在する(このスペースについては高槻営業所の敷地として取り扱われている)。また、大津・男山・枚方・交野・寝屋川・門真の各営業所の最寄の停留所の名称はそれぞれ『車庫』(門真は『車庫前』。枚方は1994年7月10日以降は高速バスのみ発着している)となっているほか、実際に現場の係員に営業所の場所を尋ねる場合、『XX営業所』と呼ばずに『XXの車庫』という案内されることがある。なお現在では『車庫』と称する場所は存在していない。これについても本項および営業所における記述においては、営業所に併設している車庫について営業所の敷地内にある一節として取り扱うものとする。

出典:wikipedia

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