藤原 紀香(ふじわら のりか、1971年6月28日 - )は、日本の女優、モデル、タレント。本名は片岡 紀香(かたおか のりか)。兵庫県西宮市出身。高輪エージェンシー→バーニングプロダクション→サムデイ所属。西宮市立生瀬小学校、親和中学校・親和女子高等学校、神戸親和女子大学文学部英米文学科卒業。第24回ミス日本グランプリ受賞。夫は歌舞伎俳優・片岡愛之助。神戸親和女子大学文学部英米文学科卒業。英語検定2級、着物着付け3級の資格を持つ。趣味は、写真、釣り、加圧トレーニング、映画鑑賞、タンゴ、スポーツ全般(特技も)、アロママッサージ。「三分前は過去」「一期一会」「NO PAIN NO GAIN」が彼女自身の好きな言葉だという。建築設計事務所経営の父、専業主婦の母と3歳下の弟がいる。和歌山県出身の両親が結婚前によく紀ノ川周辺でデートをしており、思い出深い「紀ノ川」の「香り」にちなんで紀香と命名された。父は満州生まれであり、引揚げの際に家族を失っている。小学生時代は、当時男児しか入れなかった少年野球チームに特別に入り、3番ファーストだった。中学・高校時代は阪急電鉄で通学。中学時代はバスケットボール部に所属し、高校時代は落語研究会に所属していた。芸名は「親和亭かつお」だった。海洋動物が大好きで、小学校の頃の夢はイルカショーのお姉さん。一緒に寝泊りして飼育することに憧れていたという。ほかにも、高校生のときは世界史が好きで歴史考古学者の助手が夢、歌が好きで小学校のころはピンクレディーになるのが夢だったという。母親は紀香よりも身長が高く、高校時代には、「オリーブ」と呼ばれていた。その後、ミス和歌山コンテストに出場し、最終選考まで残ったが、厳しかった父親に反対され諦めた。娘にその望みを託し、‘お見合いの箔つけにでもなれば’とミス日本グランプリに紀香に知らせず応募。その後、通知が来た際、紀香に伝え、最終選考まで残りグランプリを受賞。が、芸能界入りには両親ともに最初は反対であった。2006年12月10日の結納時に、あまりにも報道陣が取り巻いていたため、タクシーにうつむいて乗車、報道陣に影武者と書かれ、写真を撮られているが、影武者のつもりはなかった。実際に母子でのツーショットの写真が掲載されたときには美人であったという高い評価があった。自著である『藤原主義』によると、芸能界デビュー当初は神戸の実家から新幹線や飛行機で東京などの仕事場に通っていたが、阪神・淡路大震災で知人を亡くして「やり残したことを後悔しながら死ぬのは嫌だ。これからは自分の夢に向かって生きていこう」と決意し、親元から離れて上京することを決意した。その時、家族会議が行われ、母から「あんたの帰るところはここやで。ダメやと思ったら自分で引き際を決めて帰ってきなさい」と言われ、上京。父親は最後まで首を縦に振らなかったとインタビューで答えている。が、上京の際、父がトラックに荷物を積んで無言で東京まで運んでくれたという。2013年9月、「特定秘密保護法案」を危惧する発言をブログで行った。それが縁で日本共産党の機関誌しんぶん赤旗にも寄稿している。2015年12月6日、自身のブログに弟の誕生日を祝う記事が書かれている。弟は甲南大学時代にアメリカンフットボール部に所属していた。サッカーに関してはW杯の日韓親善大使以外にも、2002年10月から12月に横浜FCのユニフォームスポンサー(NORIKA NET)に就任したこともあった。現在もトレーニングウェアのスポンサーとなっている。格闘技にも精通し(格闘技そのものより、「精神が男らしい人」が好きという見方もある)フジテレビで放送される『K-1』の中継の司会を務めている。また、2003年から2007年までフジテレビが独占放映中の2年に1度の『世界柔道選手権大会』の司会も務めていた(2007年は「スペシャルサポーター」として出演)。