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本格派推理小説

本格派推理小説(ほんかくはすいりしょうせつ)または本格ミステリ(ほんかくミステリ)、本格推理小説(ほんかくすいりしょうせつ)、本格探偵小説(ほんかくたんていしょうせつ)とは、推理小説のジャンルの一つ。推理小説のうち、謎解き、トリック、頭脳派名探偵の活躍などを主眼とするものである。なお、本格ミステリという概念・名称は日本独自のもので、英語でのpuzllerやpuzzle storyあるいはclassical whodunitなどと内容的には類似しているといわれている。エドガー・アラン・ポーの『モルグ街の殺人事件』によって原型が確立され、コナン・ドイルやチェスタトンらの短編時代、および1920年代のアガサ・クリスティー、エラリー・クイーン、ディクスン・カーらによる長編本格ミステリの黄金時代を経て、フェア・プレイやサプライズ・エンディングなどの付帯状況が整備されていったとみなされている。日本においては、イギリスで黄金時代が築かれた時期に、江戸川乱歩によって創作熱が興り、戦後の推理小説復興期には横溝正史の本格長編がその口火を切った。その後、文学派のミステリ作家との論争や社会派推理小説の台頭を経ながら、古典的ミステリ(例えば、「豪壮な邸宅で起きる不可能犯罪、奇怪な殺人者が跳梁し、超人的頭脳の名探偵がそれを追い詰める」といったテーマや、エラリー・クイーンの初期作品のようなパズル性を持った作品)への関心は一般に薄れていき、またリアリティに反するという批判もあって本格ミステリは一時的にやや退潮したといわれることもある。しかし、1970年代から80年代にかけての「横溝ブーム」は、角川書店の強力な宣伝も伴い、非常に大きな盛り上がりをみせた。また、書誌研究者の島崎博は、探偵小説専門誌『幻影城』を創刊し、古典的ミステリを掘り起こす試みを行っている。ベテラン作家の横溝正史、鮎川哲也、都筑道夫、土屋隆夫、中堅作家の泡坂妻夫、島田荘司、連城三紀彦などを中心に本格ミステリの新作も書き続けられていた。1980年代後半から1990年代にかけては、綾辻行人のデビューに端を発する「新本格ムーブメント」(本格ミステリの「第三の波」)がおこった(後述)。北村薫は、普通の小説に対するものとは違う評価の尺度が、本格ミステリには必要だとしている。そのため、日本推理作家協会賞の授賞作品選定にはそれを考慮すべきだと述べている。このような意見もあり、ジャンルとしての本格ミステリの発展とその年間最優秀作の選定のため、2000年に本格ミステリ作家クラブ(初代会長:有栖川有栖、初代事務局長:北村薫)が発足した。以降、年刊のアンソロジーの編纂と本格ミステリ大賞の選定を行っている。ミステリを論理的な謎の解決を主とするものとそれ以外のものに分類する発想自体は「本格」の名称が誕生する以前にもあり、例えば佐藤春夫は、探偵小説には純粋な探偵小説と、前者ほど純粋ではない犯罪小説とでも言うべき(あるいは普通ミステリイ・ストーリーやファンタスティック・ストーリーと名づけられている)ものがあると考えていた。「本格」の呼称を提唱したのは甲賀三郎で、同様の意味の「純粋探偵小説」という呼称も提唱したが「本格」が定着した。甲賀は、当時「探偵小説」と呼ばれていたジャンルが多様化しすぎていると考え、探偵による犯罪捜査のプロセスを主として描いたものを「本格探偵小説」、それ以外の「変格探偵小説」と呼び分けた。なお、甲賀の主張は名称による分離の問題であり、「本格」と「変格」に優劣をつけているわけではない。さらに「本格探偵小説」のみを「探偵小説」とし、「変格探偵小説」を「ショート・ストーリイ」などと呼んで分けることも提唱したが、これは受け入れられなかった。また、甲賀に前後して平林初之輔も探偵小説を「健全派」と「不健全派」とに呼び分けたが、これはほとんど顧みられなかった。