多摩テック(たまテック、"Tama Tech")はかつて東京都日野市に存在したモータースポーツをテーマにした遊園地および温泉施設である。遊園地については同じ経営主体による鈴鹿サーキットとともに「モートピア」と呼ばれていた。本田技研工業株式会社子会社の株式会社モビリティランド(旧ホンダランド→(株)鈴鹿サーキットランド)が経営していたが、2009年9月30日をもって営業を終了し、閉鎖された。1961年に、本田技研工業系列のモータースポーツセンターとしてオープン。初代所長は、当時ロードレース世界選手権(WGP)の250ccクラスで日本人として初優勝を遂げたばかりの高橋国光。その後、運営会社は鈴鹿サーキットの運営も行うようになった。当初は、「オートゲレンデ」と称して、オートバイ愛好者向けに本格的なモトクロスコースを含むバイク用のダートコースを設置し、様々なタイムトライアルなどが可能な施設という位置づけであった。しかし、この構想が明らかになると、当時社会問題になっていたカミナリ族向けの施設であるとして「カミナリランド」といった形で批判的な報道がなされ、警視庁交通部が「カミナリ族の養成所みたいなものだと思うが、事故でも起こったらどうするのかが心配だ」という理由から「非常に好ましくない計画」として「近く申し入れをする」とも報じられた。これに対して、運営会社側は、「オートバイ・ファンに正しい技術をくんでもらおうというもので、指導もしっかりやる。ただ取り締まりを叫ぶだけでは彼らの気持ちを満たすことはできない」と述べている。開園後の1962年9月16日に、来園者の男性の乗ったオートバイが転倒して死亡する事故が起きた際には、「カミナリ天国」初の死者」なる見出しで報じられた。その後、1962年4月に第二期工事が完了して、ホンダエンジンを搭載したゴーカートやミニバイクが遊具として設置され、「自動車遊園地」としても営業がおこなわれる。このうちミニオートバイのZ100は好評を博し、これをベースとした「ホンダ・モンキー」が商品化された。こうして、当初のバイク主体のスポーツ施設から、次第にファミリー向けの遊園地へと移行することになった。1964年には、学校団体を対象として、実物のエンジンを分解・組み立てて動かす「エンジン教室」という催しをスタートさせている。「エンジン教室」は鈴鹿サーキットでも開催されるようになり、やがて工場(鈴鹿製作所)見学と組み合わせた修学旅行プログラムになった。1970年代に入ると、「タイヤカー(1980年に『UFO』へ換装)」や「水陸両用車(のちの『外輪船』)」、エンジン動力で係員が運転するジェットコースターである「ジェットスレー(後にレールの大部分を再利用した巻き上げ式コースターの『カナディアンジェットライダー』に改造)」のような、多摩テックならではの乗り物の他「観覧車」などの一般的なアトラクションも数多く設置され、よみうりランド・西武園の中間に位置する多摩地域の「遊園地」へと変貌した。また、手塚治虫作によるキャラクターコチラも1979年に登場している。1980年代にはモノレール型アトラクションの「スーパージェットライダー」や劇場型アトラクション「マッハセブン」が新設されると共に、「トライアルパーク」・ゴーカート「ザ・カートG400」「ロックガーデンプール」のオープンなど、本格的な開発も行われた。1991年には懸垂式モノレール型アトラクションの「ガリオン」、1995年には大型水車がライドごとを持ち上げるギミックで国内最大級の水上型絶叫マシンを謳った「ワイルドリバーアドベンチャー」と大観覧車「トップキャビン」、1997年には「スペースショット(S&S社製。浅草花やしき・よみうりランド設置機と同系統)」と、大規模なアトラクションが新設された。また、子供向けのゴーカート「フォーミュラGP」や、本格的なバッテリーカー「電気自動車MUU(ムウ)」もカート系アトラクションを入れ替わらせる形で設置されている。長らく遊園地だけの施設であったが、1995年に園内のキャンプ場を掘削専門業者が掘削したところ温泉(黒湯)が湧出したため、1997年から温泉施設「クア・ガーデン」がオープンした(鈴鹿サーキットにおいても同名称で1994年に開業している)。開業に当たっては多摩地域随一の湯量を誇るリゾート型のクア施設として、露天風呂・サウナ・飲食施設・休憩所に加えてフィットネススタジオや水着着用の温水プール(25m×4コース、子供用プール、ジャグジーなど。