かもめは、九州旅客鉄道(JR九州)が博多駅 - 佐賀駅・肥前鹿島駅・長崎駅間、および諫早駅 - 長崎駅間を鹿児島本線・長崎本線を経由して運行している特急列車である。本項では、東京駅 - 神戸駅間で運行されていた「」および、長崎本線で運転されていた優等列車の沿革についても記述する。現行の特急「かもめ」は、1976年7月1日に長崎本線と佐世保線全線の電化により、それまで小倉駅・博多駅 - 長崎駅間で運行していた急行「出島」の一部を特急に格上げする形で、7往復で運行を開始した。運行区間の線路容量の都合から、6往復については小倉駅・博多駅 - 肥前山口駅間で佐世保駅発着の特急「みどり」を併結していた。また、残りの1往復に関しては「みどり」編成を「かもめ」の付属編成として連結し、肥前山口駅で増解結していた。1980年10月と1982年11月の2段階に分けて残りの「出島」は「かもめ」に格上げされ、福岡市と長崎市を結ぶ昼行優等列車は「かもめ」に統一された。また小倉駅乗り入れは1980年9月30日をもっていったん終了した後、一部列車が再度小倉駅発着となったり、門司港発で運行されていた時期もあったが、2005年3月1日に門司港発系統が廃止されて以降は博多駅より北への乗り入れは行われていない。「みどり」との併結は1978年10月2日に全列車で行うようになった後、1985年3月14日に日中の一部列車が単独運行となり、1986年11月1日にはいったん全列車単独運行となった。国鉄分割民営化以降「かもめ」が増発されたのを受けて1988年3月13日に「みどり」との連結が復活し、以後増発されるたびに連結列車が増える傾向にあった。1992年からは「みどり」を連結する列車の一部でハウステンボス駅発着の「ハウステンボス」も連結するようになった。新型車両の投入が進んだことで1996年3月16日に運行開始当初から使用されていた485系電車は「みどり」を連結する列車のみで用いられるようになり、2000年3月11日には単独運行の列車は885系電車、「みどり」連結列車はそれまで単独運行の列車で使用されていた783系電車に置き換わった。2011年3月12日のダイヤ改正で783系充当の列車のほとんどが787系電車での運行になったのと合わせて「みどり」との連結運行は終了した。列車名は海鳥のカモメが由来である。「かもめ」の名称を使用した列車は戦前から運行されており、日本国有鉄道(国鉄)・JRグループでは特急列車の名称として使用されている。なお、戦前は「」と漢字表記であったが、戦後はすべて平仮名表記になっている。なお、定期の特急列車とは別に海水浴客向けの臨時列車として「かもめ」の名称が使用されたことがあり、1934年夏季に東京鉄道局が発行したパンフレットには他の列車と一緒に藤沢行きに「かもめ」と記載されているほか、1964年から1967年までは房総西線臨時快速列車に起用されたことがある。定期列車は博多駅 - 長崎駅間25往復、博多駅 - 佐賀駅間3往復、肥前鹿島発博多行き上り1本と、平日のみ長崎発諫早行きの上り1本が運行されている。佐賀駅発着と肥前鹿島発の列車は100号台、長崎発諫早行きの列車は200号台が付与されている。博多駅 - 長崎駅間の列車は、885系電車充当の列車と、時間帯によって787系電車充当の列車がそれぞれ1時間に1本運行されている。博多発が5時台から22時台、長崎発が6時から21時台まで、1時間あたり1 - 2本の運行である。肥前鹿島発博多行きは6時台、博多駅 - 佐賀駅間は佐賀発6・9時台と23時台に、博多発佐賀行きが8時台と19・22時台、最終の23時台に設定されている。このほか、繁忙期には博多駅 - 佐賀駅・長崎駅間で臨時列車が運行されることがある。長崎駅発着列車はゴールデンウィーク・お盆・3連休などに3往復程度設定されるほか、福岡 ヤフオク!ドームなどでのコンサートや長崎ランタンフェスティバルの際には「コンサートかもめ」や「ランタンかもめ」の名前で運行される場合がある。佐賀駅発着の臨時列車は時期によって異なるが、最大で片道7本程度設定される。列車番号は、定期列車の1 - 50号が号数+2000M、100番台が号数+1980M(ただし100・102号は号数+1982M)、202号は2092Mである。博多駅 - (二日市駅) - 鳥栖駅 - 新鳥栖駅 - 佐賀駅 - (肥前山口駅) - 肥前鹿島駅 - 諫早駅 - 浦上駅 - 長崎駅南福岡車両区に所属する885系電車・787系電車・783系電車が充当されている。JR九州管内を運行する特急列車の中では唯一、3形式の車両が使用されている。※787系運転の1往復(1・48号)と、885系運転の下り3号/上り42・46・50号のみ二日市駅・肥前山口駅双方に停車。それ以外の885系運転列車はすべて二日市駅を、長崎行き787系運転列車はすべて肥前山口駅を通過。また783系運転の2往復のうち100・105号も二日市駅は通過となる。