西武101系電車(せいぶ101けいでんしゃ)は、1969年(昭和44年)に登場した西武鉄道の通勤形電車。また、本項では新101系と同一機器、同一構造の西武301系電車(せいぶ301けいでんしゃ)についても述べる。101系は、「旧101系」(低運転台車、1969 - 1976年製造)と「新101系・301系」(高運転台車、1979 - 1984年製造)の2種類が存在する。このうち旧101系は2010年(平成22年)11月9日をもって、301系は2012年(平成24年)12月9日をもって全ての営業運転を終了、全車廃車となっている。なお、本項では個別の編成について、「N編成(N=編成中の最若番車両の番号)」の表記とする。1969年(昭和44年)の西武秩父線開業に合わせて山岳路線を走行するための高出力・高ブレーキ性能の車両として登場し、同年3月5日に西武秩父線の開通より一足早く営業運転を開始した。登場時は「ASカー(All round Service Car)」とも称された。1976年(昭和51年)までに4両編成50本(200両)と6両編成13本(78両)の計278両が新製された。このうち6両固定編成の電動車2ユニット中1ユニットには当時の大手民鉄では珍しいハイフン付ナンバー(モハ101-21 - 30・201 - 216)が登場している。車両形式は制御車のクハ1101形と中間電動車のモハ101形のみである。車体前面は非貫通・2枚窓で、上部中央には手動巻き取り式の行き先表示器が、その左右に後部標識灯と通過標識灯が搭載されている。向かって右側の後部標識灯下には乗務員室用通風口のフタを有する。前面窓下に前照灯を左右1灯ずつ装備しその下にはステンレス製の帯が巻かれている。前面の方向幕は種別表示器が無いため、準急以上の種別は運転室内の右上に種別名が書かれた札を掲示し、普通(各駅停車)は右上には何も掲示しなかった。なお車体側面には種別・行き先表示器は無い。側面は片側両開き3扉で扉間には戸袋窓と二段窓が4枚配されている。前面、側面とも先に登場した801系のデザインが踏襲されほぼ同一デザインとなっている。ただし701・801系列に比べて台枠厚さが増加したが床面高さはほぼ同一とされたためその分車体裾が下がっている。この他客用扉を閉扉した際に物挟みなどで完全に閉まりきらない扉のみ再度全開にする事ができる再開閉スイッチや、車内保温を目的に運転台の直近の扉以外を締切る装置が本系列で初めて備えられた。屋根上にはグローブ形ベンチレーターを、先頭車の非冷房車は7個で冷房車は5個、中間車の奇数車(M1,3車)の非冷房車は5個で冷房車は3個、中間車の偶数車(M2,4車)は8個で冷房車は6個搭載。パンタグラフは菱形のものをM1車に2基搭載する。車体塗装はレモンイエロー地に窓回りがウォームグレー(ベージュ)の塗り分けとなった。これは搭載機器の種類が異なり連結運転が不可能な701,801系と識別する意味もあった(当時701,801系などはローズピンクとベージュの塗装)。ドアはステンレス無塗装。座席はオールロングシートでモケットは茶色で優先席は緑色。内装の化粧板は茶色系統の暖色系が採用された。車両間の貫通扉は両開き式で101 - 127編成はM2車のM1車寄り(1位側)のみに、129 - 181編成はTc1車・M2車の1位側・Tc2車に、183編成以降はM1,2車の1位側、Tc2車に設けられた。101 - 181編成は冷房化改造の際に扉の新設や移設により183編以降と同じ位置に統一された。天井には非冷房車は扇風機、試作冷房車は冷風吹き出し口と扇風機、冷房車はラインデリア6個を備え非冷房車および試作冷房車より蛍光灯を中間車では2本、先頭車では3本多く搭載している。台車は住友金属工業製の空気バネ台車でクハ1101形がFS072、モハ101形がFS372を装着する。主電動機は701系用のものから大幅に出力アップした日立製作所製HS-836-Nrb・Prb(出力150kW)または東洋電機製造製TDK-8010-A(出力150kW)が、主制御器は日立製の電動カム軸式の抵抗制御器MMC-HTB20E(弱め界磁起動1段・直列12段・並列13段・弱め界磁5段・発電制動25段)が搭載された。一般的な抵抗制御としては進段数を多めに取り高加速性能を得ている。