森脇 浩司(もりわき ひろし、1960年8月6日 - )は、兵庫県西脇市出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者、監督、野球解説者。実兄の忠之は、かつて兵庫県立社高等学校の野球部で監督を務めていた。1996年に福岡ダイエーホークスで現役を引退してからは、同球団でコーチや二軍監督、後継球団の福岡ソフトバンクホークスでコーチや一軍監督代行、讀賣ジャイアンツで二軍コーチを歴任。2012年にチーフ野手兼内野守備走塁コーチとして入団したオリックス・バファローズでは、一軍監督代行を経て、2013年から2015年8月31日まで一軍監督を務めた。2015年9月1日から2016年10月31日までは、オリックスのシニアアドバイザー(SA)として活動中。1978年のドラフト2位で近鉄バファローズに入団。に加藤英司・大原徹也との2対2の交換トレードで福井保夫とともに広島東洋カープに移籍。その後、シーズン途中に永田利則とともに西山秀二(+金銭)との交換トレードで南海ホークスに移籍。当時、南海の遊撃手のポジションでは小川史、中尾明生、湯上谷宏、坂口千仙など何人もの似たタイプの選手がレギュラー争いをしており、遊撃・二塁に加えて香川伸行のコンバートが芳しくなかった三塁を守るなど、安定した守備力でユーティリティプレイヤーとして活躍した。1990年頃から藤本博史・湯上谷・小川との4人(4人とも名前読みが『ひろし』)で内野を守ることが度々あった。に松永浩美の入団で出場機会が減り、限りで現役を引退した。彫りの深い端正な顔立ちで、広島二軍時代から一部で非常に人気が高かった。「球界の草刈正雄」と呼ばれ、漫画家の真柴ひろみは、自作の登場人物に「森脇浩司」と名付けたこともある。現役時代の応援コールには「森脇、森脇、男前!」というものもあった。ホークスの監督代行を務めていた時期にメディアへの露出が増えたことから、再びそのマスクが注目を集めている。からはホークスの内野守備・走塁コーチ(からは二軍コーチ、から、からは一軍内野守備・走塁コーチ(2006年はチーフコーチ兼任)、からは二軍監督兼内野守備・走塁コーチ)を務めた。ノックの技術は球界屈指とされ、当時の王貞治監督も「ノックだけで飯が食える」と評している。あるテレビ番組のコーナーで「ここ(通常の右打席)から打って三塁線のフェアーの打球を3バウンドさせ外野フェンスの○△×□社の広告の“×”の文字に当てて下さい」と注文された森脇は、いとも簡単に言われた通りのノックを披露してみせた。のシーズン開幕前に王貞治監督がWBC代表監督としてチームを離れていた間、監督代行としてオープン戦の指揮を執り、7月6日からは王監督の胃癌手術に伴う休養のため、ソフトバンクの監督代行を務めた。リーグ優勝を逃したことについて、「残念」「罪の意識すらある」と語った。あくまでも肩書は監督代行(チーフコーチ)兼内野守備・走塁コーチであったため、王監督休養後も攻撃時には三塁コーチボックスに立ち指揮していた。南海ホークスの選手だったこともあり、森脇が審判に抗議している時などは、南海時代の応援歌などが演奏されていた。、は秋山幸二の総合コーチ就任に伴い内野守備走塁コーチに専念。は監督に昇格した秋山の下でヘッド兼内野守備・走塁コーチを務めたが、11月24日に「組織の活性化」を理由に大石大二郎と入れ替わる形で解任された。秋季キャンプでも指導し、秋山とも翌シーズンの話をしていたさなかの解任に対し、森脇は「今回の例は自分で最後にしてもらいたい」と発言した。からはJ SPORTS、NHK福岡放送局(本数契約)、アール・エフ・ラジオ日本(本数契約)の野球解説者を務め、2月8日からソフトバンクの編成アドバイザーとして契約を結んだ。は読売ジャイアンツの二軍内野守備・走塁コーチに就任したが、1年限りで退団。からはオリックス・バファローズのチーフ野手兼内野守備・走塁コーチを務める。チームの最下位確定後の9月25日、監督の岡田彰布の休養に伴い、同日から10月8日の最終戦まで監督代行として9試合指揮を執り、7勝2敗の成績を残した。10月8日、オリックス新監督就任を発表。二軍監督ならびに一軍の監督代行として指揮を執ったことはあっても、正式に一軍の監督となるのは初めて。同日のソフトバンクとのシーズン最終戦(ヤフードーム)後に監督就任の記者会見を行った。会見の席では「悔しい思いを二度と味わわない。そして何よりもファンの方にも味わす訳にはいかないという気持ちを一つに纏め、プロフェッショナルな意識を持っていきたい」と意気込みを語った。2013年7月28日の対西武戦で李大浩の空振り三振をめぐる抗議で球審西本欣司への暴力行為で李と共に退場処分となった(李は侮辱行為)。森脇は初の退場処分、監督代行はヘッドコーチの福良淳一が務めた。この年は5位に終わる。には、シーズンの開幕から上位を走ると、前半戦を首位でターン。8月24日には、監督としての契約を2016年のシーズン終了まで延長することで合意に達したことが、球団から発表された。公式戦では、終盤にソフトバンクに逆転されて優勝を逃すも、首位とゲーム差なしの2位で終了。チームとしては2008年以来6年振りにクライマックスシリーズへ進出したが、ファーストステージ1勝2敗でシーズン3位の日本ハムに敗れた。には、トニ・ブランコや中島裕之などの獲得による大型補強でシーズンに臨んだが、開幕から4連敗を喫した。さらに、大型補強で獲得した選手や、投打の主力選手に故障や不振が相次いだ影響で最下位に低迷。19勝34敗1分けで迎えた開幕54試合目の対広島戦(5月31日)に敗れたことで、自力でのリーグ優勝の可能性が消滅した。6月2日には、成績不振を理由に休養することや、福良が監督代行に就任することが球団から発表された。8月31日付で監督職を正式に退任。翌9月1日付で、仰木彬・中村勝広に次ぐ球団史上3人目のシニアアドバイザー(SA)に就任した。SAへの就任後は、チーム編成・運営に関するアドバイスを球団のフロントへ伝えるかたわら、野球評論家として活動することもあった。福良が一軍監督へ正式に就任したに、10月31日付でSAとしての任期を満了することから、同職を退任する予定。広島時代のチームメイトだった津田恒実とは無二の親友であった。津田が脳腫瘍に冒されて現役を引退し、晩年に福岡市内の病院で闘病生活に当たっていた時には、積極的に周辺の世話を行っていた。津田に対して「俺の年俸を半分にしてでも、お前を現役復帰できるように球団に掛け合ってやる」と言っていたほどである。また、1993年にダイエー球団職員の女性と結婚し披露宴を挙げた際には、他界した津田の席も用意してキャンドルサービスを行った。2000年に放送された、津田の生涯を綴ったドラマ「最後のストライク」でも親友役として登場し、森脇役を石黒賢が演じた。非常に研究熱心で野球の知識が豊富な人物であり、野村克也からは当時自分が楽天の監督をしていて敵である立場にもかかわらず批判覚悟で質疑をしてくることが何度もあったと著書の「名将の条件 監督受難時代に必要な資質」に書かれており、野村とは友好関係だったようだ。野村は、落合と森脇は自分と野球の話が出来る今の球界では数少ない人物であると述べており、森脇がオリックスの成績を上げたにもかかわらず翌年球団が見当違いな補強をしたため迷走し、監督を休養することになった事を上記の著書で惜しんでいた。
出典:wikipedia
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