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三保の松原

三保の松原(みほのまつばら)は、静岡県静岡市清水区の三保半島にある景勝地。その美しさから日本新三景(大沼、三保の松原、耶馬溪)、日本三大松原(三保の松原、虹の松原、気比の松原)のひとつとされ、国の名勝に指定されている。また、ユネスコの世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産に登録されている。なお、「三保の松原」は名勝としての指定名称及び世界文化遺産・構成資産一覧では「三保松原」と表記され、表記にゆれが存在する。新聞等ではハンドブックにより「三保の松原」で表記を統一しているところもある。平安時代から親しまれている三保半島の東側に広がる景勝地である。総延長7km、3万699本の松林が生い茂る海浜と、駿河湾を挟んで望む富士山や伊豆半島の美しい眺めで有名。歌川広重の『六十余州名所図会』「駿河 三保のまつ原」を始めとする浮世絵にも描かれている。また、日本最古の和歌集である『万葉集』にと詠われて以降、多くの和歌の題材となり、謡曲『羽衣』の舞台にもなっている。三保半島は、安倍川から海へと流された土砂が太平洋の荒波に運ばれ、日本平を擁する有度山を削りながら出来た砂嘴である。何百年にわたり流された土砂(漂砂)が静岡海岸、さらには清水海岸に幅百mを超える砂浜を作り、現在の清水港を囲む三保半島、および三保の松原の砂浜を形成した。羽衣伝説の舞台でもあり、浜には天女が舞い降りて羽衣をかけたとされる「羽衣の松」があり、付近の御穂神社(みほじんじゃ)には羽衣の切れ端といわれるものが保存されている。羽衣の松には毎年元日の朝に大勢の人々が集い、伊豆半島の山々から昇る初日の出を拝んでいる。1922年(大正11年)3月8日、史蹟名勝天然紀念物保存法(文化財保護法の前身のひとつ)により、天橋立とともに日本初の名勝に指定された。名勝指定時の面積は339.8ha(国有地62.8ha、公有地14.3ha、民有地261.3ha)、松の本数は9万3千本(一説には12万本)あったが、第二次世界大戦中の松根油の採取による松林の伐採や、第二次世界大戦後の民有地開発などにより、1991年(平成3年)3月時点では198.2ha(国有地42.8ha、公有地14.3ha、民有地139.7ha)、松の本数も5万4千本に減少。2014年2月23日の「富士山の日」イベントで、松の本数を調査した結果3万699本と25年前に比べ2万本以上も減少していることがわかった。1977年(昭和52年)の文部省告示第44号(名勝三保松原の一部指定解除)及び、1990年(平成2年)の文部省告示第31号(名勝三保松原の追加指定及び一部指定解除)により、前述の通り名勝指定の範囲は減少している。なお、名勝に指定されている範囲には「名勝三保松原規制地区」が設定されており、現状を変更する際には許可が必要である(文化財保護法第125条)。規制地区は、の5つに区分され、松原を形成する「特別規制B地区」の規制が最も強く、これを取り巻くように規制が緩くなっている。許認可は、静岡市が策定した「保存管理計画」(2010年改訂)に基づいて判断され、特別規制A、B地区は国(文化庁長官)、その他の地域は静岡市の許可が必要である。1933年(昭和8年)4月13日には三保久能海岸風致地区に、1951年(昭和26年)3月6日には日本平県立自然公園(現在の日本平・三保の松原県立自然公園)区域、潮害防備保安林に指定されている。三保松原は、世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成遺産のひとつに登録されている。ユネスコに提出した世界文化遺産推薦書によると、構成資産は羽衣公園付近から真崎までの清水海岸(砂浜及び松林)、御穂神社境内全域と「神の道」、清水灯台(三保灯台)などで構成され、資産面積:64.4ha、緩衝地帯面積:252.0haが指定されている。羽衣の松は御穂神社の神体で、祭神の三穂津彦命(大国主命)・三穂津姫命が降臨する際の依り代とされる。初代「羽衣の松」は1707年(宝永4年)の宝永大噴火の際に海に沈んだと伝えられる。二代目「羽衣の松」は高さ約10m、外周5m、樹齢650年のクロマツで、立ち枯れが進んだため、2010年(平成22年)10月に近くにある別の松を三代目の「羽衣の松」に認定して世代交代し、2013年(平成25年)7月3日に先代「羽衣の松」は約3mの幹を残して伐採された。1980年代から三保の松原の砂浜は、海岸浸食による消失の危機に見舞われている。原因は、1960年代に安倍川で大量に砂利を採取したこと、安倍川で砂防ダムや護岸工事を行ったために川から供給される砂や礫が減少し、波や沿岸流で供給される流砂と波によって侵食される土砂の需給バランスが崩れたためと考えられている。静岡県は1989年(平成元年)2月に海岸保全事業を策定し、海岸から100m程の地点に消波ブロックを点在して設置したり、離岸堤式ヘッドランド(人工岬)やL字突堤型ヘッドランドを設置して侵食を抑え、砂の補給による養浜対策を講じている。「羽衣の松」を含む多くの松林が徐々に枯死する松枯れも進行している。静岡市などが対策に乗り出しており、松食い虫防除のための予防剤注入やシロアリの防除を行うほか、市有林については、松の防除履歴などの個体管理台帳を作成する予定である。フランスのダンサー、エレーヌ・ジュグラリスは日本の「能」を研究する中で「羽衣伝説」を知り、これを題材にした作品「羽衣」を発表、彼女は来日して伝説の舞台となった三保の松原を訪れることも希望していたが、病気により叶うことなく35歳の若さで亡くなってしまう。臨終の際には夫に「せめて髪と衣装だけは三保の松原に」と遺言を残し、それに基づいて夫は彼女の衣装と遺髪を持って来日した。この秘話に共感した地域住民により、1952年(昭和27年)にエレーヌの功績を称え「エレーヌの碑(羽衣の碑)」が完成、その碑の袂には彼女の遺髪が納められている。江戸時代の絵図によると、当時は三保半島のすべてが松で覆われていた。三保は江戸幕府の直轄地(天領)であり、御穂神社の朱印地(寺社領)、いわゆる鎮守の杜として所領が安堵されていたが、明治維新後に杜の禁が解かれ、御穂神社周辺の松は旧幕臣の手により壊滅的に伐採されたと伝わる。また、三保半島は過去の地震で度々沈降したと伝えられ、三保の松原や砂浜も被害を受けている。

出典:wikipedia

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