アックアック(、1966年 - 1990年)とは、アメリカ合衆国の競走馬・種牡馬である。1970年前後に活躍し、種牡馬としても成功、ヒムヤー系存続に貢献した。馬名は高射砲を意味するAck Ackに由来。2歳時は、10月にベルモントパーク競馬場でデビュー。2戦目で勝ち上がり、3戦1勝、2着2回の戦績で2歳シーズンを終えた。3歳時は1月17日の一般戦を勝利すると、連闘で出走した翌週の一般戦でアーツアンドレターズ以下に勝利。更にバハマズステークスを制し、3連勝で重賞初制覇を飾るが、エヴァーグレーズステークスは、アーツアンドレターズに雪辱を果たされ4着に敗れる。4月末に行われたダービートライアルステークスでは、1分34秒4のレコードタイムで後続に7馬身差をつけて圧勝するが、陣営の意向によりマイル路線を進む。更にウィザーズステークス、アーリントンクラシックステークスに勝利し、3歳シーズンを終えた。4歳になったアックアックは、拠点を西海岸に移す。初戦の一般戦こそ4着に敗れるものの、その後4連勝。9月にはダート5.5ハロンの一般戦は、コースレコードの1分02秒2で走破している。5歳を迎えると円熟期を迎える。パロスヴェルデスハンデキャップこそ2着に敗れるものの、7ハロンのサンカルロスハンデキャップ、8.5ハロンのサンパスカルハンデキャップ、9ハロンのサンアントニオハンデキャップに勝利。そして自身最も長い距離となる、10ハロンのサンタアニタハンデキャップではクーガーを下して勝利する。この後も勢いは止まらず、6月には半分近く距離を短縮された、5.5ハロンのハリウッドエクスプレスハンデキャップに勝利すると、初の芝レースとなったアメリカンハンデキャップはレコードタイムで勝利。引退レースとなったハリウッドゴールドカップでは、自身初となる134ポンド(60.5キログラム)の酷量を背負いながらゴール板を1着通過。距離・芝・ダート不問の活躍を見せ、この年の年度代表馬、最優秀古馬、最優秀スプリンターの3部門を受賞した。この年を最後に引退すると、その後はクレイボーンファームで種牡馬として供用された。種牡馬としても成功し、ブロードブラッシュ、ユース等の産駒を輩出、約600頭の産駒の内、54頭がステークス競走優勝馬となった。ブロードブラッシュは後に北米リーディングサイアーとなり、当時既に衰退しつつあったピーターパンやブラックトニーの一族に代わってヒムヤー系を代表する勢力になった。また、母の父(ブルードメアサイアー)としても優秀で、95頭のステークス競走優勝馬がいる。アックアック自身は1990年に死亡、長年種牡馬として供用されたクレイボーンファームに埋葬された。1986年アメリカ競馬殿堂入り。1999年、競馬専門誌であるブラッド・ホース誌による20世紀のアメリカ名馬100選第44位に選出。
出典:wikipedia
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