885系は2000年3月11日の車両投入時より使用されている。当初は黄帯の「白いかもめ」編成(1次車・6両編成)で運用されていたが、2次車である青帯の「白いソニック」編成が5両から6両に増結されてからは次第に「白いソニック」での運行が増えた。現在は1次車と2次車は共通運用となっており、1次車は青帯化され、ロゴも「KAMOME EXPRESS」から共通運用を前提とした「AROUND THE KYUSYU」ロゴに変更されている。長崎発諫早行きで運行の202号では、グリーン車は締切扱いになる。なお、始発列車と最終列車では、グリーン車サービスおよび車内販売は行われない(その旨放送がおこなわれるが、駅時刻表等では記載されない)。787系は4人用グリーン個室とデラックスグリーン席を備えた7両編成で運転されている。1994年3月のダイヤ改正時に「つばめ」に用いられていた編成が単独運行の列車5往復に投入されたが(当時連結していたビュフェも営業していた)、単独運行の「かもめ」が783系に統一されたことに伴い1996年3月15日をもって撤退した。その後、2001年3月3日に「有明」用の編成が博多駅 - 肥前山口駅間の列車1往復に充当されたが、これもこの年の10月5日に撤退していた。2011年3月12日の九州新幹線全線開業に伴い、廃止または大幅削減となった「リレーつばめ」・「有明」用の7両編成から付随車1両を抜いた6両編成が充当され、787系は9年半ぶりに「かもめ」の定期運用に復帰した。なお、885系と783系に予備車が少ないため、それ以前にも臨時列車で運用されたことがある。2014年のダイヤ改正からは従来の6両編成から7両編成に増結された。783系は4両編成で運転されている。1989年の投入当初は、帯色を青と赤で塗り分けた専用編成(7両・全室グリーン車・繁忙期9両)が使用されていた。1990年3月から1994年7月まで、車両愛称の「ハイパーサルーン」にちなみ「ハイパーかもめ」として運転されていた。運転開始時よりカフェテリアの営業も行っていたが、1992年に営業を終了している。その後、前述の通り1996年に単独運行の「かもめ」は783系6両編成に統一されたが、2000年3月11日に885系が投入されると783系は「みどり」併結列車での運用がほとんどとなり、編成も4両編成となった。ただし、多客期に5両編成で運行したのが2006年9月以降は常態化し、2007年3月18日のダイヤ改正で正式に5両編成に増結された。2011年3月12日のダイヤ改正で「みどり」との併結運行が終了したことに伴い、783系は長崎駅発着列車からは撤退となり、編成も再び4両となった。なお、従来用いられていた5両編成は日豊本線で運行される特急列車に転用された。1976年から2000年までは485系電車も使用されていた。JR九州は1990年以降、自社所有の485系を外装を赤一色にするなどのリニューアルを施工し、「かもめ」塗装の車両に関しては「KAMOME EXPRESS」の愛称があった。しかし「KAMOME EXPRESS」車両は単独運行の「かもめ」の車両更新が進んだことから1996年に全廃され、その後は2000年の485系撤退まで「にちりん」などで用いられる「RED EXPRESS」車両()で運行された。博多駅 - 長崎駅間の所要時間はおおよそ885系が1時間50分前後、787系が2時間前後である。885系と787系の時間差は、主に肥前七浦駅 - 諫早駅間の急曲線連続区間での振り子車と非振り子車の速度制限の格差である。2011年3月12日のダイヤ改正によって新鳥栖駅にも停車するようになったため、改正前より全体的に所要時間がわずかに延びたが、肥前山口駅での「みどり」との連結・切り離しが廃止されたことと、787系は基本的に肥前山口駅を通過するようになったことにより、783系が使われていた時期に比べると格差は小さくなっている。1937年7月1日から東京駅 - 神戸駅間で運行を開始した。「櫻」よりも30分先行する時刻で運行されていたが、東京駅は午後に発車、神戸駅は午前に発車し所要時間は「燕」より20分ほど長く、同区間を走っていた「燕」や、同時間帯を走る「富士」と「櫻」の補助的性格が強い列車であった。列車は、一・二・三等各車両と洋食堂車で編成されていた。展望車は1939年3月まで連結が見送られ、利用率次第ではすぐに臨時列車へ格下げする予定であったといわれている。この「」の設定された頃が、戦前の鉄道の最盛期であった。しかしながら同列車の設定された6日後の7日に盧溝橋事件が起こって日中戦争が勃発し、日本は次第に戦時体制に突入して行き、鉄道を取り巻く環境も変化していくことになり、1943年2月に戦況の悪化に伴い廃止された。(五十音順)
出典:wikipedia
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