カササギ(鵲、)は、鳥綱スズメ目カラス科の1種の留鳥である。別名にカチガラスもしくはコウライガラスがある。現代中国語では「喜鵲」と呼ぶ。世界的には北アメリカ西部、欧州全域、中央アジア、アラビア半島南西部、極東、オホーツク海北部沿岸に分布する。現在一般的な分類では、旧北区の広範囲に分布する。しかしこの分類は不正確であり、修正が迫られている。北米の2種を亜種として含めると、その分布は旧北区に加え新北区となる。逆に、本種を複数種に分割するなら、日本の個体群を含む亜種 は別種 となり、その分布域はほぼ東アジアに限られる。日本では北海道、新潟県、長野県、福岡県、佐賀県、長崎県、熊本で繁殖が記録されている。秋田県、山形県、神奈川県、福井県、兵庫県、鳥取県、島根県、宮崎県、鹿児島の各県、嶼部では佐渡島、対馬で生息が確認されている。九州の個体群は、朝鮮とは別亜種で中国と同亜種に分類されている。九州の個体群は17世紀に朝鮮半島から現在の佐賀県(柳河藩、佐嘉藩)に人為移入された個体が起源とされるが、400年ほど前の598年(飛鳥時代)から輸入記録がある。しかし、室町時代以前の文献にカササギと断定出来る観察記録の記述は無い。移入時期は豊臣秀吉の朝鮮出兵とする説(後述)もあるが文献記録が無く伝聞の域を出ていない。一方、台風や季節風により本来生息域である大陸から迷行し飛来した自然渡来個体が定着した可能性も否定されていない。しかし江口、久保(1992)は、福岡県玄界灘沿岸生息群と佐賀平野生息個体群の分布調査からは自然渡来の可能性は極めて低いとしている。また、万葉集にカササギの歌が無い事が渡来時期の傍証のひとつとなっている。江戸時代には「朝鮮がらす」「高麗がらす」「とうがらす」の別称があり、江戸時代の生息範囲は柳河藩と佐嘉藩の周辺の周辺非常に狭い地域に限られていた。また、佐嘉藩では狩猟禁止令により保護されていた。生息域が極めて狭く珍しい鳥であることから1923年(大正12年)3月7日、その生息地を定めて、カササギ生息地一帯の市町村は国の天然記念物に指定されていた。また、佐賀県では、県民からの一般公募により、1965年(昭和40年)、県鳥とされた。1960年代以降電柱への営巣特性を獲得し分布障壁となっていた山地の森林が減少した事などから、1970年代以降急速に生息域が拡大し数が増加した。1980年代には、北海道の室蘭市や苫小牧市周辺で観察され繁殖している。これらの地域に生息する個体群の移入経路は不明であるが、。なお、酪農学園大学らの研究グループが2011年から調査を行い、苫小牧の個体群のDNAはロシア極東のものとほぼ一致したが、韓国のものとは違いが大きいと2015年に報道された。人里の大きな樹の樹上に球状の巣を作り繁殖する。ハシブトガラスのように群れを作らず、主にツガイ、もしくは巣立ち前の雛と少数単位で暮らす。また、ハシブトガラスよりも一回り小さく、黒地に白い羽を持つ。1960年代に行われた調査では、標高100m 以上の山地には生息せず人里を住みかとしており、広い森林が覆う山地は分布障壁となっている。穀類や昆虫、木の実、穀類などを食べる雑食性である。ケラやハサミムシ、コオロギなど地面に生息する虫も捕食する。秋にはイナゴなどの害虫を食べることから、益鳥とされる。戦前の調査では、全羅南道のカササギの砂嚢から、ジャガイモや大豆が見出されている。日本のほとんどは個体は古い巣の再利用はせず10月下旬頃から営巣地を探しはじめ、3月中旬頃までにはカキノキ、エノキ、クスノキ、ポプラなどの樹高8m以上の樹木に、木の枝や藁などを用い直径60cm-1m程度の球状の巣を作る。日本に生息する個体が作成する巣は屋根を有する構造であるが、ヨーロッパに生息する個体では屋根の無い構造の巣も作成すると報告されている。