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大野勇樹

カツオ(1985年10月4日 - )は、日本の男性プロレスラー。北海道函館市出身。北海道七飯高等学校ではラグビー部に所属。2004年にDRAGON GATEに入門、先にデビューした鷹木信悟、B×Bハルク、戸澤陽とは同期入門。2005年10月5日、本名の大野勇樹で後楽園ホール大会のドン・フジイ戦(ハンディキャップマッチでトザワ(現・戸澤アキラ)とタッグ)でデビュー。試合後、フジイにサザエさんのカツオに似ていることから、カツオのリングネームで活動。2006年7月2日、ワールド記念ホール大会にて戸澤塾入りを表明。同時にリングネームも本名の大野勇樹に戻した。2007年7月から突然行方不明になった。原因は8月から開催されるタッグリーグに自分の名前がエントリーされておらず、そのことについてコラムや公式の掲示板を使って会社批判をしたにもかかわらず会社からは何の連絡もなし。それにキレた大野が道場から家出した。そして普通に戻ってきた。2008年に入ってからは、戸澤塾内で戸澤アキラと「メタボリック・ブラザーズ」というユニットを作っていたが、NEX2周年興行で戸澤のダイエット宣言により解散。以降登場回数が減る。2008年8月26日に地元函館での興行でサイバー・コング相手に凱旋試合を行うが敗北。その後、突然DRAGON GATEを退団。公式掲示板でも会社への批判が書き込まれた(現在は削除された)。2008年8月31日の博多大会でサイバー・コング・シート(REAL HAZARD)として復帰。マスクで顔を隠しているので素性は分からないが、観客からは「カツオ!」等の声援が飛んでいた。体型や声、独特のマイクパフォーマンスで本人とわかる。戸澤塾のメンバーや谷嵜に対して敵意を燃やして10月5日の博多スターレーンでGamma、堀口元気、神田裕之と組み、戸澤塾と名古屋式イリミネーションマッチで激突して最初に脱落するものの、凶器攻撃などで試合中に介入して勝利に貢献した。その後は試合数も少なく、シングルでもほとんど敗北していたためセコンドとしての役割のほうが多かった。12月21日、神戸サンボーホールで行われた谷嵜なおきとサイバー・コングのマスカラ・コントラ・カベジェラマッチで一斗缶攻撃をサイバーに誤爆させてしまい、サイバーが敗北するきっかけになってしまう。しかし、納得のいかないサイバーが再試合を認めさせるために、シートのマスクを剥ぎ、シートはREAL HAZARDを追放される(再試合はサイバーの勝利)。その後は12月22日に行われたNEXの興行に素顔で参戦したのを最後に姿を見せなくなった。現在は完全にDRAGON GATE退団扱いとなり、以降の動向は不明であった。2010年11月18日、沖縄プロレスに入団してウルトラマンゴーとして登場。正体は未公開ながらラジオ番組で自ら本名を口走ってしまったりした事などから当人と解る。2011年11月、契約期間満了にともない退団。2012年より北都プロレスを中心に活動。みちのくプロレスなど他団体のマットにもフリーで上がっている。12月のDRAGON GATE札幌大会の第0試合にも出場。2013年1月12日付で、みちのくプロレスに正式入団。正規軍の一員として活動しており、コスチュームには腹部に団体のロゴが入ったものになっている。また、対戦相手にヤッペーマン3号が好敵手であり非常に燃え、いない場合には試合放棄ぎみになる。入場曲は戸澤塾のアレンジバージョンである。2014年より古傷の左ひざを手術することを決断。復帰までは9か月かかるという。欠場中に宅地建物取引士試験を受験し合格。2014年11月1日、矢巾大会にて復帰。試合は3号にヒップドロップを交わされた後丸め込まれ敗れる。2015年1月4日、地元函館にバーKATSUO'S HOUSEを開店する。2016年契約解除。

出典:wikipedia

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