スティーヴン・フランク・アルビニ(Steven Frank Albini、1962年7月22日 - )は、アメリカ合衆国のレコーディング・エンジニアおよびミュージシャンである。シカゴを中心としたアメリカ中西部を拠点に、1980年代後期以降のオルタナティヴ・ロック/アンダーグラウンド・ロックシーンを代表する名エンジニアとして活躍している。レコーディング・エンジニアとして活動する一方でビッグ・ブラック(1982年 - 1987年)やレイプマン(1987年 - 1989年)というバンドのギタリストおよびボーカルを務め、現在はシェラック(1992年 - )で活動を行っている。1962年にカリフォルニア州パサデナに生まれる。1974年にモンタナ州ミズーラに定住するまでアルビニ一家は引越しを繰り返した。中学時代の修学旅行中に友人からパンク音楽を紹介され、その友人からラモーンズのレコードを借りるなどして徐々にのめり込んでいく。高校時代からベースギターを演奏し始め、ザ・ストゥージズ、テレヴィジョン、スーサイド、ワイヤー、ザ・フォール、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、スロッビング・グリッスル、クラフトワーク、パブリック・イメージ・リミテッド、キリング・ジョークといった様々なバンドの音楽に親しむようになる。高校卒業後はノースウェスタン大学に進学するためイリノイ州のエバンストンに移り住み、大学でジャーナリズムの学位を取得した。在学中にバンドのファンジンのライターとしても活動していた。大学在学中の1982年、アルビニはビッグ・ブラックのメンバーとしてEP『Lungs』でレコードデビューを果たす。ビッグ・ブラックではパブリック・イメージ・リミテッド、ワイヤー、ギャング・オブ・フォー、キリング・ジョーク等の影響のもと、ドラムマシンを用いて独特なパンクサウンドを作り上げた。ビッグ・ブラックは計2枚のスタジオ・アルバムと計4枚のEPを遺した後、1987年に解散した。1987年にアルビニは元スクラッチ・アシッドのメンバーらと共に次のバンド、その名もレイプマンを結成した。ちなみにレイプマンというバンド名は、日本の漫画家みやわき心太郎の同名作品『THE レイプマン』から採られている。また、レイプマンがソニック・ユースと対バンした際、『Kim Gordon's Panties』(キム・ゴードンはソニック・ユースのベーシスト。リーダーであるサーストン・ムーアの妻)という曲を演奏し、サーストンから殴られたというエピソードがある。そのバンド名に人権団体などから非難の声が相次ぎ、アルバムは1枚しかリリースできず、デビューから1年ほどで解散に追い込まれる。1992年にはシェラックを結成。シェラックは現在まで活動を継続しており、5枚のスタジオ・アルバムを発表している。2014年9月に7年ぶりのアルバム『Dude Incredible』をリリースした。エンジニアとしてはニルヴァーナの『イン・ユーテロ』、ピクシーズの『サーファー・ローザ』を始めとして、スーパーチャンク、モグワイ、スリント、ドン・キャバレロ、ヘルメット、PJ ハーヴェイ、マニック・ストリート・プリーチャーズ、メルト・バナナ、ニーナ・ナスターシャ、BORIS、THE SLUT BANKSなど国内外を問わず多数のアーティストの作品にエンジニアとして参加している。2004年にアルビニは約1,500枚のアルバムに参加したと発言した。2007年にはイギー&ストゥージズの34年振りのアルバムをプロデュースした。アルビニは自身が「音楽プロデューサー」と呼ばれることを嫌っており、またアルバムのスリーヴノートに自身の名前はクレジットされない方がいいとコメントしている。シカゴにエレクトリカル・オーディオというレコーディング・スタジオを所有しており、本人だけでなく彼のアシスタントであるグレッグ・ノーマンもエンジニアとして活動するときに使用している(グレッグはドン・キャバレロ、サムネイル、90 DAY MEN、ART-SCHOOLの作品を手がけている)。1992年3月にレコーディング・エンジニアを務めたZENI GEVAとの共演で初来日。1993年11月にシェラックとして、自身のバンドにおいて初めての来日公演を行った。
出典:wikipedia
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