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Kダブシャイン

Kダブシャイン(ケーダブシャイン、本名:各務 貢太〈かがみ こうた〉、1968年5月8日 - )は、日本のヒップホップMC、タレント。ワタナベエンターテインメント所属。旧表記はK DUB SHINE。東京都渋谷区出身。1995年にキングギドラ(現:KGDR)のメンバー及びリーダーとしてアルバム『空からの力』でデビュー。1997年にアルバム『現在時刻』でソロデビューし、2006年12月にはradio aktive projectを結成。2015年にワタナベエンターテインメントに移籍してからは、地上波ゴールデンタイムのクイズ番組などにも出演する等、活動の場を広げている。なお、ワタナベエンターテインメントにはミュージシャンやタレントではなく文化人として所属している。東京都渋谷区富ヶ谷にて母一人子一人の母子家庭に育つ(1980年代には同区神山町に転居)。 幼少の頃は病弱で、入退院を繰り返しており、小学生になるまで生きられないかもしれないと言われていたという。小学校時代には、中学受験のために四谷大塚へも通塾していたが、地元の渋谷区立松濤中学校に進んだ。高校は町田市にある私立高校へ入学。すぐに中退して、産経新聞社の主催する交換留学制度を利用して、アメリカ合衆国フロリダ州の高校へ留学。帰国後はテンプル大学日本校に通ったが、後に中退した。1980年代半ば頃にアメリカのヒップホップに出会い、後に自身もラップをするようになる。当初は、日本語はラップには向かないと考え英語でラップをしていたが、アメリカ人の友人に「何故日本語でラップしないのか」と問われた事をきっかけに、日本語によるラップを模索しはじめる。2004年6月19日、BUDDHA BRANDのDEV LARGEと思われる人物がK DUB SHINEをディスした曲、「ULTIMATE LOVE SONG」がとあるサイトにアップされ、一気にビーフに発展した。内容は、K DUB SHINEの新作『理由』の収録曲である「来たぜ」の中での、「BUDDHA BRANDとのバトルは俺が完全に食った」といった挑発的な内容の歌詞が発端。また、英語を多用するDEV LARGEとして、K DUB SHINEが日本語ラップと言いながら英語を多用するバイリンガル・ラップを、以前から批判していたことへの反発などであった。6月22日にDEV LARGEがInterFMのラジオ番組『Joint One Radio Show / DEN説の火曜日』に出演し、この曲をかけたため本人によるものである事が発覚した。10日後の6月22日にK DUB SHINEがアンサーソング「1 THREE SOME」を同じくネット上で発表。内容は「急にどうしたのか」という様な問いかけやDEV LARGEがソロアルバムを出していないことへの皮肉などであった。これに対しDEV LARGEは、更なるアンサーソング「前略ケイダブ様」を発表した。以降ビーフは展開が無かったが、。尚、DEV LARGEは2006年にソロアルバムをリリースした。2013年、MAKI THE MAGICの死を機に両者は和解した。なお、後にK DUB SHINEの「1 THREE SOME」はDJ MASAKI『BEST OF K DUB SHINE(Blendz Version)』に収録され、DEV LARGEの「ULTIMATE LOVE SONG」、「前略ケイダブ様」は刃頭のミックステープ『現場デ炸裂』に収録されている(『前略ケイダブ様』は『前略、ケイダブ様お元気ですか?pt.2』として)。また「ULTIMATE LOVE SONG」はI-DeAのアルバム『self-expression』に「Ultimate Love Song(Letter) feat. MONEV MILS & 漢」として別バージョンが収録されている。2015年にDEV LARGEが逝去し、KダブシャインはTwitterで追悼コメントを寄せている。キングギドラのメンバーであるZEEBRAとは、アングラ志向寄りのK DUB SHINEとオープンなZEEBRAというヒップホップに対する価値観の違いから不仲とされている(ヒップホップ雑誌のインタビューでも両者共に価値観は違うと認めている)。DJ OASISは「仲が悪い訳じゃない。お互いの考え方が違うだけ。それは二人とも分かってること」とどちらの肩を持つわけでもなく、話している。1996年のキングギドラの活動休止も、リーダーのK DUB SHINEが抱くキングギドラのコンセプトに、幅広いヒップホップの音楽をやりたかったZEEBRAが賛同しなかったことが理由とされている。また、K DUB SHINEはキングギドラを継続的に続けたかったとも語っている。第三会議室では、会話の弾みからではあるがZEEBRAを「元相棒」と発言したり、「(俺が死んだとして)ZEEBRAは(葬式に)来ない」と話したこともある。一方、Radio Aktive ProjectがZEEBRAが司会をしていた番組『シュガーヒルストリート』に出演し、2007年1月11日(12日)に放送され、このときに撮られた写真がDJ OASISのブログに掲載されており、K DUB SHINEがDJ OASISとZEEBRAと肩を組んでいる写真や話をしている写真が掲載されている。