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穂口雄右

穂口 雄右(ほぐち ゆうすけ、1948年1月24日 - )は、日本の作曲家。日本作詞作曲家協会理事及び事務局長、株式会社アムバックス・エデュケイト代表取締役会長、株式会社アムバックス音楽出版代表取締役社長、株式会社ミュージックゲート代表取締役社長。 元・一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)正会員及び評議員。 妻:神田広美。東京都出身。日本大学芸術学部中退。1963年、15歳の時に、ジャニーズのバックバンド「ジャニーズ・ジュニア」に、オルガニストとして途中から短期間だけ一時参加。その後、渡辺プロダクションへ所属し、まだ高校生だった1966年6月、水谷淳(後の水谷公生)、轟健二(後の松崎澄夫、アミューズ元副会長)らと、GSバンド「アウト・キャスト」を結成。オルガニスト、キーボーディストとしてプロの音楽活動を開始した。 当時のマスターテープがほとんど紛失している中、アナログ盤から音源が起こされてCDが再発売されている。1967年秋に「アウト・キャスト」を脱退し、「津々美洋とオールスターズ・ワゴン」に途中から加入した。日本大学芸術学部在学中に編曲家の森岡賢一郎に抜擢され、19歳で当時最年少のスタジオ・ミュージシャンとなり、多くのレコーディングセッションに参加。 水谷公生、武部秀明(元「アダムス」の千原秀明、愛称:チー坊、2002年没)、戸叶京助による洋楽コピーバンド「オールド・グランド・ダッド」を始め、多くのスタジオワーク、及びアレンジャーサポート活動を行った。大学中退後、23歳の時に編曲家に転向。更に25歳からは、作曲家としての活動も開始した。渡辺プロダクション出身ではあるが宮川泰らのように専属契約ではなかったため他のプロダクションのアーティストにも曲を提供している。1982年、原宿に音楽学校『プロフェッショナルミュージックスクール AMVOX(アムバックス)』を設立。作曲家に転身して間もないある日、テレビで見た可愛い女の子3人組にヒットの可能性を見出した穂口は、後日久々に会った松崎澄夫にそのことを話し、このような3人組のグループをプロデュースしてはと提案したところ、その3人組を松崎がプロデュースしていたと教えられて驚く。その3人組こそ、当時発足して間もないキャンディーズであった。穂口は松崎の依頼で彼女らのレッスンを担当することになり、曲提供も行うようになった。その後、「夏が来た!」で事務所が2匹目のドジョウを狙ったことに不信感を抱き、この曲を最後に一度キャンディーズからは離れたが、松崎の依頼を受けて「わな」で復帰(この間、「暑中お見舞い申し上げます」の作曲依頼を受けたが断っている。ただし、B面の「オレンジの海」は穂口の作・編曲である)、グランドフィナーレまでの間、3人を後押しした。作詞、作曲、編曲を担当した代表作「春一番」(1976年 キャンディーズ)は、テレビCMなどで繰り返し放送されている。もともとはアルバムに収録された一楽曲にすぎなかったが、ファンクラブからの意見で後にシングルカットされたという逸話がある。また、1996年12月に発生した「ペルー日本大使公邸占拠事件」では、「ラジオアメリカ」が「春一番」(他に「上を向いて歩こう(SUKIYAKI)」「コンドルは飛んでいく(ペルー民謡)」「ラジオ体操」)を日本語放送して当時人質となっていた者たちを励ました。「わな」での3人の成長ぶりに離れていた間でも努力を怠らなかったことを感じ取った穂口は「微笑がえし」のレコーディングにおいて3人に敬意を表し、アイドルではなくミュージシャンとして扱うため、3人にも初見でのレコーディングをさせることを提案する。スタッフにも異論は出ず、3人も完璧な歌唱でこれに応え、レコーディングはあっという間に終了したという。旧態依然とする音楽業界に対してインターネット時代の音楽や著作権のあり方について具体的な提言を行える数少ない日本音楽著作権協会評議員として十数年間活躍した。テレビ朝日ミュージックの著作権管理の問題点をホームページ上で指摘をした所、記事の削除と金1000万円の損害賠償の支払いを求めて提訴されたことがある。