立法院(りっぽういん)は、中華民国の立法府であり、「国家最高の立法機関」(中華民国憲法62条)である。中華民国の建国者である孫文の五権分立理論に基づいて、行政院、司法院、考試院、監察院とともに成立した一院制の立法機関。立法院に所属する議員を立法委員という。中華民国には元来、正副総統の任免権、憲法改正権を有する最高機関「国民大会」が存在したが、2005年に廃止されたため、立法院が名実ともに唯一の最高立法機関となった。また、1991年以前は中国大陸で選出された議員が大半を占めていたが、1992年以降は台湾の有権者によって選出された議員だけで構成、改選されており、実質的に台湾の最高立法機関となっている。2月から5月まで、9月から12月までの二会期制を採用している。現在、議員定数113、任期4年。各国の立法機関と同様、法案・予算案の議決権、条約案の承認権、憲法改正案の発議権を有するほか、2005年憲法改正により、次のような強力な権限が付与されているのが特徴である。1928年(民国17年)、中国国民党が中国統一を完成して軍政期から訓政期に移行し、首都南京で成立した。当初49名から発足したが(任期2年)、4期目から194名に増員された。抗日戦争中は任期が14年に延長されたが、この間に民法、刑法などの基本法典を制定した。1947年(民国36年)中華民国憲法施行。翌1948年、憲政下初の立法委員選挙が実施され、第1期立法委員760人を選出した。しかし、中国国民党が率いる中華民国政府(国民政府)は、中国共産党との内戦で台北に遷都したため、立法院も1950年に台北に移転した。このとき第1期立法委員のうち380人余りが台湾に移った。立法委員の任期は3年と定められていたが(憲法65条)、台北遷都後は憲政停止、戒厳令により、第1期立法委員は1991年に総辞職するまで改選されず、万年議員と揶揄された。ただ、1969年の補選で11名増員され、1972年には任期3年の定数51名の台湾選出枠が設けられた(現在の立法院長王金平は1975年当選組)。この改選枠は1989年には定数130名まで拡大され、大陸で選出された「万年議員」と並存する状態が続いた。1989年(民国78年)、戒厳令後初の改選で、合法化された民主進歩党が21議席獲得(国民党72議席)。1991年、李登輝総統の勧告により第1期立法委員が総辞職し、1992年、初の全面改選が実施され、第2期立法委員161人を選出した(国民党96、民進党50)。以後、3年毎に改選され、1998年には定数225名に拡大された。民進党・陳水扁政権誕生後の2001年の第5回選挙で、民進党が初の第一党となったが、過半数には達せず、少数与党となった。2008年の第7回選挙で、国民党が第一党に返り咲いた。2008年の第7期から定数113に半減、任期4年となり、正副総統の罷免・弾劾、行政院長不信任議決権、領土変更権など権限強化が図られた。他方、総統に立法院解散権が付与された(現在、立法院解散権が行使されたことはない)。2016年1月16日の総統選挙と同時に行なわれた第九回選挙により初めて民主進歩党は単独過半数に達し、総統選挙に当選した民主進歩党の蔡英文の下、多数与党を形成した。これにより中国国民党 は立法院成立以降守り続けていた立法院長(国会議長)の座を初めて他党に明け渡すことになった。南京に立法院があった時期、議事堂は南京市中山北路に建っていたが、現在は人民解放軍の軍人倶楽部となっている。台北移転後は中山堂(日本統治時代の台北公会堂)を使用していたが、1960年(民国59年)以後は日本統治時代の「台北州立台北第二高等女学校」校舎(台北市中山南路)を使用している。2008年(民国97年)1月12日の第7回選挙より「単一選区両票制並立代表並立制」が採用され、定数113議席(小選挙区73、原住民6、比例代表・海外華僑代表34)、任期4年となった。ちなみに、2002年~2008年(第5期、第6期)は、定数225(中選挙区・一部小選挙区168、比例代表41、原住民枠8、海外華僑代表4)だった。2016年1月16日に行われた第九回中華民国立法委員選挙の結果を反映している。中華民国の国会議長に相当する。現在は、蘇嘉全(民主進歩党)。1995年、立法院に対してイグノーベル賞(平和賞)が授賞されている。授賞理由は「政治家にとって、他国と戦争するよりも、お互いに殴り、蹴り、騙しあう方が、より利益になることの実証に対して」。1992年の全面改選以後、与野党(中国国民党と民主進歩党)の対立から、立法院内でしばしば議員間の乱闘行為が発生し、その模様が生中継されたことによる。
出典:wikipedia
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