片上 大輔(かたがみ だいすけ、1981年8月28日 - )は、将棋棋士。棋士番号は251。森信雄七段門下。広島県広島市出身。東京大学在学中にプロデビューし、史上初の‘東大生棋士’として時の人となる。その後、同大学を卒業したが、‘東大卒棋士’も史上初である。小学校6年の秋に奨励会に入会。村山聖、山崎隆之、糸谷哲郎などの棋士を生んだ広島将棋センター出身。師匠も彼らと同じ森信雄である。1学年上の山崎とは少年時代からしのぎを削り、1万局は指したという。広島修道高等学校から東京大学文科一類に進む。同大学3年在学中の2004年2月に奨励会三段リーグで最終戦を待たずして四段昇段(プロ入り)を決める。最終成績は16勝2敗で歴代1位タイの記録であった。将棋界初の東大生プロ棋士ということで、多くのマスメディアに取り上げられた。ただし、プロ将棋界の中には「『奨励会員が東大に合格(していた)』と表現するのが適切」とする向きもあったようである。プロ入り後、初参加のC級2組順位戦(2004年度 = 第63期)で、すぐに8勝2敗の好成績を収めるが、次点(4位)で昇級を逃す。2005年に同大学法学部を卒業。なお、女流棋界では2009年4月に、渡辺弥生が史上初の東大卒女流棋士としてデビューしている。東大を卒業した2005年、第18期竜王ランキング戦6組で優勝。さらに竜王挑戦権を争う本戦トーナメントでも2勝を挙げ、準々決勝に進出。2006年度、第19期竜王ランキング戦5組で、敗者復活から3位となって4組昇級を決め、五段に昇段。これは、竜王戦の規定による昇段の条件(の一つ)が「竜王ランキング戦連続2回優勝」から「竜王ランキング戦連続2回昇級」へ緩和された後に適用された初のケースである(山崎隆之、大平武洋も同じ条件で同じ期に昇段している)。同年度、第65期C級2組順位戦で9勝1敗で1位の成績を収め、C級1組へ昇級。2007年度、第20期竜王ランキング戦4組で優勝し、3期連続昇級。本戦トーナメントでも1勝を挙げる。2008年度、第16期銀河戦で決勝トーナメントに進出。郷田真隆九段から1勝を挙げベスト8。2009年度、第22期竜王ランキング戦3組で優勝(準決勝で勝った時点で2組昇級が決まり、六段昇段)。自身3度目となる本戦でも、1戦目で森下卓九段(2組2位)から1勝を挙げる(2戦目で1組2位の羽生善治名人(四冠)に敗れる)。しかし、翌年度の第23期では2組1回戦で敗退し、昇級者決定戦も1回戦敗退したため、プロ7年目にして竜王戦・順位戦を通して初の降級が決まる。アマ日本選手権に特別参加2006年2月26日、社会人と大学生の日本一チームが対戦する7人制団体戦「第18回アマチュア将棋団体日本選手権」に東大チーム大将として特別参加。NECチーム大将として同じく特別参加した瀬川晶司四段(同日時点でNECの関連会社・ワイイーシーソリューションズに勤務、同年3月末退職)に勝ち、チームも5-2で勝利した。この大会に参加した棋士は片上と瀬川が初めて。片上の特別参加は、東大将棋部(在学中の片上が毎日のように顔を出していた)から「片上を出場させたい」と依頼を受けた主催者のリコーが、瀬川やNEC、片上と瀬川が所属する日本将棋連盟から了解を得て実現した。 しかし、当時まだ会社に在籍していた瀬川と違い、片上は前年9月に東大を卒業し「東大OB」になっていたため、特別参加を疑問視する記事を書いた観戦記者もいた。主に指す戦法が矢倉、角換わり、四間飛車の3つで、指す頻度も3つそれぞれ同じぐらいという、プロ将棋界では珍しいタイプである。昇段規定は、"将棋の段級" を参照。竜王戦と順位戦のクラスは、"将棋棋士の在籍クラス" を参照。
出典:wikipedia
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