1955年に大阪市立大学に編入され、医学部となった。本項では、前身の旧制大阪市立医学専門学校を含めて記述する。1944年の大阪市立医学専門学校発足時、校舎は元扇町商業学校の校舎を使用した (扇町校舎、大阪市北区西扇町十二、現 大阪市立天満中学校付近)。この校舎は後身の大阪市立医科大学でも引き続き使用された。1953年4月、附属病院隣地に校舎が設置され移転 (旭町校舎、大阪市阿倍野区旭町一。「智・仁・勇」 の三女神像はこのとき校舎壁面に設置された)。同校地は改築・拡張を重ねながら、後身の大阪市立大学医学部が2006年現在も使用している (阿倍野キャンパス)。附属病院は1922年に受けた大阪の篤志家 岸本吉右衛門 (大阪高商 1907年卒) からの寄付 100万円と市費により建設され、1925年10月に大阪市立市民病院として開設 (大阪市阿倍野区旭町、病院正面の銘は 「Urbanum Valetudinarium in Osaka 2585」 [大阪市民病院 皇紀2585年])。1940年に大阪市立南市民病院と改称。1944年の医専発足時に附属病院となった。1948年の医大学部発足時に医大附属病院となったが、基礎学舎 (大阪市北区西扇町) と附属病院との距離が問題となり、中間地点の桃山市民病院 (大阪市天王寺区) を 1950年-1956年の間、第2の附属病院として使用した。1953年に基礎学舎が旭町の隣地に移転し、距離の問題は解消した。1925年竣工の病院本館は老朽化のため 1989年に取り壊され、本館・諸棟の跡地に現在の附属病院が建設された (1992年竣工)。なお、旧病棟の病院正面の銘「Urbanum Valetudinarium in Osaka 2585」は現在の附属病院の5階講堂横の廊下に展示保存されている。
出典:wikipedia
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