また、定格回転数を1,850rpm(80%界磁)と高く設定されたほか最弱め界磁率が40%から35%に拡大され高速性も向上している。これらはM1,3車に搭載された。補助発電機としては電動発電機(MG)がM2,4車に搭載された。非冷房車は12kVAのHG-534-Mrb型、冷房車および冷房改造車は150kVAのMG117-S型、6両固定編成はMG114A-S型。一部の冷房改造車はブラシレスで140kVAのHG-77445-01R型またはTDK-3350-A型を搭載する。また218,220,222,224号車はMGの代わりに静止形インバータ(SIV)が搭載された。制動装置には西武鉄道では初めて応荷重装置を持った発電制動付き電磁直通空気制動(HSC-D)を採用、勾配抑速発電制動を装備した。これらは急勾配が続く西武秩父線を走行するための装備であり、同時期に登場した5000系もこれと同様の装備を有する。これにより、自動空気ブレーキ装備の在来系列との通常の併結運転は不可能になった。電動空気圧縮機(CP)はAK-3型をM2,4車に2台搭載した。後の冷房化改造や特別修繕工事に併せてHB-2000型1台に交換された車両も多く存在した。701,801系は1977 - 1978年にかけて車体の塗装をローズピンクとベージュの2色からレモンイエロー1色に変更された。なお、このお馴染みの黄色い塗装は、101系が最初である。イエローとウォームグレーの本形式と識別されていたが401,701,801系の冷房改造車グループの1997年の営業運転離脱後に、保守作業の簡略化も含めて本形式の車体色のイエロー1色化が行われた。1996年の183編成を皮切りに1999年(平成11年)の201編成で塗装変更が完了した。2001年(平成13年)秋には、「西武トレインフェスティバル・赤電スペシャルウィーク」において159編成がかつての101系以外の形式(501系〈2代目〉- 801系)の標準塗装であるローズピンクとベージュの塗り分け(通称・赤電塗装)に変更され、臨時列車として同年9月29日 - 30日に西武新宿 - 西武園間を、同年10月7日 - 8日には池袋 - 横瀬間でそれぞれ運転された。同編成は重要部検査を間近に控えており、臨時列車への充当後すぐに検査入場しイエロー1色塗装に戻され、赤電塗装での定期列車への充当はなかった。旧101系に赤電塗装が施工された唯一の例である。旧101系は冷房器非搭載で登場し、しばらくそのまま増備が続けられたが、1972年(昭和47年)に171 - 181各編成の4両編成6本(24両)が試作冷房車として新製された。これは西武鉄道で初の冷房通勤車である。比較試験の結果、量産車では集中式冷房装置を採用することとなり、1973年(昭和48年)には121 - 129編成の4両編成5本が冷房改造され、同時に新製冷房車のMM'ユニット2両を組み込むことで101系初の6両編成となった。1974年(昭和49年)には新製冷房車となる191編成が登場し、163編成に4両編成で最初の冷房化改造が施された。なお量産冷房車では以下の点で設計変更が実施された。冷房改造は新製車導入と並行して行われたが、池袋・新宿線間での冷房車比率を均等にする目的で旧101系の冷房改造は一時中断となったが、701系・801系・401系の冷房改造完了後に旧101系の冷房改造が再開された。1987年(昭和62年)の161編成を最後に全編成の改造が完了した。なお、試作冷房車のうち175,177編成が他編成と同一の集中式冷房装置へ改造され、残りの4編成は4000系に機器を提供するため未改造のまま廃車となった。また、1984年(昭和59年)以降に冷房化改造された101 - 119,131,139,149,161編成および175,177編成の24編成は、冷房化改造(175,177編成は集中冷房化改造)と同時に他の箇所にも手が加えられ、座席端の肘掛のパイプが新101系と同様の網棚と一体化したタイプのものに変更された他、車側灯の電球が2灯化されている。また175,177編成はこの時に屋根上のベンチレーターが箱型タイプのものに交換されている。全編成に列車無線装置の設置・ブレーキ制御装置の変更(カバー付き)・前面密着連結器の胴受形状変更・ドアエンジンのTK-4D形からSTK-4D形への改造(戸開き時に排気音→戸閉め時に排気音)などが施工され、一部編成には空気圧縮機への除湿装置取付・屋根ならびに床下機器のグレー色への変更・MGからSIVへの交換が行われた。