ペネロピ (HMS Penelope, 97) は、イギリス海軍のアリシューザ級軽巡洋艦の一隻。1944年2月18日にドイツの潜水艦U-410の雷撃によって撃沈された。ペネロピは北アイルランド、ベルファストのハーランド・アンド・ウルフ社で建造された。1934年5月30日に起工。1935年10月15日に進水。1936年11月13日に竣工。1939年9月2日にマルタに到着し、第3巡洋艦戦隊所属で第二次世界大戦開戦を迎えた。ペネロピは本国艦隊の第2巡洋艦戦隊に移され、1940年1月11日にポーツマスに着いた。2月3日、クライド川へ向けて出発。2月7日、ローサイスに到着し、第2巡洋艦戦隊と船団護衛任務に従事した。1940年4月、5月はノルウェー作戦に参加した。4月11日、ウェストフィヨルドに入ってきたドイツ商船を追跡中にFleinver沖で座礁、ボイラー室に浸水し、前部には穴があいたため、ペネロピは駆逐艦エスキモーによって前進基地が作られていたSkjelフィヨルドへ曳航された。空襲にもかかわらず応急修理がおこなわれ、1ヵ月後には本国への曳航が可能となった。1940年5月16日、ペネロピはグイーノックに着き、そこでさらに修理がおこなわれ、8月19日に完全な修理をおこなうためタインへ向かった。修理完了後、1941年8月17日にスカパ・フローでペネロピは第2巡洋艦戦隊に復帰した。9月9日、ペネロピは戦艦デューク・オブ・ヨークを護衛してグリーノックを離れローサイスへ向かった。9月後半は敵船阻止のためアイスランド、フェロー諸島間の哨戒していた。1941年10月6日、ペネロピは戦艦キング・ジョージ5世と空母ヴィクトリアスを護衛してアイスランドのハヴァルフィヨルドを出撃し、ノルウェーのグロムフィヨルドとウェストフィヨルドの奥の間の敵船舶への攻撃にむかった。この作戦、E.J.作戦は成功し、1941年10月10日に部隊はスカパ・フローへ帰還した。10月12日、ペネロピは軽巡洋艦オーロラとともにスカパ・フローを出港し、途中ジブラルタルで駆逐艦ランス、ライヴリーと合流し、10月21日にマルタに到着した。この4隻はK部隊としてをマルタを拠点に敵船団攻撃を行った。10月25日にK部隊は、北アフリカへの兵員輸送中であったイタリア駆逐艦攻撃に出撃したが、それを発見することはできなかった。11月8日、K部隊は今度は敵船団の攻撃に出撃した。その船団は7隻の船からなるベータ船団で6隻の駆逐艦によって護衛されていた。K部隊は11月9日にこの船団を攻撃し、船団の船すべてと護衛の駆逐艦フルミーネを沈めた(デュースブルク船団の戦い)。11月23日夜、K部隊は再び敵船団の攻撃に出撃した。このときイタリアは複数の船舶を単独または2隻の船団で送り出しており、K部隊はその中でも重要な船団を攻撃するよう指示されていた。それは2隻のドイツ船MaritzaとProcidaからなっており、イタリアの水雷艇ルポとカシオペアによって護衛されていた。K部隊は24日に目標の船団を捕捉し、護衛の水雷艇を追い払った後船団の船を2隻とも沈めた。戦闘後、K部隊は25日朝にマルタに戻った。11月29日にはB部隊(軽巡洋艦エイジャックス、ネプチューン、駆逐艦キンバリー、キングストン)がアレクサンドリアからマルタに到着した。11月30日、4隻の巡洋艦とランスを除く3隻の駆逐艦は敵船団の攻撃に出撃した。偵察機から駆逐艦に護衛された船の情報が入ると、部隊を率いるローリングス少将はK部隊(ペネロピ、オーロラ、ライヴリー)をそこへ向かわせた。12月1日未明、K部隊はイタリアの武装商戦途中アドリアティコ (Adriatico) を発見。アドリアティコはオーロラとライヴリーによって沈められた。マルタへ戻る途中でK部隊は駆逐艦に護衛されたタンカーの情報を受け取り、その攻撃に向かった。そして、イタリア駆逐艦アルヴィセ・ダ・モストとすでに航空攻撃で大損害を受けていたタンカーMantovaniを沈めた。12月13日からイタリアは補給物資を積んだ船団を北アフリカへ送るM41作戦を開始した。それを攻撃しようと、12月13日にアレクサンドリアから艦隊が出撃し、マルタのB部隊とK部隊も14日から15日の夜に出撃するよう命令が下った。だが、敵が引き返したため出撃は取りやめとなった。12月15日に補給物資を積んだブレコンシャーがアレクサンドリアからマルタへ向け出発し、護衛のための艦隊も出撃した。マルタからもK部隊などが出撃した。アレクサンドリアからの部隊とK部隊は12月17日に合流した。このときイタリアも中止されたM41作戦にかわるM42作戦を実行中であり、船団護衛のため出撃中であったイタリア艦隊とイギリス艦隊との間で第1次シルテ湾海戦が発生した。海戦後K部隊はブレコンシャーを護衛して12月18日にマルタに戻ったが、北アフリカへ向かったイタリア船団のうちトリポリへ向かった3隻は掃海作業が終わるまで港外で待機していたため、これを攻撃するためその日のうちにペネロピは軽巡洋艦オーロラ、ネプチューン、駆逐艦カンダハー、ランス、ライヴリー、ハヴォックともにマルタから出撃した。