He219は第二次世界大戦中期に登場したハインケル社製のドイツの夜間戦闘機である。愛称は「ウーフー」(ワシミミズク)。第二次世界大戦下、英空軍によるドイツ本土への夜間爆撃が本格化するなかで、ドイツ空軍が爆撃機を改造した応急的な夜間戦闘機しか保持していない事を憂慮したヨーゼフ・カムフーバー (Josef Kammhuber)大佐は、ハインケル社にP.1055、P.1056という開発を停止していた機種を再設計するように要請した。結果、誕生したのが双発の本機である。原型一号He219V1は1942年に初飛行を行い、最大時速615km/hを記録している。これは今までのJu 88等を転用していた夜間戦闘機の中で、最も高速であった。翌年の三月にレヒリンの空軍実験センターで行われた模擬空戦でも、Ju88RやDo217Nに圧勝、航空省から300機の量産受注を獲得する。1943年6月1日の夜、第一夜間戦闘航空団(NJG1)に配備された先行生産型のHe219A-0が、第一飛行隊の司令官ヴェルナー・シュトライプ少佐の操縦によってデュッセルドルフに飛来したイギリス空軍爆撃隊を迎撃、5機のランカスターを撃墜して初陣を飾った。その後も夜間戦闘機部隊の天敵であったデ・ハビランド モスキートを撃墜するなど、その高性能ぶりを示した。搭載エンジンとされたDB 603系は信頼性に不足がある部分が多く、本機が装備する予定であった高高度型DB 603AA(1,670馬力)および高出力型DB 603E(1,800馬力)はとくに不十分で量産に乗り入れることができず、結局搭載されたエンジンも、本格的な高高度仕様ではないDB603A/B型であり、その供給すら微々たるものであった。また、本来予定していたDB 603G(予定出力1,900馬力)にいたっては、エンジンそのものが実用化できずに終わった。さらに、代替エンジンとして期待の持てたJumo211シリーズの搭載も検討されたが、これはJu88の搭載エンジンであったため、本機に優先配分される事はまず有り得なかった。加えて、必要以上に多彩なバリエーションも生産を阻害していた(ウーフーは機銃兵装を機体下の武装搭載パックにまとめており、これを交換することにより武装を変更できたが、その数は20を超えた)。そのうえ、いくつかの部隊では本機を正規のルートではないところから導入していた事もあって、実はタイプの内約については謎が多い。また、ハインケル社はウーフーにジェットエンジンを搭載することも考慮していたといわれ、そのために三点降脚装置や、当時としては世界的に珍しい射出座席を搭載したともいわれている。初期のウーフーのコクピットには倒立式の防弾板が備え付けられていた。これは、前面のキャノピーに防弾効果が無かったためである。後に廃止される。夜戦を目的とした機体の為、当然レーダーが備え付けられていた。爆撃機だけではなく、デ・ハビランド モスキートといった随伴機の脅威を取り除くため、He219Aは後方にもレーダーが取り付けられた。追尾レーダーは他のドイツ夜間戦闘機同様、ネプツーンやFuG202リヒテンシュタインBCといった機体先端に取り付けるものであった。これは鹿の角と揶揄されるように機体の空力を阻害する、空気抵抗の大きいものだった。後期になると、Ju88にはより小型化されたマイクロ波長レーダーFuG240『ベルリン』が試作され、取り付けられるようになる。当然He219にも搭載試験が行われたと推測されるが、生産台数が少なかったために試されなかったのか、それを証明する写真・資料は残っていない。ウーフーは連合軍にも接収されて、各種試験を受けたもののドイツ軍のような高評価を得たわけではなかった。米軍パイロットからは出力不足を指摘されており、とくに離着陸時の出力不足が問題であったと伝えられている。これはある意味当然であり、本来必要なDB603Gよりも低い出力のエンジンで、計画時よりもさらに重くなった機体を飛ばさなければならなかった。ハインケルではJumo222(液冷24気筒 2,450馬力)の搭載さえ計画していたほどであった。
出典:wikipedia
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