『七人の刑事』(しちにんのけいじ)は、TBSで放送されたテレビドラマ。警視庁捜査一課の刑事7人の活躍を描く刑事ドラマである。警視庁の空撮と、男性のハミングによるオープニング・テーマは有名である。最初のシリーズは1961年10月4日から1969年4月28日まで放送。当初時間帯は水曜夜8時台だったが、プロ野球のシーズン中はこの時間帯はナイター中継の枠となっていたため、1962年4月以降は定期放送ができなくなり、1962年10月11日からは木曜夜8時台に移動。また水曜時代は日本ビクターの一社提供だったが、枠移動後は複数社提供に変更された。1964年5月28日で一時休止し、同年8月24日から時間帯を月曜夜10時台に変更して再開した。この期間中に映画版が3本公開、終了後も1973年、1975年に特別編を4本放送。スタートする前年の1960年から約1年間放送されていたドラマ『刑事物語』が本作の基となったとされている。芦田伸介扮する沢田のよれよれのコートにハンチング帽というスタイルは、警視庁に在籍していた刑事、平塚八兵衛がモデルになったともいわれている。1967年、第4回ギャラクシー賞を受賞。1978年4月14日から1979年10月19日まで、新シリーズ(毎週金曜日20:00 - 20:54)を放送。1998年に『七人の刑事 最後の捜査線』(月曜ドラマスペシャル)を放送。第1作はVTR収録で、第1話放送の日は『特別機動捜査隊』の前夜祭と同じ日だった。当時はビデオテープが高価だったため、撮影に使用されたテープは放送終了後に別の撮影に使われて上書きされていた。そのため、第1作の映像は「乾いた土地」(第100回)と唯一フィルムで撮影されたエピソード「二人だけの銀座」(第256回、脚本:佐々木守、監督:今野勉)を除いて現存しない。以上の放送時間は、1973年6月24日は日曜日20:00 - 21:25(『日曜ゴールデンシリーズ』内)、1975年の『新…』の3本の放映時間はいずれも日曜日19:30 - 20:55(『サンデースペシャル』内)。「レモンの埋葬」は、上記1961年放送開始版のキャストで放送されたが、1975年の特別編3本は芦田伸介演じる沢田部長刑事が、辺見部長刑事と改称され、モノクロ編の刑事は登場しない。また、1975年以降に放映された『新・七人の刑事 永遠の少年』、『新・七人の刑事 月光仮面』、『新・七人の刑事 さらば友よ』は、近畿地方では、従来の連続シリーズは朝日放送で放映されたが、特別編は1975年3月31日のネットチェンジ後であったため、毎日放送で放映された(以降の作品も毎日放送で放映)。1975年版のキャストは以下の通り。オリジナル同様TBSの自社制作で、ビデオ撮影にて制作された。TBS系の地方局でも、当時裏番組の「太陽にほえろ!」の同時ネットを優先して全く放送しなかったか、北陸放送のように後日集中放送を行った局が存在した。第1話は脚本に早坂暁、演出に鴨下信一を迎え、ゲストに佐分利信・大門正明・冷泉公裕・大屋政子(特別出演)という豪華な布陣で臨み、さらに三石千尋とマイク・スタントマンチームによる派手なカースタントまで登場させる力の入れようで、その甲斐あって第1話の視聴率は21.8%と健闘した。その後第4話では脚本原案長谷川和彦・ゲスト沢田研二の「悪魔のようなあいつ」コンビで話題を提供するも、視聴率は回を追って下がる一方で、6月には1桁に落ち込んだ。それでも、沢田をはじめ郷ひろみに真田広之、当時東京放送の局アナだった久米宏をゲストで登場させ、さらに矢作俊彦・倉本聰・栗本薫・向田邦子という刑事ものとしては異色の脚本陣を揃えたものの視聴率は回復せず、遂には第43話で「殉職」という形でレギュラーの交代が行われ、翌週の第44話からオープニングをお馴染みのテーマ曲から佐藤允彦作曲のオリジナルに変更するというテコ入れが行われたが、結局10%前後を行き来したまま1979年10月に終了。後番組は「3年B組金八先生」だった。かつて「七人の刑事」と呼ばれた元警察官のうち存命する三人が、裁判で無罪を勝ち取り、女将を失踪を装って殺害し温泉旅館の経営者に納まったサイコパスの快楽殺人者・月岡(風間)の再犯を阻止すべく、現職刑事である沢田の孫娘(高田)の協力を得つつ奔走、認知症を患っていた南の妻ら三人の女性を殺害されてしまうが再び法の裁きを受けさせるまでを描く。※ 量が多いため、伸縮型のメニューとして掲載。右にある[表示]をクリックすると一覧表示される。
出典:wikipedia
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