前身は官立の旧制専門学校「東京美術学校」と「東京音楽学校」であり、日本で最も歴史ある芸術分野の最高学府である。1949年(昭和24年)5月、国立学校設置法(昭和24年法律第150号)の公布施行に伴い、「東京美術学校」と「東京音楽学校」が統合され、新制「東京芸術大学」(東京藝術大学とも表記)として設立された。2004年(平成16年)4月1日に国立大学法人法の制定および国立学校設置法の廃止により、これまで国の機関の一部であった大学は法人格を取得して「国立大学法人東京芸術大学」となり、同時に東京芸術大学を設置。日本国内では現在に至るまで一般的に「芸大」の呼称で社会的に認知され、通用している。1876年(明治9年)、工部大学校付属「工部美術学校」が設立され、お雇い外国人によるヨーロッパ式の教育が行われたが1883年(明治16年)に廃止された。その後、1885年(明治18年)に文部省の図画調査会において官立美術学校の設立が提案され、アーネスト・フェノロサ、岡倉天心、狩野芳崖等が中心となって「図画取調掛」が設立される。その後1887年(明治20年)10月4日に「東京美術学校」と改称、1889年(明治22年)2月に現在の上野校地(旧教育博物館跡)に移転し授業を開始した。当初は日本画、木彫、工芸の三科で、後に西洋画科、建築科などが設置された。「東京藝術大学」開学の2年後(1952年(昭和27年))に閉校。1878年(明治11年)伊沢修二は、目賀田種太郎と連名で音楽教育の意見書を文部大臣に提出。1879年(明治12年)、文部省に伊沢修二を御用掛とする音楽取調掛が設立され、日本の音楽教育に関する諸調査等を目的とした。翌年以降、東京師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)生や東京女子師範学校附属幼稚園(現・お茶の水女子大学附属幼稚園)生への音楽教育を行う教員の育成を行い、音楽専門教育機関の役割を果たすようになった。その後数回の名称変更を経て、1887年(明治20年)10月4日に「東京音楽学校」と改称される。1890年5月12日には新校舎(現在の旧東京音楽学校奏楽堂が含まれていた校舎)が現在の奏楽堂の位置に落成された。また1893年(明治26年)に、一時東京高等師範学校(東京教育大学を経た、現在の筑波大学)の附属学校となったが1899年(明治32年)に独立。数回に渡る機構改革を経て「東京藝術大学」開学の2年後(1952年(昭和27年))に閉校した。東京芸術大学の徽章は,1950年(昭和25年)に制定されたもので、アカンサス (acanthus spinosus) の葉の輪郭を模様化した中に、「芸大」の二字を収めたものである。学校名について、文部科学省に届け出ている法的な正式名称は東京術大学である。この記事では法的な正式名称である東京芸術大学としているが、大学側では届け出以前から使用していた旧字体のも通称として使用している。2008年(平成20年)4月1日から、英語表記をそれまでの から、 に変更した。実技の科の試験にあっては実技試験を最も重視する。受験者倍率は、科により毎年数十倍に達する。これまでに国内外で活躍する芸術家、演奏家、作曲家、研究者、教育者を数多く輩出している。美術学部(絵画科、デザイン科、彫刻科、工芸科、建築科、先端芸術表現科、芸術学科)と、音楽学部(作曲科、指揮科、声楽科、器楽科、邦楽科、楽理科、音楽環境創造科)の2学部14学科から成り、大学院に美術研究科、音楽研究科、映像研究科が置かれている。従来は「美術」と「音楽」の二学部のみであったが、映像芸術(映画・アニメーション)・舞台芸術(演劇・舞踊)までを包括した総合芸術大学への改革を進めている。2005年4月より大学院に映像研究科が設置された。美術学部には、「東京藝術大学の講座に関する規則」によると、講座には、日本画、油画、彫刻、工芸、デザイン、建築、芸術学、インターメディアアートがある。いずれも博士講座。「東京藝術大学の講座に関する規則」によると、音楽学部の講座には、作曲、声楽、鍵盤楽器、弦管打楽器、古楽、指揮、邦楽、音楽学、音楽環境創造、言語芸術(共通講座)がある。いずれも博士講座。この他に早期音楽教育を目標に掲げた以下の教育プログラムが2014年より順次開始されている。美術研究科には「東京藝術大学の講座に関する規則」によると、講座として、保存修復、保存科学がある。いずれも博士講座。このほか、美術学部の項で列挙した講座も教育・研究に当たる。音楽研究科「東京藝術大学の講座に関する規則」によると、講座は、映像メディア学のみ。博士講座である。学部を持たない独立した大学院である。修士課程と博士課程が置かれており、2005年に設置された映画専攻を始め、メディア映像専攻、博士課程の設置を経て、2008年にはアニメーション専攻が設置された。