1980年代以降に新宿線で運用された編成は冷房改造後の401・701・801系との併結運転対応の改造工事が行われた。改造内容は抑速ブレーキのカットをはじめとするもので、該当編成は電気連結器部分が黄色塗装にされ識別された。なお、改造車の池袋線復旧時または701系グループが淘汰された1998年に復元工事が行われている。1980年代中頃から後述の新101系と同様に乗務員室の客室仕切り扉に客室側より忍び錠にてラッチ施錠を行える改造が施工された。1988年(昭和63年)の新2000系の登場とほぼ同時期に、129,183,191 - 201,209- 225編成の30編成に対し車内・外のリフレッシュいわゆる特別修繕工事(特修)が実施された。結果として最も原型に近い車内を最後まで維持して運用していたのは2003年(平成15年)廃車の183編成。ドア窓支持方式が黒色Hゴムだった車両の最終廃車は2004年の175編成である。1988年に廃車になった145編成の中間車モハ145,146に以下の改造が施された。改造後は301系307編成のサハ1301形の代わりに組み込まれ(1307+307+308+145+146+301-7+301-8+1308)、モハ301-7,301-8は主電動機回路をカットした上でMT比4M4Tで営業運転をおこなった。試験終了に伴い307編成は編成から抜かれたサハ1301-7,1301-8を復帰させ、モハ145,146は1990年(平成2年)に廃車された。1996年(平成8年)4月に多摩川線でワンマン運転が開始されるのに際し、当時池袋線に所属していた特修工事の対象車の217 - 225編成の5編成にワンマン運転対応改造を行いまた甲種輸送に対応させ、同線に所属していた701系と401系を置換えた。改造内容は以下の通り。多摩川線には通常4編成が配置され、もう1編成は予備で新宿線の支線(主に西武園線)で運用されるシステムが採られた。登場から全車が引退するまで西武有楽町線・新交通システムの山口線を除く全線で各駅停車から快速急行までフルに運用された。新101系と、あるいは対応改造車においては701,801系などとも併結運転が可能で、最大10両まで連結された。旧101系の登場当初は西武秩父線対応ということもあって、池袋線に配置されていたが、冷房車が登場後、冷房化のため新宿線にも配置された。前述のように池袋線と新宿線の冷房車配置を均等にする目的で旧101系の冷房改造を中断し、701系などの冷房化改造に移行した時期があったが、実際には旧101系冷房車を新宿線に配置し、701系・401系冷房改造車を池袋線に配置するケースもあった。その後1979年(昭和54年)に登場した新101系は、2連の一部が新宿線にも配置され、既存の旧101系と組んで使用されたが、その直後1980年(昭和55年)3月17日改正に伴う転配で、101系は池袋線に701系・401系冷房改造車は新宿線にそれぞれ集約することになり、以降しばらくの間旧101系は全車が池袋線に配置された。1990年代になると池袋線にも新2000系の投入が開始される一方で、新宿線の701系・801系・401系・501系(3代)冷房改造車の老朽化により、旧101系が新宿線系統に再び配置されるようになった。1996年からワンマン改造が施工された217 - 225編成が多摩川線に投入された。多摩川線での運用車4本と本線に残った1本とは検査などの際には武蔵野線を介して編成の入れ替えを行っていたが、1999年に始まったJR中央線武蔵境駅高架化工事に伴い同駅でJR線との連絡が断たれてからは217 - 223編成の4本で固定された。2004年夏時点で、旧101系は新宿線と池袋線にそれぞれ4両編成4本(16両)とワンマン車4両編成5本(20両)の計9本36両が在籍していた。新宿線に残存していた175編成と191編成は12月6日付けで廃車になった。池袋線に残存していた193編成と197編成は、同年の「西武トレインフェスティバル2004 in 横瀬」の開催に合わせて5年ぶりに登場時のツートンカラーに塗色変更され池袋 - 横瀬駅間の臨時列車として走った。イベント終了後、両編成は西武鉄道のウェブページで公開されたダイヤ通りに運行し、秩父夜祭輸送や土休日の西武秩父線直通快速急行の運用が主となった。