株式会社中村屋(なかむらや)は、東京都新宿区に本社を置く、老舗の食品メーカー。一般には老舗の「新宿中村屋」で知られる。和菓子・洋菓子の他、菓子パン、中華まん、レトルト・缶詰のカレー等を製造販売している他、いわゆるデパ地下やショッピングセンター等に菓子の名店として出店(直営店160店)、レストラン(直営店20店)を営業している。関東で販売される中華まんのシェアトップを占めており、コンビニエンスストア向け業務用食品にも商品を持つ。その他事業として、旧・笹塚工場跡地に地上18階建ての「笹塚NAビル」を所有し、賃貸事業・スポーツクラブ事業をおこなっている。売上比率は菓子事業64%、食品事業20%、レストラン事業13%、賃貸事業1%となっている。(2006年現在)現在日本で食べられている中華まんは、大正14年から昭和2年発売日まで改良を加えられて、日本人の口に合うように工夫されたものである。また、クリームパンを日本で初めて販売しており、カレーパンと共に有名である。1901年の創業以来、妻の相馬黒光とともに独創的なパン・食品を作り続けた。1904年にはシュークリームをヒントに現在もポピュラーな菓子パンであるクリームパンを考案した。1927年には現在の中華まんのもととなる「中華饅頭」を発売。これが現在の中華まんの始まりとも言われている。1918年に娘がインドの独立運動家のラス・ビハリ・ボースと結婚をしたことから、本格的なカリーの調理を学び、1927年(昭和2年)6月12日に当時の日本では珍しい純インド式カリーを販売している。本店のカリーのキャッチフレーズ「恋と革命の味」はここから生まれ、引き継がれている。また中村屋では発売開始日の6月12日を「恋と革命のインドカリーの日」と定めている。フランスパンを日本で最初に発売した京都の進々堂創業者の続木斎や、山﨑製パン創業者の飯島籐十郎も相馬のもとで勤務していた。新宿本店には愛蔵・良の人柄に惹かれた文化人が盛んに来店していた。その中にロシアの童話作家ヴァスィリー・エロシェンコもおり、彼がレシピを伝えたボルシチも、前述のカリーと並び本店レストランの開店以来の人気メニューである。ただし、このボルシチはテーブルビートの代わりにトマトを使用した物である。また、エロシェンコが着用していたロシアの民族服ルバシカも、その機能性から店員制服として採用されている。寺山修司はプレイボーイ誌で人生相談欄を担当していたとき、自殺願望の青年の葉書に対し、「君は新宿中村屋のカリーを食べたことがあるか?なければ食べてから再度相談しろ」と返答した。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。