西原 理恵子(さいばら りえこ、1964年11月1日 - )は、日本の漫画家。高知県高知市出身。通称「サイバラ」、「りえぞお」。1988年『ちくろ幼稚園』でデビュー。ギャンブルや、旅行体験レポートなど、実体験に基づいた大人向けギャグ漫画作品が多い。前夫はカメラマンの鴨志田穣。代表作は『ぼくんち』、『毎日かあさん』など多数。一般財団法人高須克弥記念財団理事長。高知県高知市出身。私立土佐女子高等学校中退、大学入学資格検定合格、武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒業。入退院を繰り返す程のアルコール依存症の実父と姑問題などに悩まされた母は、西原を身籠っている最中に実家に戻り出産、実父は西原と会う事もなく西原の幼少期に死去。7才の時に母が再婚する。無類のギャンブル好きでさまざまな商売に手をつけて成功と失敗を繰り返す義父との生活は、浮き沈みの激しくて奔放な日々だったが、義父は西原の事を実の子のようにかわいがってくれたという。私立土佐女子高等学校在学中に飲酒によって退学処分を受けるが、納得のいかない一方的な言い分に不服を申し立て、学校側を訴える(本人曰く「義父からおこづかいを前借りして訴訟に踏み切った。大人のケンカの仕方を教わった」)。その事件を取材に来たフリーライターの保坂展人(のち社民党衆院議員を経て2011年より世田谷区長)と知り合う。初期のカットの仕事などは保坂が紹介したものが多い。中退後は美大受験を志すが、美大受験の前日に義父がギャンブルで莫大な借金を作った事で縊死を遂げる。その後、19歳で100万円を持って美大受験のため単身上京するも予備校のテストで最下位を取る。これでは美大合格は無理だろうと考え、この頃からカットを描いて売り込みを始める。その後大検に合格し、美大受験のための予備校である立川美術学院に通い始め、ゲッツ板谷、後に26才の若さで夭折した野村昭嘉らと出会う。1年後、武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科に入学する(本人曰く「しょもない美大に無事受かってしまった」)。在学中から、飲食店での皿洗いやミニスカパブでホステスのアルバイトをしながら描き続けていた成人雑誌のカットが小学館の編集者八巻和弘の目に留まり、1988年『ちくろ幼稚園』(『ヤングサンデー』)でデビューを果たす。1989年3月大学卒業。その後、パチンコ雑誌、麻雀漫画誌、漫画週刊誌などに連載を持つ。「ギャンブルマンガを描くには実際に体験する必要がある。」という本人の言葉通り、数年間パチンコや高レートの麻雀に熱中する日々が続く。結果、損失金額は10年間で約5000万円となるが「私が負ければ負けるほど読者の受けがいい」とのことである。ギャンブルに負けたことをあけすけにネタにした過激な自虐エピソードや、実在のプロ雀師らの大胆なディフォルメ描写が好評を博す。1992年には『週刊朝日』誌上に神足裕司とタッグを組み連載したグルメレポ漫画『恨ミシュラン』で一躍人気を博す。1996年に企画された旅行体験ルポ漫画『鳥頭紀行』のアマゾン取材旅行で、カメラマンとして同行して知り合ったフォトジャーナリスト鴨志田穣と結婚する。やがて一男一女をもうけるも、鴨志田のアルコール依存症や西原の多忙によるすれ違いなどが原因で2003年に離婚。しかし、その後も絶縁したわけではなく、子供の親として頻繁にコミュニケーションはとっていた。やがて西原のサポートの下、鴨志田はアルコール依存症を克服する。『毎日かあさん』(毎日新聞紙上の連載)2006年8月掲載分にて復縁を匂わせ、婚姻届を出さない事実婚の形で同居を再開したが、その時点で鴨志田は末期の腎癌であり、半年後の2007年3月20日に死去。葬儀では西原は元妻として喪主を務めた。 その後、3か月間活動を休止していたが、親友であるゲッツ板谷原作の映画『ワルボロ』の宣伝用イラスト制作を機に、『毎日かあさん』などの連載を再開している。また、アルコール依存症を取り上げたテレビ番組にコメンテーターとして出演し、自身の体験を語ることも少なくない。2001年に渋谷PARCOにて初の展示会『西原理恵子 大ブレークへの道』を開催。2009年には同場所にて第二回展示会『バラハク』を開催。2007年5月9日放送の、フジテレビ系テレビ番組『ザ・ベストハウス123』の中で、「最も泣ける本」の第一位として『いけちゃんとぼく』が挙げられた。2009年には「いけちゃんとぼく」、『女の子ものがたり』が実写映画化され、いずれにも「言わんでもええ意地悪な一言を言う親戚のおばはん」役で出演しており、本人曰く「山村美紗作品における山村紅葉的ポジションを得た」らしい。