この快速急行運用の中の特定の3日間は「秩父線開業35周年」のヘッドマークを装着して運行された。その後12月19日に「さよなら旧101系運転」として西武園→東村山→本川越→西武球場前→所沢→飯能→西武秩父の経路で運転された。西武球場前駅では展示会が行われ、終着地の西武秩父駅到着後は横瀬車両基地に回送の上解体された。多摩川線配置車が217 - 223編成に固定された後本線側に残った225編成は、2006年4月から約1年間かけて行われた多摩湖線用新101系ワンマン車の更新工事の間に予備車として2008年2月3日まで同線で運用された。運転終了直前の1月27日から先頭車の中央下部に「さようなら101系225/226号車」と写真が載った特製ヘッドマークが掲出された。2010年に入って武蔵境駅の高架化が完了。多摩川線と中央線の連絡線が復活したことから車両の入れ替えが再開され、同線にはワンマン改造を施工された新101系(後述)が順次4編成投入された。それらと交替で3月に217編成、6月に219編成、9月に221編成、11月に223編成がそれぞれ多摩川線から小手指車両基地に回送され、最終的には横瀬車両基地に回送され解体された。なお223編成のみ横瀬車両基地に回送される前に方向転換を行っている。同編成の廃車をもって旧101系が全廃となった。1224号車についてはツートン塗装に塗り替えた上、横瀬車両基地に保存されている。(後述)なお最後まで残った223編成については11月3日から運用を終了した9日まで2種類のヘッドマークが掲出された。1988年(昭和63年)に試作冷房車の171,173,179,181編成および141 - 147編成の8編成32両のうちモハ145,146を除いた30両が本系列最初の廃車になった。廃車順は171・173・141・143・145・147・179・181編成。これらの編成の機器は廃車後に4000系を製造する際に流用されている。1992年(平成4年)12月に213編成が新宿線東村山0号踏切で自動車との衝突事故を起こした際にモハ101-214から火災が発生し同車は廃車になった。その代替として経年廃車予定だった125編成のモハ101-26が2代目モハ101-214に改番の上組み込まれ213編成は営業運転に復帰している。なお、213編成は2003年(平成15年)に廃車になっている。2000系の増備が一段落した1979年(昭和54年)に2両編成から登場し、その後4両編成、8両編成(301系)も登場した。自社の西武所沢車両工場だけでなく、東急車輛製造でも多数製造され設計も同社に委託した。このため、同時期に同社が設計に関与した国鉄201系電車とも外観上の類似点が数々見られる。戦後発足の現・西武鉄道の通勤電車としては初の外部発注であった上に、その発注先が箱根山戦争で対立関係にあった東急グループの会社であった事が当時一部で話題になった。4両編成が旧101系の続番の227編成 - 261編成、2両編成が269編成 - 295編成、301系が301 - 313編成で構成されている。1980年12月に増備された4両編成は車両番号が300番台の区分となり、305編成が登場した時点でこれらの編成は301系とされた。301 - 309編成の4両5本(20両)が登場したのちの1982年から各編成にサハ1301形を含む4両が組み込まれて8両固定編成とされた。すなわち新101系と301系の相違点は新101系が2連もしくは4連であるのに対し301系が8両固定編成という点だけで性能面ではほぼ同一であり、301系は101系の1グループとみる事ができる。新101系と301系は1982年(昭和57年)製で製造を終了する予定だったが、1983年(昭和58年)度に3000系を5編成製造する計画が3000系3編成と301系2編成の製造に計画変更され、同年に311編成が、翌1984年に313編成が登場した。この2編成は連結器胴受けの形状や車側灯が2灯になった点が3000系に準じており、それまでの編成と異なる。また、両編成は新製時から8両固定編成で、これは所沢工場で最初で最後の8両同時出場となった。最終的に新101系が100両、301系が56両の計156両が製造された。2011年4月1日現在では8両編成4本、4両編成10本、2両編成5本の計82両が運用されている。