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沼田義明

沼田 義明(ぬまた よしあき、男性、1945年4月19日 - )は、日本の元プロボクサー。元WBA・WBC統一世界ジュニアライト級(現スーパーフェザー級)王者。元東洋ジュニアライト級(現スーパーフェザー級)、ライト級王者。北海道沙流郡門別町(現日高町)出身。実家は日高町の沼田旅館。右ボクサーファイター。その正確なボクシング技術から「精密機械」と称された。一時期はヨネクラボクシングジムトレーナー及びテレビ朝日「エキサイトボクシング」の解説者として知られ、清瀬市でボクシングジム開設後も引き続き解説者として活躍、同郷の山口圭司が有永政幸にKOで敗北した時も担当していた。テレビボクシングが最盛期であった1961年、TBSと極東プロモーションが合同企画した、「ボクシング教室」の門下生という異色のボクサー。沼田のハイライトを探すと、行き着くことになるのが1970年9月27日に行われたラウル・ロハス(米国)との2度目の初防衛戦である。ギャングとして少年時代を過ごしたというロハスは、西城正三にWBA世界フェザー級王座を明け渡した後は降り坂のボクサーだったが、豪快な強打は健在で、2階級制覇を賭けて沼田に挑んだ一戦でもあった。試合のゴングが打ち鳴らされた後、序盤からロハスがペースを握り、4回、沼田はロープ際でロハスの強烈なボディブローを浴びて痛烈にダウン。何とか立ち上がって再戦に応じたが、その後も連打にさらされ続けた。かろうじてゴングに逃げ込んだが、もはやKOは時間の問題と思われた。続く5回も、沼田はロープ際でロハスの連打を浴び続ける。しかし、ここから大逆転が始まる。一方的に打ち続けたロハスが打ち疲れて連打を止めると、その隙をついて沼田がパンチを浴びせ始めた。今度はロハスが沼田をコーナーに釘付けにして滅多打ちにしたが、沼田は倒れない。また打ち疲れてしまったロハスが手を止めると、沼田が反撃に転じ始めた。打ち疲れたロハスは反撃ができず、リング中央で逆に沼田の強烈な右アッパーをアゴにまともに受けて顔面から前のめりにキャンバスに崩れ落ちた。一度は体を起こしたロハスだったが、そのまま後ろに倒れこみ10カウントを聞いた。日本ボクシング史に残る大逆転KO勝ちで防衛に成功した沼田は後に「打たれながらロハスのガードが空くのを見ていた」と語った。当時のフィルムからは、沼田がロープに釘付けにされながらも、クリーンヒットは一度ももらっておらず、冷静にロハスの動きをじっと見ているのが確認できる。危機的状況に追い込まれながらも冷静さを失わないこの試合巧者ぶりは、まさしく「精密機械」である。最終戦績55戦44勝(12KO)8敗1分。

出典:wikipedia

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