1951年に設置された、音楽に関する技能を教授する2年制のコースである。個人指導による授業が展開されている。美術学部(絵画専攻)に属し、絵画の材料と技術の側面から、実技・講義・演習を通して油画の定義、成立と発展についての教育や研究を行う。ゼミの内容は学生の制作および発表、フラ・アンジェリコなどの模写実習によるテンペラ画の考察、支持体、地塗り、絵具の自家製法、写真、デジタル撮影など。2008年現在、佐藤一郎が指導しており、佐藤の訳書『マックス・デルナー:絵画技術体系』の講読・実習を行っている。明治期の油画の材料・絵画技術の実態を知るために、大学資料館に所蔵される全作品を調査し出版、また明治後期、西洋画科が設立された当時の教官と学生作品について油画保存修復研究室(1994年設立)との共同調査も出版されている。大きく分けて上野、取手、横浜、千住の四つのキャンパスが存在する。東京都台東区上野公園()上野キャンパスは土地が道路を挟んで2つに分かれており、北側には音楽学部、南側には美術学部の建物が存在する。1号館から5号館、練習ホール館、奏楽堂、赤レンガ1,2号館、大学会館、事務局・保健管理センター、社会連携センター、音楽学部附属音楽高等学校、不忍荘、車庫、テニスコートが立ち並ぶ。中央棟、絵画・彫刻・金工の各棟、A - Cの3つの総合工房棟、附属図書館、大学美術館、大学美術館(旧館)、正木記念館、陳列館、藝大アートプラザが立ち並ぶ。茨城県取手市()取手キャンパスでは、美術学部先端芸術表現科の全学年と、絵画・彫刻・工芸・デザイン・建築の各科の1年次の授業を行う。その他、美術学部共通工房棟、美術学部専門教育棟、メディア教育棟、美術学部登窯、野外制作場、福利施設、短期宿泊施設、大学美術館取手館、守衛所が置かれている。 また、メディア教育棟内には附属図書館取手分室、芸術情報センター取手分室が設置されている。神奈川県横浜市中区()馬車道校舎、万国橋校舎、新港校舎の3つの校舎が存在し、歴史的建造物である旧富士銀行横浜支店の建物に大学院映像研究科が置かれている。馬車道校舎では映画専攻、新港校舎ではメディア映像専攻、万国橋校舎ではアニメーション専攻がそれぞれ設置されている。東京都足立区 ()大学院音楽研究科音楽文化学専攻の一部と、音楽学部音楽環境創造科が置かれている。なお、このキャンパスは2006年9月に開設された。東京都練馬区石神井寮(学生寮)が置かれている。東京都文京区外国人教師宿舎が置かれている。奈良県奈良市附属古美術研究施設が置かれている。栃木県那須郡那須町那須高原研修施設が置かれている。千葉県松戸市国際交流会館が置かれている。奈良、京都を中心に存在する飛鳥以降の各時代の建築物、絵画、彫刻、工芸品等の日本古来の優れた作品の研究を行っている。主に美術研究旅行や、教職員・学生の古美術研究、および実習に利用される。なお、この施設は奈良県奈良市登大路に設置されている。写真を中心とした視覚芸術に関する研究の増大を目的に開設された。開設授業として、写真表現演習II、写真概論、現代写真論があり、そのほかに集中講義も実施している。2006年秋、千住キャンパスが開校した際に設置された。足立区をはじめとする学外との連携企画について、その立案、調整、実施を担う。開架閲覧室、試聴室、音響研究室、小泉文夫記念資料室からなる。開架閲覧室は、音楽の専門書、参考図書をはじめ、楽譜、マイクロフィルム、レコードなどを所蔵し、レポートや卒業論文、博士論文などの作成、または個人の研究に利用できる音楽学部の学生・教員の研究施設である。試聴室は、個人の研究のためにテープやレコードを聴く施設である。音響研究室は、室内音響や電子音響の研究、録音・録画方法の研究、楽器や音声の音色・ピッチに関する研究などを行う施設である。録音室、音響実験室、楽器研究室、AV実習室、内外の音響学会誌を揃えたゼミ室が付設されている。小泉文夫記念資料室は、音楽民族学の研究資料を整理保管、研究する施設である。資料の大半は、小泉文夫教授が世界数十か国の現地調査で収集したもので、諸民族の楽器700余点をはじめ、書籍、楽譜、録音録画資料を観覧、閲覧できる。附属図書館は、1949年5月、東京藝術大学が発足したときに、東京美術学校文庫と東京音楽学校図書課の蔵書を統合することで始まったものである。46万点の蔵書のうち8割近くは、芸術関係の資料である。同附属図書館は美術学部内に設けられている。東京藝術大学大学美術館は1996年に完成した。現在の収蔵品は2万8000件近くに達している。一階には学生食堂である大浦食堂が、地下には絵画材料を小規模に販売している「画翠芸大店」がある。尚、昭和6年3月に東京美術学校敷地内に開設した売店は現有限会社レモン(レモン画翠)の流れにある。