また、屋根があってもカラスにより卵や雛は捕食される。現在では都市化の影響で、電柱に巣を作る個体が増加しているが、これは時として停電を招くこともある。そのため、九州電力などでは、電柱上の変圧器付近に黄色い風杯型風車を取り付けるなどして、カササギなどの鳥に巣を作られないよう対策を講じている。この電柱巣は、ネコなどの地上の捕食者を完全に阻止出来るため巣立ちする雛の数が増加した。産卵は、営巣後すぐに行なわれ、楕円形の薄い緑色をした卵を6〜7個産む。雌が抱卵し、最終卵産卵後17-18日で孵化する。全ての卵の孵化には数日かかり雛の大きさには差が生じるが、孵化の遅い雛鳥の多くは死亡する。孵化後約4週間で1〜4羽が巣立ちし。、巣も放棄される。巣立ち後の若鳥の生存率は30%程度で12月頃まで集団でねぐらにつくが、その後番いを形成して分散し、個別の縄張りを持つようになる。なお、番いの関係は一生続く。カササギは鳥類のなかでも大きな脳を持っており、哺乳類以外では初めて、をクリアした、すなわち、鏡に写った像が(他の個体ではなく)自分であることを認識したことが確認された。日本においても、老人や子供は警戒しない一方で、若い男性など危害を与えようとするものには警戒して近寄らないという観察結果が出ている。国際鳥類学会議は、11亜種を認めている。ただしこれらのうち 、、 は別種かもしれない。逆に、カササギ属全体が1種に分類される可能性もあり、その場合は、北米の同属2種が2つの亜種として加わる。天然記念物「カササギ生息地域」であるが、絶滅を危惧する状態には無い。1923年3月7日、佐賀県の天然記念物に指定された。古代の日本には、もともとカササギは生息しなかったと考えられる。「魏志倭人伝」も「日本にはカササギがいない」と記述している。しかし、七夕の架け橋を作る伝説の鳥として、カササギの存在は日本に知られることとなった。奈良時代の歌人大伴家持は七夕伝説に取材した下記の歌でカササギを歌っている。(『新古今和歌集』・『小倉百人一首』に収載)現在日本に生息するカササギは、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に、肥前国の佐賀藩主鍋島直茂、筑後国(現福岡県)の柳川藩主立花宗茂など九州の大名らが朝鮮半島から日本に持ち帰り、繁殖したものだとされる説があるが文献記録は無く真相は不明である。その一方で、冬に朝鮮半島から渡ってくるミヤマガラスの大群にカササギが混じっていることがあるという観察結果から、渡ってきたカササギが局地的に定着したという意見もある。七夕のカササギの伝承は日本では「サギと付くからサギの仲間だろう」と思われたため、カササギではなくサギで代用されている(鷺舞を参照のこと)。現在の日本では鵲の文字は、鳥類のカササギを指す文字として使用されているが、古い時代の日本での意味と読みは不明である。サギの音を含むが鷺(サギ)とは無関係である。七夕伝説における織姫と彦星の間をつなぐ掛け橋の役を担う鳥として、親しまれている。朝鮮語ではカササギを「까치(Kkachi、カチ)」と呼ぶ。大韓民国では首都のソウル特別市をはじめとする多くの都市が市の鳥に指定している。また、ソウルの地下鉄にはカチ山駅という駅がある。英語では、カササギ、オナガ、サンジャク、ヘキサンなどをまとめて (マグパイ)と呼び、伝統的に「おしゃべり好きのキャラクター」としての表象を与えられている。また、金属など光るものを集める習性があることから、「泥棒」の暗喩に用いられることがある。しかし、実際はカササギは光る物を持っていくことは無い。
出典:wikipedia
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