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拈華微笑

拈華微笑(ねんげみしょう)とは、禅宗において禅の法脈を釈尊から受け継いだとされる伝説のこと。インドの霊鷲山(グリドラクータ)上で釈尊が黙って華を拈(ひね)ったところ、大衆はその意味を理解することができなかったが、迦葉尊者だけがその意味を理解して破顔微笑したため、迦葉に禅の法門を伝えたという。聯燈会要・釈迦牟尼仏章には「世尊在霊山会上。拈華示衆。衆皆黙然。唯迦葉破顔微笑。世尊云。吾有正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相、微妙法門、不立文字、教外別伝。付属摩訶迦葉」とある。また大梵天王問仏決疑経にも「正法眼蔵・涅槃妙心、微妙(みみょう)法門あり、文字を立てず教外に別伝して迦葉に付属す」とある。この伝説は、経論律の三蔵には説かれておらず、禅宗興隆当時に他宗の教判やその実証に対抗するために案出されたものとされ、唐の徳宗の末頃に金陵の沙門である慧炬が寶林傳を撰して、この伝説を記述し、その宗を誇大にしたことから始まるといわれる。宋代以降に人天眼目、無門関、五燈会元、廣燈録、聯燈会要などにこの伝説が記載されるようになり、宋の王安石はこの事は大梵天王問仏決疑経に出典されると述べている。大梵天王問仏決疑経には全24章のものと全7章のものとがあり、互いに章名も内容も異なっているが、両方とも「我今日涅槃時到」「如來今者不久滅度」などと記されており、釈尊の死の直前に説かれた経典であるとされている。しかし、パーリ仏典のマハー・パリニッバーナ・スッタンタ(=漢訳阿含経典の『大般涅槃経』など)によれば、釈尊の死の直前期には迦葉は釈尊のそばにおらず、遠隔地で修行していたという。当然ながら迦葉は釈尊の臨終の場にも居合わせず、迦葉が釈尊の死を知ったのは釈尊の死から7日後のことである。つまり、上記パーリ仏典などの内容を信じるならば、「拈華微笑」の伝説は明らかに史実に反しているということになる。また、禅宗は中国において唐初の道信(西暦580年 - 651年)の頃から盛んであったが、それよりも後世に編纂された漢訳仏典の二大目録である『開元釈教録』や『貞元新定釈教目録』には大梵天王問仏決疑経は記録されておらず、中国への伝来時期や訳者も不明である。以上の事実により、今日では、大梵天王問仏決疑経は「拈華微笑」の伝説を根拠付けるために中国で創作された偽経であるとされている。

出典:wikipedia

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