しかしこれは、自作品の出版管理にかかる至極当然な主張であったため、裁判長の勧告によって和解となり、テレビ朝日ミュージックに関する記述も削除された。 なお、ホームページ上で指摘したという問題点の詳細については、和解条項により現在では公表できないことになっている。穂口は、40数年在籍していた日本音楽著作権協会を2012年3月31日付けで退会した。穂口が作詞・作曲した「春一番」と「夏が来た!」は、日本音楽著作権協会の管理下から離れ、穂口自身の管理楽曲となった。穂口は、代表取締役を務める法人のウェブサイトにて「春一番」と「夏が来た!」について引き続き同一条件にての使用許諾を表明したが、一部の音楽配信事業者は「春一番」と「夏が来た!」の音楽配信を停止した。日本放送協会は穂口との年間契約に合意したが、通信カラオケ事業者の大手である第一興商とエクシングは、「春一番」と「夏が来た!」のカラオケ配信を停止した。穂口が「春一番」と「夏が来た!」という極めて知名度の高い往年の大ヒット曲の著作権を日本音楽著作権協会の信託から引き上げ、自己管理下に置いたことには理由があった。穂口は、放送局および広告代理店系列の音楽出版社が著作権および著作隣接権(原盤権)を掌握しているという現状の構図に対して、疑義を呈する意思があったからであると述べた。音楽業界は、この半世紀に至るまで、放送局と一蓮托生の関係にあった。しかし、CD不況のみならず、音楽配信の売り上げもまた低迷するなか、音楽業界にとって命綱ともいうべき存在であった放送局の大衆への影響力が低下したことが、音楽業界をさらに窮地へと追いやった。音楽業界にとって絶頂期であった1998年のレコード生産金額は4924億円。しかし2010年には、それが1874億円にまで減少した。減少率は62%にまで達してしまった。事態が事ここに至ってもなお、音楽業界は、自らを省みる行動には出なかった。それどころか、キャンディーズの一員であった田中好子の没後、彼女を偲ぶコメントが多く寄せられていたYouTubeの動画を、ソニー・ミュージックエンタテインメントの代理人である日本レコード協会は、ソニー・ミュージックエンタテインメントが保有する著作隣接権(原盤権)を根拠に削除した。穂口はこれらの行為を、YouTubeが提供する「収益化」という機能を利用すれば「著作隣接権者として収益を得ながら、ファンの皆様のために動画を掲載し続ける選択肢もあった」にもかかわらず、「ファンの皆様のコメントもろとも削除するという血も涙もない行動を、たかだか自分達の金銭的利益のために行った」として、「レコード協会の行動は著作権法の立法の精神を踏みにじる暴挙」と批判した。なお、「春一番」のカラオケ配信は、「当初の目的を達成した」として穂口が2015年初めに著作権を米BMI経由で日本音楽著作権協会の管理に戻したことにより再開している。そもそも、穂口と音楽業界との関係がこじれたのは、これが発端ではない。穂口は、「春一番」と「夏が来た!」の著作隣接権(原盤権)を保有するソニー・ミュージックエンタテインメントと始めとする日本レコード協会の31社から、約2億3000万円もの賠償金を求められ提訴された。この民事事件を各レコード会社から受任したのは、司法官僚の天下り先であるTMI総合法律事務所に所属する弁護士を中心とした弁護団である。穂口は、訴訟を通じて原告らの弁護団の主張を聞き、「かなりいい加減な裁判」との見方を示した。裁判は、2014年12月17日に和解が成立。和解内容はレコード会社側が損害賠償請求を放棄するかわりに、ミュージックゲート側はサービスを再開しないことで双方合意。高額の著作権裁判で損害賠償が0円になることは前代未聞だが、これはTUBEFIREが設置していた「著作権保護システム」が有効に機能し、レコード会社が主張した10000ファイルの内、実際には121ファイルだけに侵害の可能性があることを裁判所が認めた結果である。なお、ミュージックゲート側も和解条項の中で121ファイルについての侵害の可能性を認めている。

出典:wikipedia

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