瀬戸 春樹(せと はるき、1978年3月14日 - )は富山県出身の元サッカー選手、現在はサッカークラブコーチ。現役時代のポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー。水橋高校ではフォワードとして活躍。同期の富山第一高校の柳沢敦とは全国高校サッカー選手権富山県大会の決勝でも対戦している。1年生の時から3年生までレギュラーとして国体に3回出場。高校卒業後、横浜フリューゲルスへ入団し、豊富な運動量を評価されボランチへとコンバートされた。1998年にはシドニーオリンピック代表候補にも選ばれた。フリューゲルス吸収合併後の横浜F・マリノスには加入せず、当時J2所属だったアルビレックス新潟へ移籍し、J1を目指すチームで奮闘。2000年、より高いレベルでのプレーを望み大分トリニータに完全移籍。2001年より岡田武史監督の目にとまりコンサドーレ札幌にレンタル移籍、稲本潤一選手がアーセナルに移籍、そのポジションの補強でガンバ大阪に移籍。大分に復帰した2002年には数多くのポジションをこなしJ1昇格に大きく貢献した。その年、CM、時代劇、グラビアなどで活躍したタレントの日置由香と結婚。2004年のJOMOオールスターサッカーにも出場した。2005年イビチャオシム監督率いるジェフユナイテッド市原・千葉チーム初のナビスコカップ優勝を果たした、2006年恩師石崎信弘監督の下柏レイソルにレンタル移籍、レギュラーをつかむも怪我で半年間プレー出来ず2007年には故郷のチームであるYKK APに所属し、地元のチューリップテレビと契約、富山県からJリーグを目指しサッカー教室(スポ天)PASSIONで地元のサッカーを盛り上げた。ところが、楚輪博監督とサッカーの戦術で衝突。3年契約の1年で移籍を決意。自らシンガポールでトライアウトを受け外国人枠を勝ち取り、2008年からはシンガポールのバレスティア・カルサに移籍するなど、常に上を目指す発展途上のチームを支え続けた。バレスティア・カルサでは加入1年目ながらキャプテンを務めた。シンガポールの中でもACL,AFCに出場を目指し2009年よりゲイラン・ユナイテッドFCに移籍、リーグ戦、カップ戦全てに出場。シンガポールカップ優勝に大きく貢献、またその年シンガポールの外国人選抜にも選ばれ実力を高く評価され、2010年インドネシアスーパーリーガ・強豪ペルシワ、ワメナからのオファーを断り自分の最後の目標であるアメリカ・メジャーリーグサッカーに挑戦。プレシーズンまで参加するも契約に至らず現役引退を決意。現在西東京市田無にあるスポーツシーン、レナトにコーチとして所属スクール、ジュニアユースの監督をしている。60||0||15||1||6||0||81||187||7||4||0||9||2||100||96||0||colspan="2"|-||0||0||6||030||3||6||0||1||0||37||3224||15||37||1||19||2||303||19
出典:wikipedia
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