追加料金750円が必要)も設置し、水泳などの運動も可能であった。周囲に超高層ビルが存在しないため、内風呂からは日野・立川、2階レストランからは八王子駅方面の眺望が見渡せる。2003年に東京ドームによる「ラクーア」と、としまえんによる「豊島園 庭の湯」が開業するまで、関東での天然温泉併設型のテーマパークは当地が唯一であった(小山ゆうえんち併設の「小山温泉 思川」は2002年開業)。2004年にはよみうりランドも「丘の湯」をオープンした。「クア・ガーデン」は、モートピアの高台側(でんでん虫II・旧UFOアトラクションホーム寄り)に所在し、モートピア開園中は連絡口で往来が可能であった。しかし、モートピアの正面ゲートは丘陵の中腹にあり、モートピアに入園しない場合は、一旦坂を下り都道155号線を左折して、「多摩テック・温泉入口」バス停を過ぎた信号機のある交差点を左折して坂を上る必要がある。そのため、1時間に2・3本程度、モートピアとクア・ガーデンの正面玄関間および多摩動物公園駅(18時以降は高幡不動駅)を結ぶ無料送迎バスを京王自動車(専用マイクロバス)、南大沢京王バス(路線バス車両)によって運行されていた。ユニバーサルスタジオジャパン、東京ディズニーシーという大規模なテーマパークが開業し、日本各地の遊園地の入園者数が減少しつつあった2001年に「マッハセブン」を「4-Dモーションシアター」に改装する形でオープン。2002年から2004年にかけては「キッズドライブ」「キッズバイク」など子供向けのゴーカート系アトラクションを、「外輪船」などを廃止させて跡地に設置する形でオープンさせた。しかしながら、園内随一の絶叫マシンである「ワイルドリバーアドベンチャー」が2003年暮れ頃に僅か8年ほどで終了。「UFO」・「カナディアンジェットライダー」も程なくして運行終了となり、れっきとした絶叫マシンは「スペースショット」のみとなる。2006年に「ACRO(アクロ)-X」、2007年に「ドリームX」と新型のゴーカートアトラクションを導入。カード系アトラクションの充実を図り、施設名称通りの『モートピア("モーターのユートピア")』への回帰と再興を図る趣きも見られたが、どちらも幼児・小児の家族連れ向きのアトラクションであり、テーマパークの客層である若年層(中高生以上)やカップルの多摩テック離れが進んだ。1990年代以降は一般に向けた割引券の頒布に加え、朝日メイト(朝日新聞友の会)・読売ファミリーサークル(読売新聞)・UFJカード会員・ホンダ車ディーラー得意客などに向けた招待デーを設け、廉価でフリーパスを販売するなどして集客を図っていた時期もあったが、実際には1999年以降、営業利益を出せずに経常損失ばかり計上していた。2002年に入場者が100万人を超えたのをピークにその後は減少を続けたことや、2007年から2008年にかけて発生した世界金融危機の影響による不況が大きかったことから、モビリティランドの親会社・本田技研工業が経営見直しの一環により不採算事業から撤退することを2009年2月に発表。多摩テックは2009年9月30日(モートピアは19時)を以って営業を終了し、閉鎖となった。閉園を前に、同年の春休み・ゴールデンウィーク・夏休み・シルバーウィークと9月最終週は、別れを惜しむ来場客が大勢詰め掛けたため、人気アトラクションは3時間待ち状態で大変混雑していた。多摩テックとしての最終営業は「クア・ガーデン」であり、特別編成のロビーコンサート(招致している音楽家や従業員による生演奏・歌唱)を昼間から閉館まで立て続けに実施し、通常通り22時を以って閉館した。但し、来館者数が多く、送迎バスの最終便はクア・ガーデンとモートピアで数十人の利用客を取りこぼす事態となったため、臨時便が数本増発された。JR豊田駅側から見えた観覧車およびスペースショットは、施設閉鎖後にすべて解体された。2010年6月、多摩テック跡地を明治大学が買収し、住宅地に隣接し手狭となった世田谷区八幡山にある明治大学ラグビー部等の同大学体育会各部の練習場および合宿所を移設し、スポーツ科学部を新設して校舎を設立するなど「(仮称)明治大学スポーツパーク」として利用する構想が明らかになった。八幡山グラウンド等の売却等といった事項が明治大学評議員会に承認され、三菱商事を共同事業者とし、日野市を中心に地元自治体などとも協議の上、2014年からの利用を目指す予定だった。