西武鉄道では2007年4月17日に101系・301系に代わる次世代通勤形車両30000系の導入を発表。同系は2011年度までに14編成94両が新造され、2012年度には6編成30両が新造された。これにより2012年12月2日をもって非ワンマン車の定期運用は終了し、翌日からは飯能7時53分発通勤急行池袋行きと小手指8時01分発通勤準急池袋行きで始まる運用についてはすべて4ドアで運転された。これについては先ほどの種別の停車駅の時刻表に提示した。その後、12月9日には西武球場前駅構内と横瀬車両基地にて「さよなら101系・301系イベント」を開催した。これに合わせ、かつて定期運用であった101系2両3編成連結した計6両編成の団臨が西武園→東村山→本川越→所沢→西武球場前→所沢→飯能→横瀬の経路で運転され種別幕に「さよなら」、行き先幕に「101系」の特別方向幕を、黄色い電連を装着して走行し、同じく引退する301系も臨時快速として池袋→西武球場前で100アニバーサリーヘッドマークを付けて走行した。西武球場前駅では前述した列車を並べて展示を行った。第二会場の横瀬車両基地では団臨で使用された271Fと281F、基地内に保存されている旧101系1224号車の並列展示を行った。新101系・301系はデザイン面で旧101系を大幅に変更されたものであるが、台車・ブレーキシステム・電装品は変わらない。また全車両新製時から冷房装置を搭載。旧101系からの変更点は以下の通り。外部塗装は、旧101系同様イエローがベースで側面窓回りにウォームグレーの帯が入った。前面の窓回りのへこみは、最初に登場した281 - 295編成は側面と同じウォームグレー、4連の編成と301 - 309編成はそれより濃いグレー、271 - 279編成と311・313編成は黒色に塗られた。のちに全車黒色に統一されている。旧101系と同様401・701・801系の全廃後に車体塗装のイエロー1色化が始まり、2000年(平成12年)7月の279編成をもって完了した。同時期に種別・行先表示器の字幕も白地黒文字から黒地白文字に変更した。2008年(平成20年)6月頃からは2000系・3000系・4000系と同様に種別・行先にローマ字表記を追加し、各駅停車の種別表示は「普通」から「各停」に変更された。2005年に多摩湖線用ワンマン車リニューアル改造でスカートの取付が施工された。本線系統用車両でも2005年の313編成を皮切りに実施されたが、全編成への施工はされていない。1981年以降に253 - 261編成に701系列と連結できるように抑速ブレーキの無効化などの改造が施工されて新宿線系統に転属し、551系などを置換えた。227編成+229編成・231編成+233編成・235編成+237編成・239編成+241編成の4両編成8本4組に、1989年から始まった秩父鉄道への乗り入れへの対応改造が行われた。内容は以下の通り。なお休日ダイヤの乗り入れ運用には三峰口+西武秩父行きと西武秩父+野上行きがあり、編成の組合わせが入れ替わるケースもあった。秩父鉄道への乗り入れ運用終了に伴い改造編成の電気連結器は元に戻されたが、解除後も普段先頭に出ない電気連結器が白色のままであった。号車札や茶色のつり革はそのまま残り、通常はかつての改造編成同士で連結され8両固定編成と同様に運用されていた。1998年11月より多摩湖線の国分寺 - 萩山間でワンマン運転が始まったが、同区間で運用する目的で257,259,261編成の3編成に旧101系ワンマン車に準拠したワンマン運転対応改造が行われた。内容は以下の通り。などである。その後261編成は2005年3月、259編成は同年9月、257編成は2006年3月にリニューアル工事が施工された。内容は以下の通り。2007年に車両の組み換えで新たに組成された263編成(後述)と、2010年の3月から12月にそれまで多摩川線で運用されていた旧101系のワンマン車を置き換える目的で247,249,251,253編成にも同様の改造が施工された。これらの編成は257 - 261編成とは違いリニューアル改造前にワンマン対応改造が施工されていないので、リニューアル改造時にワイパーの交換や電気連結器の撤去が行われている。また、多摩川線用の4編成は車体の色が白色になり両先頭車にはラッピングがされている。