甲賀の主張に関して江戸川乱歩は、先述の佐藤春夫の見解を引いた上で、その佐藤が述べた一連の文学を一つの名称で呼ぼうとしたとき、本来なら(純正な)探偵小説も犯罪文学といえるからまとめて「犯罪文学」とするのがふさわしかったかもしれないが、「探偵小説」という名称の鮮明さゆえに、探偵小説、犯罪文学、怪奇小説、幻想小説を凡てひっくるめて、とりあえず「探偵小説」と呼ぶことになったと説明している。これについて中島河太郎は、「探偵小説」という語の当時の新鮮な魅力に加えて、本格物周辺の小説(怪奇、幻想、空想科学、冒険、犯罪、魔境など)が専門のジャンルとして成立しなかったことや、探偵作家(ミステリ作家)も本格物だけでは執筆を維持できなかったことが、「探偵小説」が広義になった大きな理由だと述べている。戦後になると、「変格」については、それぞれの作品の性格によって「怪奇小説」「幻想小説」「SF(空想科学小説)」などと呼ばれるようになったが、「本格」という名称は使用され続けた。1980年代後半から90年代にかけてデビューした新本格ミステリ作家については後述。1987年、綾辻行人が講談社から島田荘司の推薦を伴い『十角館の殺人』でデビューし、以降、講談社の編集者・宇山日出臣(宇山秀雄、新本格の生みの親とも言われる)は、主に講談社ノベルスを経路として、「新本格」をキャッチコピーとするミステリの集中的な販売戦略を取った。また、東京創元社の編集者・戸川安宣も、同時期に新人作家の活動をバックアップした。このような状況を受けて、1980年代後半から1990年代前半にかけ、国内のミステリの新人作家が相次いでデビュー、作品の出版点数が大きく高まり、一般的な注目も集まった。この一連の動きを指して、新本格ムーブメント(もしくは本格ミステリの第三の波〔これは笠井潔が提唱した呼称である〕)などと呼ぶ場合がある。新本格派を登場時期を基準に分類する場合がある。当初は、綾辻行人、有栖川有栖、法月綸太郎などを代表的な作家とし、京都大学ミステリ研究会出身の作家がその中心であったと見ることができる。この世代は、前述の古典的ミステリに倣った作風を志向しているのが特徴である(作家により差異はあるが、おおむね謎の不可解性や解決の論理性を重視している)。江戸川乱歩や横溝正史、クイーン(現在に至るまで、『Yの悲劇』のパロディものなどに取り組む作家は多い)などの影響を語る者も多い。狭義には「新本格派ミステリー作家」はこの世代の作家を指し、第一世代とも呼ばれる。1994年前後にも京極夏彦、西澤保彦、森博嗣ら、新人作家が多く登場している。この世代を第二世代と呼ぶことがあり、講談社の編集者・唐木厚のプロモーションによるところが大きい。また、さらに後続世代の作品を第三世代、新新本格などと称して売り出すこともあったが、概して、世代が下るほど、第一世代が強く持っていた論理性への拘りは薄れる傾向にある。もともと出版社主導のキャッチコピーが起源ということもあるが、第一世代作家の出版点数が減少、その後ミステリがおおむね拡散状況となったため、現在では、この用語自体が、歴史的な用語に近くなっているとされる。「新本格」という言葉は、綾辻行人の第2作『水車館の殺人』(1988年講談社ノベルス刊)の帯から使われ始め、同系統の新人ミステリ作家の作品に使用された講談社のコピーであったが、次第に東京創元社など他社からデビューした作家にも使用されるようになり、ジャンルのように定着した。現在では「新本格」という言葉は先述のような意味を持っているが、過去にも以下のような別の意味合いで使用されたこともある。一般に、日本の推理小説史においては、1980年代後半から90年代にかけてデビューした一連の作家群を指して、新本格ミステリ作家と呼ぶ場合が多い。ただ、「新本格」という言葉自体定義が曖昧なものであるため、この定義についても(それ以前にデビューしている笠井潔、島田荘司等を加えるなど)諸説ある。1987年デビュー1988年デビュー1989年デビュー1990年デビュー1991年デビュー1992年デビュー1993年デビュー1994年デビュー1995年デビュー1996年デビュー1997年デビュー1998年デビュー1999年デビュー

出典:wikipedia

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