格闘技情報番組『SRS』の初代ビジュアルクイーンだったが、1999年に卒業。その際、藤原の卒業を祝って、アンディ・フグ、桜庭和志、フランシスコ・フィリォなどの著名格闘家が一堂に会し、それぞれエキシビションマッチや演武を披露した。その際アンディ・フグに「あなたがこの番組を卒業しても、あなたは格闘技の歴史の一部です。いつまでも格闘技を愛し続けてください。」という言葉を贈られ、たいへん心を打たれたという。「鍛え抜かれた肉体が好き。厚い胸板がたまらない。」と話していたこともあった。2004年、フジテレビのアテネオリンピックキャスターを務めた。中央競馬所属の「ロイヤルキャンサー」という馬の名付け親でもある。キャンサーとは医学の癌ではなく蟹を意味し、藤原の誕生星座「蟹座」にちなんでいる。同馬の馬主は、藤原を支援してくれているイザワオフィス代表の井澤健である。高校時代にMBSの選抜甲子園のセブンティーンリポーターとして出演し、任務終了時に涙を流していた。結婚披露宴にもその映像が流された。現在もMBSに放送資料としてその映像とスチール写真が保存されている。自身のNPOスマイルプリーズのメンバーには、横浜FCの三浦知良選手、阪神タイガースの金本知憲選手、横浜DeNAベイスターズの三浦大輔選手、横浜DeNAベイスターズの藤井秀悟選手らが賛同している。日本ハムファイターズ時代の片岡篤史選手、西武ライオンズ時代の清原和博選手とも仲が良く、深い関係にあったと言われている。高校生時代、落語研究会に入り、「親和亭カツオ」の名で落語をし、更にデビュー後、ブレイクする前に関西ローカルの『クイズ!紳助くん』の初代アシスタント(1993年10月から1997年12月)を務めたこともあり、その際に司会の島田紳助とトーク中心に絡んでいたことが彼女のお笑いに対する理解や、女優としてコミカルな演技を求められた際の演技力向上に寄与し、プライベートでも深く影響を受けたとされている。上京を決意した時に紳助から「東京は戦う場所や!決して甘く考えたらあかん!」と激励された。才色兼備の女性がおたく青年と出会い、最初は嫌悪感を示していたものの、その真摯な求愛姿勢に徐々に心を動かされて、ついには結ばれるというドラマ『59番目のプロポーズ』でお笑いタレント・陣内智則とともに主役を演じた際、陣内と息のあったコミカルタッチな演技も披露して、このドラマのハッピーエンド同様に交際を始め結婚するに至った。『あなたの人生お運びします!』ではDonDokoDonの山口智充、『だめんず・うぉ〜か〜』では雨上がり決死隊の宮迫博之、『ツレがうつになりまして。』ではネプチューンの原田泰造と、お笑いタレントとの共演が多かった。2007年5月30日、ホテルオークラ神戸にて結婚披露宴挙行。その模様は日本テレビ系にて特番「完全独占中継!おめでとう!藤原紀香・陣内智則 愛と爆笑と涙の結婚披露宴」として放送。司会は徳光和夫と松本志のぶ(当時日本テレビアナウンサー)が務め、乾杯の音頭に宇津井健、その後は郷ひろみの歌のプレゼント、島田紳助からの祝辞、ムーディ勝山からの歌のプレゼント等で盛り上げた。なお、この時列席したはるな愛が二次会の余興で披露した「エアあやや」が受けたことから、はるな愛がブレイクするきっかけとなった。さらに、陣内がコブクロの「永遠にともに」をピアノを弾きながら熱唱した。しかし、2013年11月14日にオンエアしたアメトーークで、陣内がコブクロに謝罪していたことを告白した。また島田紳助の勧めにより、テレビの前で10秒にも及ぶ濃厚なキスを披露した。視聴率は関東地区では24.7%、名古屋地区では31.0%そして2人の地元である関西地区では40.0%という高視聴率となった。
出典:wikipedia
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