4月より『毎日かあさん』がテレビアニメ化されている。また、交際中の高須克弥が院長を務める高須クリニックのCMに出演している(野村沙知代の出演部分を『毎日かあさん』(テレビ東京)と『5時に夢中!』(TOKYO MX)のみ西原に差し替え)。2010年には菅野美穂主演、吉田大八監督で『パーマネント野ばら』が映画化された他、『この世でいちばん大事な「カネ」の話』を原作として『崖っぷちのエリー〜この世でいちばん大事な「カネ」の話』が山田優主演でテレビドラマ化された。「毎日かあさん」の実写映画化決定の旨を自身のブログで発表。「かあさん」は小泉今日子。「鴨ちゃん」は永瀬正敏。2011年2月5日に全国松竹系にて実写映画版が公開された。2016年、高須克弥との共著『ダーリンは70歳 高須帝国の逆襲』(小学館)が、「編集上の不備があった」として回収の対象となる。1997年:『ぼくんち』で文藝春秋漫画賞。2005年:『毎日かあさん(カニ母編)』で文化庁メディア芸術祭漫画部門優秀賞、『毎日かあさん』『上京ものがたり』で手塚治虫文化賞短編賞を受賞。2008年:第29回日本雑学大賞受賞。雑学倶楽部主催。2011年:『毎日かあさん』で第40回日本漫画家協会賞参議院議長賞を受賞。2013年:第6回ベストマザー賞(文芸部門)受賞。日本マザーズ協会主催。デビュー当時は原律子のエロギャグを写し書きしていたが、誰からも気付いてもらえなかったことに寂しさを感じたと語っている。絵柄は基本的に非常にラフで、特にギャグ作品では描き殴ったような印象を受ける。自ら「上達ではなく下達するタイプ」と評しており、『人生一年生』内の企画で、西原と同様いわゆるヘタウマな作風に分類されるしりあがり寿と実力勝負を行い好評を得る。その後も「手塚治虫文化賞10周年記念イベント」で「画力対決七番勝負」でしりあがりとの対決が再現され、更に2011年現在、「人生画力対決」というタイトルで各回毎にゲスト作家を招き、ライブ形式で不定期開催されている。『まあじゃんほうろうき』『恨ミシュラン』『できるかな』などの、型破りな「エッセイ漫画」が前人未到の「無頼派」と評される一方、『ゆんぼくん』『ぼくんち』『いけちゃんとぼく』などでは「叙情性」が特徴とされる。「まあじゃんほうろうき」のコラムで片山まさゆきは「彼女がその気になれば、すぐにでも童話作家になれる」と評している。また、西原のブレイクによって、浜口乃理子、倉田真由美など多くの女性漫画家フォロワー(追随者)を生み出すが、いしかわじゅんは「女の無頼は西原理恵子一人で充分」と評している。これについては西原自身も同様に考えているようで、フォロワーであるにも関わらず敵意を示した倉田には「あなたが進んでいる道の先に、私はいない」という意味のアドバイスをしている。ただしギャグ色の強いマンガ家同士が作品内で行ったやりとりであることは留意する必要があり、事実西原と倉田はその後も交流がある様子が作品中に描かれている。エッセイ漫画などの作品の性質上、西原と親交のある人物が実名で登場することが多く、彼らに仕事を斡旋することも少なくない。元夫の鴨志田穣や友人の金角(後に、ゲッツ板谷に改名)・銀角らがライターとしてデビューしたのも西原がきっかけであると言われている。『いけちゃんとぼく』、『女の子ものがたり』、『パーマネント野ばら』など映画化が相次いでいる理由を問われ、「不況に強かったかな、と。景気が良かったら、もっとお金のかかる大作を映画化するんだろうけど。私の作品は、現実はキッチリ描くけど、最後はちょっとだけ笑っていただけるところがある。それが理由かな。みなさん精神的にキツい局面なので、夢みたいなセレブ生活なんて見たくないのかもしれませんね。」と語った。『ぼくんち』の題名はけらえいこの漫画『あたしンち』をもじったものであると言われていたが作者本人はこれについて「よりぬき毎日かあさん」内のインタビューにて否定している。因みに小学館編集者の八巻はけらえいこも担当している。マンガで売れ始めた後もイラストの仕事は非常に多く、比重が高いために文章担当者(山崎一夫、清水義範、ゲッツ板谷ら)と共著扱いになっている書が多数存在する。作品内の自画像は度々変化している。初期の頃はおかっぱ頭に黄色のシャツと赤いスカート姿だったが、『まあじゃんほうろうき』では麻雀に負けると羽をむしられた鳥の姿に変身し、『鳥頭紀行ジャングル編』辺りからモンペを穿き手ぬぐいを首に巻いた土木作業員のような格好になった。(この姿になったのはジャングルに行くのに素足スカートじゃおかしいことといい年してミニスカートが恥ずかしくなったからと明かしている。)『鳥頭紀行 くりくり編』にてミャンマーで出家して以降は坊主頭(髪は前髪の一房のみ)と修行衣姿になる(この姿は、本人によれば読者から「腐ったキューピー人形」と投書が来るほど不評だったらしい)。