さいた まんぞう(1948年12月9日 - )は、岡山県久米郡柵原町(現美咲町)出身、東京都中野区在住の歌手・タレント・野球審判。本名は牛房 公夫(ごぼう きみお)。1980年代に「なぜか埼玉」など、埼玉県をモチーフにした奇妙な味のあるコミックソングで一躍有名となった。山陽放送で地元出身者が出演する番組『みんなどけぇきょん』が開始された際はパーソナリティの一人に抜擢され、「おかやまんぞう」名義を名乗ったことがある。現在は司会業がメイン。散発的にラジオやテレビに出演している。芸能活動以外では1979年(昭和54年)から野球の審判を始め、現在でも草野球の審判を引き受けるなど活動を続けており、その経験を買われ、2011年(平成23年)公開の映画「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」では決勝戦の主審を演じている。所属事務所はニューライフ企画。同じ事務所に「演歌チャンチャカチャン」の平野雅昭、「おやじの海」の村木賢吉がいる。高校卒業後の1967年(昭和42年)4月に上京、アマチュアバンドに入りドラムスを担当するようになる。1980年(昭和55年)年末にコミックソング「なぜか埼玉」を仲間内で作った。この時点では県内ローカルの曲でしかなかったが、翌年1981年(昭和56年)2月にニッポン放送の人気番組『タモリのオールナイトニッポン』で紹介されたことにより一変、「埼玉」というご当地ソングとあまり縁のない土地の歌だったこともあり、物珍しさから全国で話題となった。この結果、4月にフォーライフ・レコード(現フォーライフミュージックエンタテイメント)から前述の自主制作盤が商業盤として発売されるに至った。そして、「なぜか埼玉」は自主制作盤と商業盤を合わせて12万枚を売り上げるヒットになった。これ以降、彼は歌手「さいたまんぞう」として活動を続けることになる。「なぜか埼玉」で話題を博した さいた は、同年12月にやはりコミックソングの「埼玉オリンピック音頭」「なぜか埼玉海がない」を出す。1987年(昭和62年)に川島恵とのデュエットで出した「東京カントリーナイト」が、意外な結果をもたらすことになる。*「津軽海峡冬元気」(1988,10,東芝EMI)*「はくつる号は故郷へ」(1994,1,ポリドール)吉 幾三作詞・作曲*「生存証明」(2001,フリーボード)デビュー20周年記念全曲集
出典:wikipedia
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