社会連携活動の総合窓口として2007年設置。国際化社会の中で日本が戦略的文化外交を展開するための事業や、技術開発力と文化外交力を身につけた人材育成を遂行することを目的として、2013-2018年の期間限定で「アートイノベーションセンター」を設置している。昭和50年4月学内共同教育研究施設として設置が認められたもので、主に正しい発声、発音の授業を開設している。新しい総合的な舞台芸術作品の創造を行うことを目的として、美術学部・音楽学部の枠を超えた教育研究を行う場を創っている。演奏芸術センターが運営。1984年に解体、移築された旧東京音楽学校奏楽堂の跡地に新たに建築された。地上5階、地下2階のホールでフランスのガルニエ製オルガンが設置されている。座席数は最大で、1,140席。学内共同利用施設としてセンターの芸術情報システムを整備運用し、研究、教育および事務処理等の利用に供すると同時にキャンパスネットワークの適切かつ効率的な管理運用を行い、東京藝術大学における情報化を推進している。 東京藝術大学が企画開発した作品や、同大学の教員等が創作した作品等の教育研究成果を、社会に対して積極的に発信するとともに、文化芸術を身近なものにして、心豊かな生活や活力ある社会の実現に寄与することを目的として2005年に設置された。東京芸術大学の学生および教職員の保健管理に関する専門的な業務を行い、学生および教職員の心身の健康の保持増進を図ることを目的として、運営されている。留学生の奨学・生活指導に関する業務を行う施設である。学生および教職員の福利厚生を図るための総合施設である。一階にはキャッスル食堂が設けられている。 主に保健体育科目の教育・研究および同大本学の行事に利用するほか、学生の課外活動等に利用されている。東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校正門から道路を挟んだ向かい側から右に、約50メートルに位置する。東京藝術大学および音楽学部附属音楽高等学校の学生・生徒および教職員の教育・研修および課外活動のために使用することを目的として設置されたものである。東京芸術大学の教員、学生、職員が取手校地における正課および課外活動、その他の教育活動を遂行するため、短期の宿泊に利用することを目的として取手キャンパス内に設置された宿泊施設である。外国人の留学生・研究者に居住の場を提供し、あわせて教育研究上の国際交流に寄与することを目的として、設置された。同大学学生、同大学院生のために1975年に竣工したものである。なお、同大学音楽学部附属音楽高等学校生徒の入寮は出来ない。3階部分の一部を美術研究科の研究室が使用している。学生が主体となり、町中アート大学とコジマラジオが運営されている。「藝術祭」、通称「藝祭」と呼ばれ、毎年9月に3日間にわたって催されている。上野公園内を練り歩く神輿や地元アメ横商店街をサンバ隊で練り歩くのが有名である。取手校地と千住校地における最大の展覧会・成果発表。毎年12月に催される。「取手アートパス」では絵画科油画専攻と先端芸術表現科が、「千住アートパス」では音楽環境創造科が主催、企画運営している。文化、体育会系の2つのサークルの他、同好会も置かれている。2003年に創設され、東京藝術大学音楽学部と大学院に在籍する弦楽器の精鋭、25名が中心となって、様々な活動を行なう室内オーケストラである。東京藝術大学に所属するプロフェッショナル・オーケストラであり、オーケストラ演奏を専門とする研究部員によって組織されている。主な活動としては毎年春と秋に開かれる定期演奏会、声楽家との合唱付オーケストラ作品の演奏、オペラ研究部との共演、年度始めの新卒業生(各科最優秀者)紹介演奏がある。その他、年末には恒例のメサイア演奏会、第九公演などを行っている。教育面では、器楽科、声楽科学生との協奏曲等の共演および作曲家学生の作品演奏(モーニングコンサート)、指揮科学生による演奏会、試験・演習など、学生の演奏経験の拡充に資している。さらに各地の音楽文化向上のための出張演奏も行っている。このオーケストラの前身である旧東京音楽学校管弦楽団は、日本初の本格的なオーケストラであり、現在ではポピュラーに演奏されている、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」・第9番「合唱付き」、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」などを本邦初演し、日本の音楽界の礎石としての活動を果たしてきた。音楽学部と美術学部とで別々に分かれている。
出典:wikipedia
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