これは沿線の小学生から募集した四季をイメージしたイラストで、247編成が「春」、249編成が「夏」、251編成が「秋」、253編成が「冬」をそれぞれテーマとしている。このほか車内の車両番号およびメーカー銘板がシールになっている点などが異なる。また車内床材は263編成と同じグレー系統の物が使用されている。2011年2月から7月にかけて245編成、2012年から2013年2月の間にかけて241編成にも多摩川線用車と同様の改造が施された。この2編成は改造時に車体色が白一色になっている。なお、241編成は改造時に屋上のベンチレーターが撤去されている。ワンマン車は全編成が玉川上水車両基地所属で、多摩川線用車が白糸台車両基地配置となっている。2007年度にE31形電気機関車の老朽化による廃車に伴う代替の牽引車として、2両編成の279編成に255編成のモハ255,256を組み込んだ4両全電動車の263編成が組成された。車両番号の推移は後述の#新101系4両編成を参照のこと。当初機関車の置換えには2両編成を改造する計画があったが、実際には4連の同編成が登場した。同編成には牽引車としての独自の装備が搭載されている。内容は以下の通り。また前述のワンマン対応工事およびリニューアル工事も施工されており、牽引車運用時以外は多摩湖線で他のワンマン対応車と共通運用される。2006年9月に247編成にユネスコ村大恐竜探検館(現在は閉鎖)をPRした恐竜のラッピングが、2007年には245編成に西武ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)のラッピングが施された事がある。また、前述のように多摩川線用車には小学生が描いたイラストがラッピングされている。西武秩父線の開通40周年記念企画の一環として2009年3月に多摩湖線用の261編成が新造当時のツートンカラー・前面窓周りベージュとなって運用を開始し、同年6月には池袋線所属の271編成にもこの塗装が施され6月7日に開催された「西武・電車フェスタ2009 in 武蔵丘車両検修場」で初公開されたのちに同月中旬から運用に投入された。新製後は旧101系同様に池袋線系統に集中配置されたが、その後の新宿線系統への転配により西武有楽町線・新交通システムの山口線を除く各線で各駅停車から快速急行までフルに運用されてきた。しかしながら老朽化による廃車も進んだ事で年々運用本数は減り、運用区間も変化してきている。なお編成は最大10両までなら2・4・8両で様々な組み合わせが可能で、旧101系との併結も可能であった。なお、2012年12月をもって非ワンマン車の運用が終了したことにより、下記に示すワンマン車の運用範囲以外の区間からは撤退した。池袋 - 飯能間飯能 - 西武秩父間秩父鉄道乗り入れ豊島線狭山線新宿線、拝島線国分寺線西武園線1998年11月のワンマン運転開始以後は国分寺 - 西武遊園地間の全線でワンマン運転対応編成により運用されている。なお多摩川線用の各編成はそれぞれ本線側に戻った際に多摩湖線用車と共通で運用についている。初入線時期は247編成が2010年12月、249編成が2011年9月、251編成が2011年8月、253編成が2011年10月である。旧101系の置換え用として、2010年3月からワンマン改造施工車両が投入された。初入線時期は247編成が3月、249編成が6月、251編成が9月、253編成が12月である。なお11月には259編成が入線している。247 - 253の各編成はそれぞれ武蔵境駅で作品が選ばれた児童らを招いての出発式が行われた。これらの編成は、2014年度まで運行される予定である。同線では、2010年から2011年にかけて以下の通り車両の入替えを行っている。2012年3月1日現在における在籍車両。(計70両)全車小手指車両基地所属247 - 253・257 - 263編成の8本は玉川上水車両基地所属。他は南入曽車両基地所属。新101系・301系は、2004年度の2両編成1本を皮切りに廃車・他社譲渡が開始されている。2004年度2005年度2007年度2008年度2010年度2011年度2012年度流鉄(旧・総武流山電鉄)上信電鉄秩父鉄道伊豆箱根鉄道三岐鉄道近江鉄道クハ1150クハ1224
出典:wikipedia
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