『スペースウォー!』()は、宇宙戦争をモチーフとした対戦型コンピューターゲームで、世界初のシューティングゲームとされている。1962年、当時マサチューセッツ工科大学(MIT)の学生であったスティーブ・ラッセル(Steve Russell, 1937年 - )を中心に、DEC社のミニコンPDP-1上で稼動するデモンストレーションプログラムとして開発された。また宇宙船の型から「wedge(くさび)とneedle(ミシン針)」とも呼ばれる。1961年夏、DECからMITのコンピュータ室にPDP-1が贈られた。学内関係者達はPDP-1を熱心にいじり倒し、こうした人々が、ハッカーの元祖となっていった。MITのあるマサチューセッツ州の隣、コネチカット州で生まれたラッセルは、ダートマス校から転校して来た時点で既にコンピュータマニアだった。1961年頃からMITで活動していた「テック模型鉄道クラブ」(TMRC)に入会したが、ここは名前通り元々鉄道模型のサークルだったものの、この時にはコンピュータマニアの集団と化していた。ラッセルは年次科学セミナーの為、E・E・スミスのSF小説『レンズマン』と『宇宙のスカイラーク』、そしてマービン・ミンスキーの作ったプログラム『Three Position Display』(『Minskytron』とも呼ばれた)にヒントを得て、『スペースウォー!』を作った。最初は宇宙船とミサイル以外何も無かったが、仲間達がフィーチャー(ゲームのルールや演出)を付け加え、1962年5月のセミナーで公開されたバージョンがオリジナルとされている。モーリス・ウィルクスによれば真剣な目的は外界からの刺激に対するコンピュータの反応をプログラミングすることにあったとされ、ジョン・マッカーシーはゲームに興じる人々を見て、ウィルクスに「衝撃に満ちたしかめっ面」を示した、という。大評判となった『スペースウォー!』の権利はパブリックドメインソフトウェアとして「コピー・改造自由」とした。プログラムが書かれた鑽孔紙テープはPDP-1のすぐ隣にあり、勝手に持ち出し可能だったので、全米に約50ヶ所あったPDP-1に広がった。各地でミサイル・太陽・ダメージ・複数戦闘などに独自の改造が行われた。最後にはDEC社がPDP-1を売る際、サービスとして『スペースウォー!』の鑽孔紙テープを一緒につけた程である。2006年において判明しているPDP-1版『スペースウォー!』の稼働状況を以下に記す。ケン・トンプソンによるUNIX開発の動機の一つといわれる、『』とは全く別のゲームである。
出典:wikipedia
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