テイエムプリキュアは日本の競走馬、繁殖牝馬である。2005年度JRA賞最優秀2歳牝馬。馬名の由来は「冠名+キャラクター名」。「プリキュア」とはアニメ『ふたりはプリキュア』シリーズの主人公たちが変身する伝説の戦士の名であり、名付け親は馬主・竹園正繼の娘である。場内に新冠泥火山があるタニグチ牧場で2003年4月8日に誕生。誕生後すぐ母・フェリアードが腸捻転の手術を受けるため入院し、人間の手により乳を与えられて育つ。同年秋に日高軽種馬農業協同組合主催のオータムセールに上場され、250万円で竹園正繼に購買された。2005年、兄・テイエムハクバオーも管理する五十嵐忠男厩舎に入厩。2005年9月3日に小倉競馬場で赤木高太郎を背にデビューし、ドリームパスポートなどを退けて初戦勝利を挙げた。続くかえで賞(500万円以下)は、鞍上に熊沢重文を迎えて連勝。2歳女王戦の阪神ジュベナイルフィリーズを迎える。当日は8番人気と低評価であったが中団待機策から残り100mで一気に先頭に立ち、2着のシークレットコードに1馬身半差を付けて優勝した。なお、表彰式には名付け親である竹園の娘も一緒に表彰台に立った。この年、JRA賞最優秀2歳牝馬を受賞。翌2006年初戦のチューリップ賞ではレース2日前に熊沢が骨折したため、鞍上が上村洋行に乗り替わりとなる。1番人気に支持されたが4着に敗れた。次走の桜花賞では鞍上が熊沢に戻るも、8着。フローラステークス7着を経て臨んだ優駿牝馬では11着と大敗し、さらに脚部不安のために長期の休養を余儀なくされた。2007年初頭の復帰以降は2年間で20戦して入着(5着以内)は2回、2桁着順が13回と極度の不振に陥った。2008年最終戦の愛知杯では最下位に沈んだ。2009年1月、前年3着と好走していた日経新春杯を最後に競走生活からの引退が発表される。当日は最軽量ハンデの49kgで出走。雨の中をスタートから先頭に立ってレースを引っ張り、後続を大きく引き離す。最後の直線でもスピードは鈍らず、2着のナムラマースに3馬身半差の逃げ切りで阪神ジュベナイルフィリーズ以来3年1ヶ月振りの勝利を挙げた。騎乗した荻野琢真にとっては、これが重賞初勝利であった。この勝利により予定が変更され、天皇賞(春)を目標としての現役続行が決定した。その後、3月22日の阪神大賞典に出走。スタートからハナに立ち大逃げを打つも最後の直線でアサクサキングスに捕らえられ失速、9着に敗れた。そして大一番の天皇賞(春)では道中3番手からレースをしたが3コーナー付近で失速、18着としんがり負けに終わった。休養を挟んで10月11日の京都大賞典ではいつも通りの大逃げを打つも直線で失速し、最下位の14着に終わった。11月15日には、約11ヶ月ぶりに熊沢を鞍上に迎えてエリザベス女王杯に出走。クィーンスプマンテと大逃げを打ち、最後の直線ではブエナビスタに迫られるものの2着と健闘した。なお、6歳(旧表記7歳)以上の牝馬のGI(JpnIも含む。以下同じ)連対は2015年のヴィクトリアマイルでストレイトガールが優勝するまで、1993年宝塚記念にて2着に入ったイクノディクタス(当時6歳・旧表記7歳)と並び日本調教馬としてGI最高着順だった。2009年の有馬記念ファン投票では23位となったが、これを受けてテイエム牧場公式サイトの掲示板でファンに直接意見を求めた結果、馬主が有馬記念に出走させる意向であることを表明し、出走したが14着に終わった。2010年はまず、連覇を賭けて日経新春杯に挑むも12頭中12着としんがり負けに終わった。半年の休養を挟み、7月25日の函館記念ではスタートから大逃げを打つも3コーナー付近で失速し最下位の16着に敗れた。続く8月29日の新潟記念では最内枠からいつも通りのマイペースな逃げを見せるも直線で一杯になり16着に敗れた。11月14日のエリザベス女王杯では道中先頭に立ってレースを引っ張り、後続を引き離したが直線で失速し17着に敗れた。11月17日に競走馬登録を抹消し、生まれ故郷のタニグチ牧場で繁殖入りすることとなった。競走で獲得した賞金は2億474万1000円となり、落札額に対して81.9倍の賞金を稼いだ。阪神ジュベナイルフィリーズに優勝する前、馬主の竹園は月刊優駿でコラムを連載しており、この馬の2003年のオータムセールでの購入時のことを述べている。それによると竹園は血統等の先入観なしで一目で走る馬だと直感し、竹園のほかに誰も手を上げる者がなく250万円で購入できた。しかしどの調教師もこの馬を預かることに及び腰となったため、竹園は当馬の兄を預けていた五十嵐に押し付けるように預けた。また、同氏の著書「馬見の極意」(テイエム技研)の収録DVDにセールで競り落とした当馬の映像が収録されている。その馬名と大逃げを打つ脚質から「記録よりも記憶に残る馬」として人気があり、しんがり負けが全37走中10回もあったにもかかわらず単勝最低人気になったことは一度もなく、レースに出走するたびに馬名の入った横断幕がパドックに何枚も掲げられ、ラストランとなった2010年11月14日のエリザベス女王杯では9枚も掲げられていた。また、馬名にちなんで2006年からメンコに『ふたりはプリキュア Max Heart』のワッペンが貼られるようになり、2009年に『フレッシュプリキュア!』のワッペンに更新されている。「2歳と6歳でJRAの重賞優勝」「2歳と6歳でJRAのGI連対」の記録は、牡馬ではアドマイヤコジーンがいるが、牝馬では本馬が唯一の記録である。日経新春杯を制した2009年は6歳であり、このレースを優勝した牝馬の中で最高齢記録である。引退後はタニグチ牧場で繁殖牝馬となり、2012年に初仔が生まれた。初仔と第2仔は出産直後に育児放棄が見られ、仔馬に乳母の馬をつけて飼育されていたが、第3仔からはテイエムプリキュア自身が仔馬の面倒を見るようになった。
出典:wikipedia
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