さらに1月の『DANGEROUS』ではZEEBRA、K DUB SHINE、DJ OASISそしてRHYMESTERの宇多丸四人で写っている写真も公開されている。後日の『第三会議室』の公開収録の際に、この事に話が及んだがK DUB SHINEはこれを「お芝居」と語っており、実際の所は不明である。2007年3月31日、RHYMESTERのライブ、『King of Stage vol.7 at 日本武道館』で、キングギドラとして一時再結成しRHYMESTERと共に「口から出まかせ」を披露した。K DUB SHINEにこの武道館ライブに出演するように宇多丸が催促する様子が過去に第三会議室で放送された。2008年11月1日、ZEEBRAが同じく日本武道館で、デビュー20周年を飾る公演『ZEEBRA 20th ANNIVERSARY THE LIVE ANIMAL in 武道館』を行った。多数の縁のあるゲストが出演したがK DUB SHINEは現れず、キングギドラの揃い踏みは実現しなかった。この件に関して『第三会議室』内で、宇多丸が参加を強く促すもK DUB SHINEが頑なに拒み続ける様子が放送された。その後、早稲田大学で行われた『第三会議室』の公開収録においても、ゲストであり、武道館ライブに出演したYOU THE ROCKから武道館ライブに来なかった事について強く責められた。2009年、B BOY PARKの会場で行われた『第三会議室』の公開収録では、ZEEBRAがMummy-Dとともにゲストとして登場し、K DUB SHINEと共演した。ZEEBRA退場後、宇多丸にこの二人はすごく仲がいいとコメントされると「表面上はね」「カメラの前ではホント仲良し」とコメントしている。2011年、東北地方太平洋沖地震をうけ、被災者への義援金チャリティー目的でキングギドラを再始動させる。4月30日には、大阪城野外音楽堂で開催された東北地方太平洋沖地震チャリティーライブ「KEEP YOUR HEADS UP!」でキングギドラとしてライブを行った。セルアウトの傾向のあるヒップホップを極端に嫌う。キングギドラ「公開処刑」ではKICK THE CAN CREW、RIP SLYMEを暗にディスした(その後、この2グループとは和解したようである)。また、『理由』収録の「なんでそんなに」ではこの頃頻出していた歌手やSOUL'd OUTを批判している。「公開処刑」以後は特定のラッパーに向けたディスはしておらず、ソロ楽曲『いつもの』、radio aktive projeqtの「そりゃあないよ」でもポップなラップをする者全般に関して言及している(インタビューによればヒップホップを感じないのにラッパー面している者をディスするとのこと)。かつてアトミックボムに所属していたラッパー童子-Tに対して、DJ MASAKIのミックステープ「DJ MASAKI Presents R.A.P. Special MixShow」においてディスした(DJ MASAKIのブログにおいてトラックリスト欄にDissin by童子-Tと表記されている)。また、2009年7月28日に「R-Festa2009」に出演した後、悪ガキGプロダクションのメンバーのTHE A-WORD a.k.a. 日の丸240が、ブログにて「Rフェスタで童子-Tがコッタ君(K DUB SHINE)に胸ぐらを掴まれて、泣かされたらしい」といった記事を投稿した。DEV LARGEにディスされたほか、剣桃太郎から、「きたないおっさん」にて、般若から、「サンクチュアリ」にて、SEEDAから、SEEDA & DJ ISSO『CONCRETE GREEN 3』特典CD-R収録曲にてディスされている。本人はこれらに対して、楽曲「いつもの」のリリックやインタビューにて「CDを売るための話題作り。2回戦ボーイがチャンピオンとタイトル・マッチなんて出来るわけないだろ。いい加減にしてくれよなー、ウィー。」としている。その後、Kダブシャインと剣桃太郎は、両者による話し合いが行なわれ和解した。派閥的な対立は殆どせず、上記の対立関係にあるラッパーと友好的なミュージシャン(RIP SLYMEやKICK THE CAN CREWの兄貴分であり、DEV LARGEとも親交を持つ宇多丸など)でも交流を持つ事が多い。盟友・DJ OASISの他、『第三会議室』で共演している宇多丸が在籍するRHYMESTER、DABO、DJ MASTERKEYら親交がある。。靖国神社に積極的に参拝、ロシアで行われた世界愛国者政党会議に一水会と共に参加するなど、保守的なラッパーとして知られていたが、2013年12月26日に安倍首相が靖国神社に参拝した際、中国・韓国との関係が日々悪化している事と、その日が毛沢東の誕生日である事を理由に批判するなど、主に保守派から支持を集めている安倍政権には概ね批判的である。また、義務教育で小学校低学年には「自由」という教科を設け、自由と自分勝手、無秩序の違いや、人としての尊厳がなぜ守られるべきなのか? といった基本的なことについて授業してほしいと述べるなど、リベラル色が強まりつつ自由主義的な思想や考え方も多く主張する様になった。

出典:wikipedia

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