そして2児の母となった現在は、お団子頭を玉かんざしでまとめ割烹着にサンダル履きという「古き良き時代の庶民的おかん」というべき格好をしている(青島幸男扮する『意地悪ばあさん』の伊知割石と、ばってん荒川扮するお米ばあさんを、モデルにしているという)。ただし毎日新聞で『毎日かあさん』を連載開始してからは、著作権の関係から新たな作品ではこの割烹着スタイルは使用されておらず、2007年〜2009年連載の『西原理恵子の太腕繁盛記』以降では「おかっぱ頭で首に手ぬぐい、黄色のシャツと青スカート」という自画像になっている。髪の色は昔から一貫してオレンジであるが、西田考治との共作『むいむい』では黒い髪に赤いリボンを付けた腹話術人形を模した姿で描かれている。アシスタントは麓愛(ふもと あい)、通称「あいちゃん」。主にカラーを担当している。理由は西原が手掛けるよりもキレイに仕上がるため。西原が原色オンパレードの塗りを指示する文言は「ケツが割れるほど下品に」との事。同年齢の親友である小説家の岩井志麻子、編集者の中瀬ゆかりとともに「熟女キャッツアイ」を名乗り、トークショーなどの活動を行っている。また、「熟女キャッツアイ」はともに高須クリニック院長の高須克弥との親交が深く、高須の支払いで食事や旅行などしている。高須の私財を基に設立された高須克弥記念財団においては、西原が理事長に就任している。2012年10月11日発売の『女性セブン』では高須克弥との対談において、高須の妻の死去後、2年間にわたって「交際」していることを明らかにした(知り合ったのは10年前という)。2016年9月現在、高須とは事実婚の関係にある。敢えて入籍せず事実婚を選んだ理由として高須は「籍を入れると何かあった時に全部不倫と言われる」と述べており、西原もこの考え方に賛成している。TOKYO MXの夕方帯番組『5時に夢中!』に、同番組のスポンサーである高須克弥とともに出演を果たすことが多い。同番組では高須、西原、ファッションモデルのジョナサン・シガーのそれぞれの頭文字を取って「TSJお稽古クラブ」と題したレギュラーコーナーに毎週出演をしていた。現在でも不定期に同番組の特別コーナーに出演しており、準レギュラー的な扱いを受けていた。しかし、2012年2月23日に出した際、ディズニーランドの清掃業者に関する本を酷評し、さらに3月15日には、ど真ん中に牡丹の花が描かれている本の表紙を見て「牡丹ど真ん中、まんこど真ん中」と失言。その結果、5時に夢中!を降板させられた。この降板の件で、本人が「大ファン」という東京スポーツの一面記事に載り「人生最良の日を迎えられました」とブログでコメントしている。西原の降板について、3月26日月曜日の同番組で、長年レギュラー出演しているコラムニストのマツコ・デラックスから「私たちはルールを守りながら、ギリギリのところで7年間戦ってきた。ルールを破ったのは西原さんだから、西原さんにとやかく言われる筋合いはない。」と、苦言を呈された。翌日の3月27日火曜日でも、こちらも長年レギュラー出演している北斗晶から、「自分の発言には責任を持たないといけないし、聞いてる人にとっては不愉快にとらえられるかもしれない。」「放送禁止用語というものがあるから、(自分の意見を)伝えるだけでなく、見ている人に面白いと思ってもらわないといけないと思っている」と、こちらからも苦言を呈された。今までで最も嬉しかったファンレターは「僕は仕事に行くのが嫌で嫌で仕方ありません。会社も上司も大っ嫌いです。そんなとき、あなたの漫画を読むのです。そしてゲラゲラ笑うのです。そうしたら明日も会社に行こうという気が生まれてくるのです」という内容であったと述べている。幼少より映画鑑賞を好み、自身の作品が映画化される際はほぼカメオ出演をしている。やなせたかしの訃報に際し、毎日新聞2013年10月20日号の「毎日かあさん」で追悼の意思を表しており、その中で「自身のサイン会にて、不機嫌だった子供に対しアンパンマンのイラストとやなせたかしのサインを勝手に書いてプレゼントしたことがあり、そのことをやなせに対して話すと「いいよ、ぼくも売れないころドラえもんのサイン描いてたから」と承諾された」というエピソードを紹介した。これより以前の「人生画力対決」第19回にて、島本和彦と藤田和日郎をゲストとして招いた際、「これを描けるのは俺だけだ」と石ノ森章太郎のサインを添えたサイボーグ009を描き始めた島本に対してこのエピソードを話している。
出典:wikipedia
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