しかし、敷地内にキンランなど絶滅危惧種の群落がみられたことやオオタカの営巣地が確認されたことから、東京都自然保護条例にもとづく東京都自然環境保全審議会の審査が長期化し、2013年5月になって建物の縮小など計画案変更を条件に認可されたが、着工予定は大幅に遅れた。さらに東日本大震災にともなう復興事業および2020年東京オリンピック開催決定に伴う建設資材や人件費が高騰し、経費が当初予定の1.7倍に達する見込みとなったため、2013年10月までに明治大学評議員会は事業計画撤回を決定した。明治大学は10月中旬に世田谷区に対して八幡山グランド売却にともなう都市計画の変更を中止するように求めている。一方、日野市は着工予定の9月を過ぎても開発許可申請が行われない理由の説明を明治大学に求め、事業計画中止が検討されていることについて、10月26日に抗議文を送付した。これに対し、11月6日に日高憲三明治大学理事長が日野市役所を訪問し、大坪冬彦日野市長に事業計画中止を申し入れたが、日野市側は都市計画の変更など手続きを実施しており一方的中止は認められないと反発し、事業継続を強く求めた。共同事業者である三菱商事は土地取得に多額のコストを要した上に、その用途が学校にほぼ限定される(市街化調整区域)ことから、事業の継続か土地の買い取りを明治大学に求めた。しかし、明治大学は「三菱商事が契約不履行であった(開発から建物の竣工・引き渡しに至る義務を果たさなかった)」と主張して和解にも応じなかったことから、2015年3月に三菱商事は明治大学を相手取り、61億9千万円(土地代金の立て替え約46億円を含む)の支払いを求めて提訴した。所在地:東京都日野市程久保5-22-1。よみうりランドと同様、丘陵地を開発し、中腹に位置するゆうえん地「モートピア」は所どころ勾配がやや急な坂(斜面)が有り、その勾配の斜面や高低差を軌道に生かしたライド型アトラクション(UFO・ガリオン・外輪船など)も置かれた。高台にはクア・ガーデン、駐車場、キャンプ場などが置かれている。テレビドラマやテレビ映画などの撮影地としても多摩テックがよく使われていた。例を挙げると「宇宙刑事ギャバン・14話」TBSの特撮テレビ映画『ウルトラQ』の「2020年の挑戦」、フジテレビの『花嫁とパパ』、『結婚できない男』やテレビ朝日の金曜ナイトドラマ『雨と夢のあとに』最終話などに、多摩テックでのロケーション撮影シーンが登場した。また、フジテレビジョンが制作した「ひらけ!ポンキッキ」の番組エンディング映像として1988年から1994年頃まで園内でのロケ撮影が頻繁に行われていた。※過去のコチラちゃんファミリー(出演キャラクター)は以下の通り。多摩テックの完全オリジナルCDとして1988年に唯一リリースがされた『タマテックドリームズ』がある。このCDは、かつて多摩テックの園内に新登場をしたアトラクション「ホットロッド」(ウィリータイプのエンジン式ゴーカート)の登場記念アルバムとしてリリースされ、アルバムジャケットにはホットロッドの登場記念キャラクター“ホットレディー”と“ロッドマイティー”の図柄とそれぞれのサインも書かれている。また、ジャケットの中央に写っている実写のコチラとチララは1987年当時に多摩テック園内で撮影された物である。このCDに収録されている楽曲は、多摩テックと鈴鹿サーキットランドの両園で長年使用され、一部の楽曲はアトラクション音楽やイベント時のバックミュージック、コチラちゃん達が登場をしたショーなどの楽曲としても使用された。収録されている楽曲の演奏は、ディキシーランド・ジャズ演奏のベテラン演奏家である中川喜弘が率いる「デキシーDIX」のメンバーと、特別編成をされた「タマテックドリームズバンド」が共に行っている。収録曲演奏制作スタッフ同様のホンダの遊園地には、かつては奈良県生駒市に「生駒テック」、埼玉県朝霞市に「朝霞テック」があり、いずれも多摩テックとほぼ同時期に建設された。生駒テックは1965年3月、朝霞テックは1973年に閉鎖され、生駒テック跡地は生駒山麓公園、朝霞テック跡地は本田技術研究所朝霞研究所となっている。多摩テック開業当初には佐賀、高松、広島、名古屋、仙台など日本全国60ヶ所に同様の施設の建設が計画されていた。なお、同じ「テック」という名前の施設ではあるが「与那原テック」(1986年4月1日に閉園、現在はゴルフ場)は関係がない(東陽バス経営)。
出典:wikipedia
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