『レナードの朝』(レナードのあさ、"Awakenings")は、医師・オリバー・サックス著作の医療ノンフィクション。また、そのノンフィクションを基にした舞台作品、映画作品。マウント・カーメル病院に入院していたの20名に、1960年代に開発されたパーキンソン病向けの新薬L-ドーパを投与し、覚醒させたが、耐性により効果が薄れていった状況を記述している。パーキンソン病、パーキンソン症候群、嗜眠性脳炎の説明。マウント・カーメル病院の環境やL-DOPAについて。個々の患者についての20の症例。サックスの考察。付録1 嗜眠性脳炎の歴史、付録2 奇蹟の薬、付録3 目覚めの脳波的基礎、付録4 L-DOPA以後、付録5 パーキンソン症候群の空間と時間、付録6 カオスと目覚め、付録7 《レナードの朝》の演劇と映画1982年、イギリスでハロルド・ピンターが、本書を基にした戯曲『いわばアラスカ』を執筆した。1990年、米国でペニー・マーシャル監督の「"Awakenings"」として、内容を再構成したフィクションという形で映画化された。日本での公開は1991年4月、タイトルは「レナードの朝」。実話である原作では20名の患者全てに対する記述が行われているが、映画は原作に基づくフィクションであり、レナードに対する描写が主である。患者が示す症状は必ずしも科学的に正確でない。第63回アカデミー賞において作品賞、主演男優賞(ロバート・デ・ニーロ)、脚色賞の3部門でノミネートされた(受賞はならず)。2009年2月現在VHSビデオソフトは廃盤。流通在庫のみ。DVDは1998年以降不定期で再発売されている。1969年、人付き合いが極端に苦手なマルコム・セイヤー医師が、ブロンクスの慢性神経病患者専門の病院に赴任して来る。そもそも研究が専門であり、臨床の経験の全くないセイヤーは、患者との接し方で苦労するが、本来の誠実な人柄で真摯に仕事に取り組む。そんなある日、患者たちに反射神経が残っていることに気付いたセイヤーは、ボールや音楽など様々なものを使った訓練により、患者たちの生気を取り戻すことに成功する。更なる回復を目指し、セイヤーはパーキンソン病の新薬を使うことを考える。まだ公式に認められていない薬ではあるが、最も重症のレナードに対して使うことを上司のカウフマン医師とレナードの唯一の家族である母親に認めてもらう。当初はなかなか成果が現れなかったが、ある夜、レナードは自力でベッドから起き上がり、セイヤーと言葉を交わす。30年ぶりに目覚め、機能を回復したレナードは、セイヤーとともに町に出る。30年ぶりに見る世界はレナードにとって全てが新鮮であり、レナードとセイヤーは患者と医師との関係を超えた友情を育む。この成功を踏まえ、セイヤーの働きに共感した病院スタッフらの協力の下、他の患者たちにも同じ薬を使用することになる。すると期待通りに、全ての患者が機能を回復する。目覚めた患者たちは生きる幸せを噛み締める。ある日、レナードは、父親の見舞いにやって来た若い女性ポーラと出会い、彼女に恋をする。そして病院から1人で外出したいと願い出るが、経過を慎重に観察したい医師団から反対される。これに怒ったレナードは暴れ出し、それをきっかけに病状が悪化し始めるとともに凶暴になって行く。子供の頃から大人しい性格だったレナードの変貌ぶりに、レナードの母はショックを受ける。セイヤーの努力も虚しく、病状が悪くなる一方のレナードは、自分のような患者のために自分の姿を記録にとどめるようにセイヤーに頼む。そんなレナードの姿にセイヤーは自分の無力を強く感じる。そして遂に、レナードをはじめ、同じ薬を使った患者たちは全て元の状態に戻ってしまう。自分のしたことに疑問を感じ、罪悪感すら抱くセイヤーを、常に彼を支えて来た看護師のエレノアは優しく慰める。そして、患者たちとの交流を通じて、生きていることの素晴らしさ、家族の大切さに気付かされたセイヤーは、これまで意識的に距離をとっていたエレノアとの距離を縮める。セイヤーらは、その後も治療を続け、患者たちの状態が改善することもあったが、1969年の夏に起きたような目覚ましい回復が見られることはなかった。※2015年12月2日発売の「吹替洋画劇場」シリーズ「吹替洋画劇場『レナードの朝』デラックス エディション」Blu-rayには本編ディスクとは別に、日本テレビ版(約91分)の吹き替え版を収録した特典ディスクが付属している。
出典:wikipedia
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