山梨交通モハ7形電車(やまなしこうつうモハ7がたでんしゃ)は、山梨交通が1948年(昭和23年)に新製した電車(制御電動車)である。後年山梨交通電車線の廃止に伴い上田丸子電鉄(後の上田交通)へ譲渡されてモハ2340形として運用されたのち、同社丸子線の廃止に伴って江ノ島鎌倉観光(現・江ノ島電鉄)へ再び譲渡され、800形として導入された。1948年(昭和23年)に汽車製造会社東京支店で7・8の2両が製造された2軸ボギー車。性能は同社が開業時に製造したモハ1形に準じ、主電動機は出力50PSの東洋電機製造TDK-525-2を4基装備する。車体はモハ1形に比べやや長い全長13.8mの半鋼製車体で、側面両端に乗務員用扉を設け、その隣に片開き扉があり、扉間には12枚の上段固定下段上昇窓を配していた。ヘッドライトは着脱式で、前面窓のすぐ下に取りつける方式だった。塗色は山梨交通標準色の赤っぽいオレンジ一色で、前面下部にロックフェンダー式の救助網を、乗降口には路面からの乗車のための折りたたみ式ステップを設置していた。廃止まで使用され、廃止翌年の1963年に上田丸子電鉄に譲渡された。上田丸子電鉄ではモハ2341・2342として使用。救助網は撤去され、集電装置をビューゲルからパンタグラフに換装したほか、着脱式だったヘッドライトを固定式とし屋根上に1灯を設置している。また、ステップも車体とホームの隙間を埋める小型の物に換装された。塗色は上がクリーム、下が濃紺の上田丸子電鉄標準色だった。1971年(昭和46年)6月、片運転台化の上2両連結とした801-802の2両編成1本(2両)が登場、600形と並び、輸送力増強のための大型車として期待された。ただし、就役当初は扉が両端に寄った2扉のため乗降に手間どり列車遅延の元凶になったため、会社と乗客の両方から嫌われ運用に入ることは稀だった。元々山岳線向け車両であったため江ノ電内では出力過多であり、そのため1両あたり4台あった主電動機(モーター)を2台外して就役させた。また、この800形は山梨県、長野県と寒冷地を走行していた関係で暖房器を装備しており、江ノ電初の暖房付き車両となった。また、ヘッドライトは上田丸子時代の屋根上1灯から前面下部の尾灯のすぐ上に左右1灯ずつに変更され、尾灯も丸い外付けタイプから角形に交換されている。塗色は日中合作映画「未完の対局」撮影のため幕板と下回りが青、窓周りが黄色の「青電」塗装となった後、1984年(昭和59年)に下が茶色、上がクリームのツートンカラーになり、「チョコ電」の愛称で親しまれた。1974年(昭和49年)に藤沢駅高架化工事が行われると、勾配対策として外してあった主電動機が元に戻され、翌1975年(昭和50年)には大型車体を生かすため3扉化改造されたことでようやく常時運用されるようになり、以後は輸送力の大きい連結車として重宝された。3扉化改造直後は両端の2つの扉は木製のままだったが、後にプレス鋼製に交換されている。しかし狭い運転室と、車体の大きい連結車であるが故に重連運転ができなかったこと、そして戦後混乱期に落成した車両ゆえに電気機器の劣化が他の車両よりも激しかったことも重なり、1000形1501編成の登場と入れ替わりに除籍された。廃車後、801は山梨県南巨摩郡富士川町利根川公園に、802は静岡県裾野市十里木高原別荘地内に、それぞれ静態保存され現存する。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。