日本キックボクシング連盟ここでは、1984年11月30日に石川勝将・伊原・せんば・渡辺・平戸・山木の各ジムらが旗揚げした組織と、マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟と、伊原・せんば・渡辺・平戸ジムらが運営し現在まで存続する組織を、別の団体として、分けて記述する。日本キックボクシング連盟は、日本のキックボクシング団体の一つ。統一王座・ランキング認定組織NKB(日本キックボクシング)の一員。キックボクシング界で唯一、「倒すか、倒されるか」を団体のテーマに掲げた過激な団体。ここでは、旗揚げ年を何時とするかは特定しない。連盟の最高位は代表理事ということにし、本体制への移行当初はせんばジム会長戸高今朝明が代表理事を務めた。しかし、せんばジムは、山木が中心の日本ムエタイ連盟の設立(1987年5月)に参加するため離脱。以降は今日まで渡辺ジム会長の渡辺信久が20年以上にわたり代表理事を務めてきた。渡辺ジム・伊原道場(伊原信一会長)などにより、興行が続けられてきたが、伊原道場は1990年代後半に離脱し、日本キックボクシング協会(現・新日本キックボクシング協会)を設立した。渡辺ジムの玄関にはキャッチフレーズとして「ケンカ教えます」とだけ書かれている。この連盟は、良くも悪くも話題性皆無であり、売り物になるものが選手自らの身体をおいてほかにない。そこで過激性を売りにして独自の路線を歩むようになる。また他団体とルールも異なる(他団体では3回戦では肘が禁止だが、当連盟では使ってよい)。下記の関西キックボクシング連盟のほか、日本プロキックボクシング連盟(せんばジム)、西日本キックといった限定的な勢力とだけ交流し、メジャー団体との交流は絶無であったのも災いした。話題不在、スター不在、テレビ不在、お客不在。人気・マスコミからの注目等は、当団体には全くあてられることなく、苦難の日々を歩んだ(要は陽の当たらないマイナー団体扱いされてきた)。しかし関西キック界との提携(ガルーダ・テツの参戦)、加えて、CS放送サムライTVが当連盟の運命を変えた。同局に当時勤務していた平山陽がプランニングしたのは以下の点であり、実行に移されて大成功した。連盟唯一のスター選手小野瀬邦英のタレント化、入場を派手にし、先導までつけた(同局への出演が多かった桜井悠美子をマスコットガールに起用)。同局の試合実況番組のバラエティ番組化。小野瀬と桜井の「小野瀬の部屋」はカルトなブームを巻き起こした。2000年、ニュージャパンキックボクシング連盟との対抗戦(トップ・オブ・ウェルター・リーグ)。2001年に日本キックボクシング(NKB)を設立し、自ら傘下団体となる。現在、主要選手は、武笠則康、山田大輔、阿久澤英一等。2月、4月、6月、10月、12月と定期的に後楽園ホールで大会が開催されている。平山は独立しメディア開発プロデューサーとなったが、大会演出を任されており、当初はマスコットガール・岡田ひとみや連盟オフィシャルナビゲーター・塩野潤二等を起用し独特の盛り上がりを見せた。2010年よりマスコットガールはミスフラッシュグランプリの柳本絵美がオーディションで選ばれた。リングサイドレポートは元ジャイアンツのマスコットガールであった若菜奈津美。塩野潤二に続きナビゲーターになった塩野勝美は東映の作品に出演する声優。
出典:wikipedia
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