12月19日3時にトリポリ沖に到着したが、そこでオーロラ、ネプチューン、ペネロピ、カンダハーが触雷し、ネプチューンとカンダハーは沈没した。ペネロピの損害は大きくはなく、マルタに戻って修理を受け1942年1月はじめには戦列に復帰した。1月5日、ペネロピはK部隊とマルタを離れ特務船グレンガイルを護衛してアレクサンドリアへ向かい(ME9作戦)、27日に補給艦ブレコンシャーを護衛して帰投した。1942年2月13日、ペネロピは6隻の駆逐艦と共に、ブレコンシャーなど4隻の船からなるME10船団を護衛してマルタを出港した(ME5作戦)。2月14日にアレクサンドリアから来た部隊に船団を引き渡し、代わりにマルタへ向かうMW9船団の護衛を引き継いだ。しかし、この時までにMW9船団は3隻中2隻が損傷または沈没し1隻となってしまっていた。さらにその1隻も空襲で失われた。2月15日、駆逐艦ランス、リージョンと共にマルタに帰還した。3月23日、さらなるマルタ島への補給船団、MG1作戦のためマルタを出撃した。この船団は水上と空からの激しい敵の攻撃を受け、被弾したブレコンシャーはペネロピによって曳航され、マルサシロク港に無事到着した。3月26日にマルタが空襲を受けた時にペネロピは至近弾で損傷してドック入りした。4月8日、ジブラルタルに向け出港、9日には繰り返し空襲を受けた。4月10日、ジブラルタルに到着したが至近弾によりさらに被害が生じていた。損傷は広範囲にわたっており、ジブラルタルでの応急修理後本国での3から4ヶ月の修理が必要であった。ペネロピは修理のためアメリカ合衆国に送られることになり、1942年5月10日にジブラルタルを出発、バミューダ諸島経由でニューヨークの海軍工廠に19日に到着した。9月まで修理がおこなわれ、9月15日にヴァージニア州ノーフォークに到着し、バミューダ諸島経由でイギリスのポーツマスに1942年10月1日に戻った。ペネロピは12月2日にスカパ・フローに到着し、1943年1月の中頃まで本国海域にいた。17日、ペネロピはクライド川を発ち、ジブラルタルへ向かった。ジブラルタルには22日に到着した。ペネロピは第12巡洋艦戦隊所属で北アフリカ上陸作戦(トーチ作戦)に続く作戦中西地中海艦隊と行動した。1943年6月1日、ペネロピと駆逐艦パラディン、ピタードとイタリア領パンテレリア島を砲撃した。ペネロピは敵の反撃で被弾したが被害は軽微であった。1943年6月8日、ペネロピは軽巡洋艦ニューファンドランドなどとさらに激しい攻撃をパンテレリア島に加えた。降伏の要求は拒絶され、6月10日に同じ部隊はパンテレリア島上陸作戦、コークスクリュー作戦支援のためマルタを出撃した。6月11日、島は降伏した。6月11日と12日にはペネロピはランペドゥーサ島攻撃にも参加した。ランペドゥーサ島は6月12日に陥落した。1943年7月10日、軽巡洋艦オーロラ、2隻の駆逐艦とペネロピはシチリア島上陸作戦、ハスキー作戦でカターニアへの陽動攻撃をおこなった。その後タオルミーナへ移動し鉄道の駅を砲撃した。その後も8月までシチリア島での戦いの間、砲撃や掃討をおこなった。1943年9月9日、ペネロピはイタリアのサレルノ上陸作戦、アヴァランチ作戦のためQ部隊の一員となり作戦に参加した。ペネロピは9月26日に軽巡洋艦オーロラとサレルノの戦闘地域を離れていた。10月はじめドデカネス諸島のコス島攻撃の可能性を考えてレバントに移された。10月7日、軽巡洋艦シリアスなどと上陸用舟艇6隻、給兵艦1隻、武装トロール船1隻をStampalia沖で沈めた。しかし、爆撃により損傷したためアレクサンドリアへ戻った。1943年11月19日、ペネロピはハイファへ移動した。12月終わりごろペネロピはストーンウォール作戦のためジブラルタルへの移動を命じられた。この作戦は連合軍の封鎖を突破してフランスへ向かう、物資を積んだドイツ船の阻止である。12月27日作戦部隊はドイツ船アルステルフェルを沈めた。12月30日、ペネロピはジブラルタルへ戻った。1944年1月22日、イタリアのアンツィオ上陸作戦であるシングル作戦に参加する。1944年2月18日、アンツィオからナポリへ向かう途中、北緯40度55分東経13度25分でドイツの潜水艦U-410の魚雷攻撃を受けた。魚雷は1本目がペネロピの後部の機関室に、2本目がボイラー室に命中してペネロピは撃沈された。ペネロピの艦長を含め415名が戦死し、生存者は206名だった。1943年に刊行されたセシル・スコット・フォレスターの海洋冒険小説『巡洋艦アルテミス』()の冒頭では、「英国海軍軍艦<ペネローペ号>乗組みの全将兵各位に、深甚なる敬意を表して、本書を捧ぐ」と述べられている。これは、同作がMG1作戦に置けるペネロピの戦いをモデルにした物であるためであり、日本版(パシフィカ社、1979年)の表紙に描かれた軽巡洋艦「アルテミス」の姿も、ペネロピと同じアリシューザ級軽巡洋艦の物となっている。
出典:wikipedia
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