飾磨(しかま)は、姫路市南部の地区。狭義では山陽電鉄飾磨駅周辺を指すが、広域地名「飾磨区」をも指し、その範囲は市川東岸の妻鹿地区も含むかなり広大なものである。地元で単に「飾磨」と言った場合には狭義の飾磨を指すことが多く、妻鹿地区や英賀地区は通常「飾磨」とは認識されない(以下、「飾磨」は区中心部を指す表現として用い、広域地名「飾磨区」については「飾磨区」と記す。姫路市の「区」については、姫路市の「区」を参照のこと)。飾磨は姫路市南部における中心地的役割を持つ。臨海部に山陽特殊製鋼などの大規模工場が並び、播磨臨海工業地帯の有力な一角だったが、近年第二次産業面では衰退し、イオンモール姫路リバーシティーなどの大規模小売店舗で巻き返しを図っている。また播磨灘に面する姫路港(飾磨港)は小豆島や家島諸島への連絡口であり、特定重要港湾に指定されている。この地名があらわれたのはかなり古く、『播磨国風土記』にも「飾磨郡」の名が見える。地名の由来は「鹿が居て啼いたため」とされている。現在「飾磨」の地名は山陽電鉄飾磨駅周辺、あるいはせいぜい飾磨区に用いられる程度だが、古来より続く飾磨郡は姫路一帯のかなり広い地域を占めていた。廃藩置県で大小の県が統廃合を繰り返していた頃には、姫路を中心とした「飾磨県」が、1871年(明治4年)11月から1876年(明治9年)8月に兵庫県へ統合されるまで存在していた。また後述のように、1940年(昭和15年)から1946年(昭和21年)まで単独の「飾磨市」も存在した。飾磨周辺に、鹿に因む地名は他にもある。飾磨沖の家島諸島に属する男鹿島は、飾磨付近に住んでいた雄雌の鹿の内、牡鹿が泳いで来たとの伝承がある。また、本土の飾磨区側の妻鹿も残された牝鹿によるとされる。姫路南局はかつて「飾磨郵便局」と称したが、旧広畑局及び旧網干局の集配事務を引き継ぐ形で移転・改称した。かつて姫路~飾磨港間5.6kmを、国鉄播但線(飾磨港線)が走っていた。1986年(昭和61年)11月1日に廃止。姫路港(飾磨港)が旅客や物流・貿易で重要な役割を担っている。
出典:wikipedia
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